祖父は兵庫県の山沿いの村の住職であった。少年のころ、父と共に里帰りする度に寺の裏山で遊ぶ。山林の中に葱坊主の形をした墓が数基一列に並んでいた。聞くとその寺の代々の住職の墓という。間もなく祖父が死に、その一列に加わった。同じような葱坊主形の質素な墓が。
その後は帰省するたびに墓を見に行く。別に花や線香を供えるでもないが、見ると何かホッとしたものである。住職の墓には花も線香も供えないものと知る。あれから茫々60年。平林寺で兵庫のお寺を思い出し、代々の住職の墓を探す。同じような暗い山林の一角であった。上の写真の始めの3枚がそれで、寛永、元禄、享保、寛政、文化、文政、天保、安政、慶応、明治、大正、昭和などの年号が刻まれている。この間、時代は大きく変わり、明治維新、日清戦争、日露戦争、満州事変、太平洋戦争と戦争が続いた。代々の住職の墓は何事も無かったように静寂の林の中で眠る。
上の写真の4枚目、5枚目、6枚目は平林寺に眠る松平家に仕えた武士や妻女の墓である。縁が切れ、もう誰も花や線香を上げに来ない。江戸時代の年号が刻まれている。子孫がお参りに来なくても静かな雑木林に満足したように眠っている。
最後の2枚の写真は現在の武蔵野くに国分寺の代々の住職の墓である。一般の墓地から離れて山かげの暗い林の中にある。余談ながら住職には奥さんが居ないことになっている。大黒さんと呼ばれている伴侶の墓は何処に有るのだろうか?
それだけの話ですが。
撮影日時:4月19日と20日、
撮影場所:埼玉県新座市平林寺と東京都国分寺市武蔵国分寺にて。