後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

おたあジュリアと神津島の秘密

2008年04月20日 | 旅行記

2年前に仕事を一切止めた。前々から行きたいと思っていた辺鄙な土地を訪ねる旅をはじめた。まず、伊豆七島の神津島へ遊びに行った。東京から高速船で4時間、遥か外洋に浮かぶ火山島。山ばかりで平地が無い。船の着けられる簡単な桟橋が島の東西の両側にある。風向きによってどちらかを選ぶ。一人旅の気安さで島の民宿に投宿する。燗酒を傾けつつ、宿の主人から島の昔話を聞く。明日、見物すべきところも説明しくれる。そして、急に声をひそめて言う、

「朝鮮風の石碑が岬に有りますよ。おたあジュリアの墓です」

「それは誰ですか?」

「小西行長が朝鮮征伐のとき連れ帰った娘です。日本に来てからキリシタンになったのでここへ流された女です」

「何故そんなに声をひそめて喋るのですか?」

「おたあ、を島の人々が助けて保護したのです。キリシタンを助ければ幕府から重い処罰を受けます」

「それで?」

「おたあ、は立派な女で島の人々の面倒を良くみたのです。困った人の相談に乗り、人々を勇気づけました。皆尊敬し、おたあへ優しくして上げました」

「分かりました。でも今はキリシタンへの弾圧もない自由な時代です。何故小さな声で話すのですか?」

「島の人々は今でもおたあ、のことを尊敬しています。小さな声で話すことで尊敬の念をあらわしているつもりなのです。まあ、つまらない話かもしれませんが」

「神津島の人々だけの小さな秘密ですね?」

「まあ、秘密って程でもありませんよ」とニコニコし、宿の主人が満足げな様子である。現地へ行ってみないとローカルな歴史は分からないものと再度、感じいった。

帰宅して調べてみた。おたあ、は3歳の時、日本へ連れて来られ、アウグスチノ小西行長の幼女となり、洗礼を受け、ジュリアという名を授かる。関が原の合戦の後、家康の側室の侍女となり、桃山、江戸、駿河と移り住んだが、禁教令と共に神津島へ流刑になった。慶長17年、1612年のことである。小西行長の友人の石田三成一族も神津島へ隠れ住み、ジュリアを助けたという話もある。

今年も、神津島おたあジュリア顕彰会などの主催で「ジュリア祭り」がある。東京から1泊や2泊のパックコースが25500円から39000円で4コースある。5月16日から19日にかけて、おたあジュリア追悼の旅である。カトリック東京大司教区などが後援し、浦野雄二神父様も同行するパック旅行である。

企画・実施はJTB上野支店。詳細は上野支店(電話:03-3842-5430 Fax:03-3842-5419)の相田さん、村田さん、あるいは渡邊さんへお問い合わせ下さい(終わり)


野火止用水には驚きました!

2008年04月20日 | 写真

Dscn2978

Dscn2967 Dscn2966 Dscn2969 Dscn2972 Dscn2976

Dscn2977 Dscn2979 Dscn1119_41 玉川上水は玉川兄弟が私財を投じて1653年の工事開始、1654年には江戸、四谷まで通水している。それの1年遅れで野火止用水が松平伊豆守信綱により完成した。松平信綱は玉川上水短期完成への功績が大きかったので3割の水の取得を幕府から許された。目出度いことである。現在の野火止用水は上の写真が示すように小さな流れだ。が、当時は水流の幅2間、その両岸に幅一間の堤が続いていたという。

しかし信綱は江戸時代、初代の川越城主。現在の埼玉県新座市一帯を私領としていた。自分の領地の農業振興の目的も含めて玉川上水短期完成へ知恵をめぐらしたに違いない。この大型土木事業の幕府内の意見の調整と財政支援をしたのではないかと想像される。

野火止用水の完成が玉川上水より1年しか後でない。これは始めの設計段階から野火止用水が含まれていたに違いない。そこへ3割の水を流している。そんな多量の分水をしても江戸で困らないように取水口を設計しておいたに違いない。

信綱は野火止用水の完成を待って、岩槻から平林寺を移築し松平一族の菩提寺とした。平林寺堀も作った。このような信綱の深慮遠謀ぶりは見事である。

確かに玉川兄弟は私財も寄付した、そして何よりも卓越した現場監督であったに違いない。しかし、この兄弟が1年間で玉川上水を完成させた裏には幕府側に強大な支援者が居たに相違あるまい。野火止の地域へ行くと「伊豆守殿橋」という名前の橋があり玉川兄弟のことは説明文に出てこない。上の写真の右下最後の写真は羽村の堰に建つ玉川兄弟の像である。この兄弟は身分があまりにも違う松平信綱へは会ったことはないであろう。別にそれでも良い。

ローカルな視点から歴史を見ると興味が尽きない。これからそんな視点でブログの記事を書いて行きたいと思う。撮影日時:4月19日午前10時頃から午後2時頃。撮影場所:埼玉県新座市野火止地区(終わり)