後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

静寂の中に眠る墓を見て思う

2008年04月23日 | 写真

Dscn3035 Dscn3037 Dscn3038 Dscn3046 Dscn3047 Dscn3049 Dscn3074 Dscn3075 祖父は兵庫県の山沿いの村の住職であった。少年のころ、父と共に里帰りする度に寺の裏山で遊ぶ。山林の中に葱坊主の形をした墓が数基一列に並んでいた。聞くとその寺の代々の住職の墓という。間もなく祖父が死に、その一列に加わった。同じような葱坊主形の質素な墓が。

その後は帰省するたびに墓を見に行く。別に花や線香を供えるでもないが、見ると何かホッとしたものである。住職の墓には花も線香も供えないものと知る。あれから茫々60年。平林寺で兵庫のお寺を思い出し、代々の住職の墓を探す。同じような暗い山林の一角であった。上の写真の始めの3枚がそれで、寛永、元禄、享保、寛政、文化、文政、天保、安政、慶応、明治、大正、昭和などの年号が刻まれている。この間、時代は大きく変わり、明治維新、日清戦争、日露戦争、満州事変、太平洋戦争と戦争が続いた。代々の住職の墓は何事も無かったように静寂の林の中で眠る。

上の写真の4枚目、5枚目、6枚目は平林寺に眠る松平家に仕えた武士や妻女の墓である。縁が切れ、もう誰も花や線香を上げに来ない。江戸時代の年号が刻まれている。子孫がお参りに来なくても静かな雑木林に満足したように眠っている。

最後の2枚の写真は現在の武蔵野くに国分寺の代々の住職の墓である。一般の墓地から離れて山かげの暗い林の中にある。余談ながら住職には奥さんが居ないことになっている。大黒さんと呼ばれている伴侶の墓は何処に有るのだろうか?

それだけの話ですが。

撮影日時:4月19日と20日、

撮影場所:埼玉県新座市平林寺と東京都国分寺市武蔵国分寺にて。


波乱に満ちたある武将の墓

2008年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Dscn3051

Dscn3052  平林寺で興味深い墓を見た。1615年没、増田長盛の小さな、質素な墓石である。説明板がある。

長盛は豊臣秀吉の長浜城の近在のあるお寺の次男とし生まれ、秀吉へ仕え頭角を現す。朝鮮の役で兵站を担当し、食料・武器調達に大きな功績を残した。その後、秀吉の5奉行の一人として任ぜられ、徳川家康とともに活躍した。特に検地・税制のような財務行政に卓越していたようである。

やまとの国郡山、20万石の城主とし16年間、城下町の発展に尽くす。

しかし運命は暗転する。大阪の陣、関が原の合戦で徳川家康側に惨敗する。一族の多くは罪人になるが、長盛は高野山で僧になり、後に武蔵野国の岩槻で蟄居する。悲劇は重なる。

尾州家に仕えて大阪城へ入った長男、盛貞が合戦で死ぬ。1615年5月7日のことである。落胆した父、長盛が切腹したのは長男の死のあと20日後であった。

1615年没の長盛の質素な墓を岩槻から新座市にある平林寺へ移したのは明治になってからのことである。

==============================================

色々な疑問を考える。何故、家康は秀吉の5奉行だった長盛の死罪を免じ、岩槻での蟄居を認めたのであろうか?5奉行として共に働いた頃に、お互い友情のようなものを感じ合っていたのだろうか?

大和の国郡山の現在の住民は増田長盛をどのように評価しているのであろうか?

忘れられているか、あるいは、郡山の発展の功績者として尊敬されているのであろうか?

長盛切腹のときは平林寺は岩槻にあった。お墓が平林寺につくられたとしても不思議はない。その後、野火止用水を完成し、平林寺を新座へ移したのは徳川側の名家、松平伊豆守信綱である。

当時の平林寺の住職が気を利かせ、ソオーっと長盛の墓を岩槻へ置いてきたのであろうか? もしそうであるなら権力へへつらう俗っ気の多い住職ではないか?あるいは松平信綱が岩槻に置いて来いと命じたのであろうか?

徳川幕府が滅んだ明治時代になって平林寺に移されたということの背景にはどのような経緯があったのであろうか?

奈良県の郡山市、埼玉県の岩槻市、そして新座市というローカルな視点で波乱に満ちたひとりの武将の人生を考えると色々な疑問が湧いてくる。

================================================

その他にも興味深い墓や宝塔、供養塔がある。したの写真に示すが、漱石の「草枕」の熊本県小天温泉の美人、那美さんのモデルになった女性の墓、武田信玄の5女の宝塔、島原の乱の供養塔である。那美さんのモデルの女性と異母弟の興味深い関係が説明板にあるのでご一読をお勧めする。2人は同じ墓に眠る。

Dscn3007_2 Dscn3050_2 Dscn3044_2 これら3枚の写真の詳細は記録して来なかった。歴史的背景をご研究の方は平林寺事務所へお聞きになれば良いと思う。

撮影日時:4月19日午前10時ー12時、撮影場所:埼玉県新座市、市役所向かい平林寺。