2年前に仕事を一切止めた。前々から行きたいと思っていた辺鄙な土地を訪ねる旅をはじめた。まず、伊豆七島の神津島へ遊びに行った。東京から高速船で4時間、遥か外洋に浮かぶ火山島。山ばかりで平地が無い。船の着けられる簡単な桟橋が島の東西の両側にある。風向きによってどちらかを選ぶ。一人旅の気安さで島の民宿に投宿する。燗酒を傾けつつ、宿の主人から島の昔話を聞く。明日、見物すべきところも説明しくれる。そして、急に声をひそめて言う、
「朝鮮風の石碑が岬に有りますよ。おたあジュリアの墓です」
「それは誰ですか?」
「小西行長が朝鮮征伐のとき連れ帰った娘です。日本に来てからキリシタンになったのでここへ流された女です」
「何故そんなに声をひそめて喋るのですか?」
「おたあ、を島の人々が助けて保護したのです。キリシタンを助ければ幕府から重い処罰を受けます」
「それで?」
「おたあ、は立派な女で島の人々の面倒を良くみたのです。困った人の相談に乗り、人々を勇気づけました。皆尊敬し、おたあへ優しくして上げました」
「分かりました。でも今はキリシタンへの弾圧もない自由な時代です。何故小さな声で話すのですか?」
「島の人々は今でもおたあ、のことを尊敬しています。小さな声で話すことで尊敬の念をあらわしているつもりなのです。まあ、つまらない話かもしれませんが」
「神津島の人々だけの小さな秘密ですね?」
「まあ、秘密って程でもありませんよ」とニコニコし、宿の主人が満足げな様子である。現地へ行ってみないとローカルな歴史は分からないものと再度、感じいった。
帰宅して調べてみた。おたあ、は3歳の時、日本へ連れて来られ、アウグスチノ小西行長の幼女となり、洗礼を受け、ジュリアという名を授かる。関が原の合戦の後、家康の側室の侍女となり、桃山、江戸、駿河と移り住んだが、禁教令と共に神津島へ流刑になった。慶長17年、1612年のことである。小西行長の友人の石田三成一族も神津島へ隠れ住み、ジュリアを助けたという話もある。
今年も、神津島おたあジュリア顕彰会などの主催で「ジュリア祭り」がある。東京から1泊や2泊のパックコースが25500円から39000円で4コースある。5月16日から19日にかけて、おたあジュリア追悼の旅である。カトリック東京大司教区などが後援し、浦野雄二神父様も同行するパック旅行である。
企画・実施はJTB上野支店。詳細は上野支店(電話:03-3842-5430 Fax:03-3842-5419)の相田さん、村田さん、あるいは渡邊さんへお問い合わせ下さい(終わり)