明治の文明化以来、日本にとって、欧米人を理解して、その文明文化を早急に輸入することが国家目標であった。近代科学、蒸気機関、ジーゼルエンジンなどの技術の導入は素早く出来た。しかし欧米人を理解するという問題はいまだに困難なこととして残る。
欧米人を理解するにはキリスト教徒になるのが手っ取り早いという説もある。明治時代から現在まで、政治家で洗礼を受けた人も少なくない。しかし所詮、仏教もキリスト教もイスラム教も同じような倫理規定を人間に期待している。
キリスト教徒になると欧米人の人間としての弱さは理解できる。が、東洋人やアラブ人との相違が見えて来ない。単に人間の弱さは世界のどの民族も同じだという感慨に捉われるだけである。
東洋人や中近東人と欧米人の違いの一つは、合理主義がどの程度人生を規制しているか?という程度の大きな差異にあると思う。
人間は鳥でないから空を飛べない! そんなことは無い。ライト兄弟が飛行機を発明したではないか! 帆船は追い風を受けて走るのだから風上には走れない! 本当にそうであろうか?? その根拠となる理論は無い!それなら実験をしてみよう! 帆の形を色々変えて実験をしてみたところ、風上に走った! もっと早く風上へ走る船の形と帆の形はどう改良すればよいか? 改良を重ねる度に実験をする。そうして1500年ころに3本マストの外洋航海用の帆船が出来上がった。
東洋人にはその様な発想も無ければ、実験実証主義的な考え方が無い。これこそが東洋人と西洋人の重大な一つの相違であろう。
クルーザーヨットに乗って、その部品一つ一つの合目的完璧性、船全体の構造の無駄の無さ、絶対に転覆しないキールの重さ、などなどを体感的に理解すると、欧米人の合理主義の極地が理解できる。これこそヨーロッパ文化の真髄と、クルーザーに乗る度に感動する。
ヨーロッパ文化へあこがれる日本人、科学や技術を職業とする日本人が、クルーザーヨットの趣味をもつと文化の相違の本質が理解できる。単に楽しい、心地よい、というような表面的な楽しみの趣味ではない。
このブログの副題を「クルーザーヨットのブログ」とした意味は、「明治維新以来の我々の課題はクルーザーヨットの趣味を持つと解決しますよ!」そんなメメッセージを含んでいる。欧米人の理解の仕方はよくキリスト教を理解すると良いと言われる。キリスト教の信仰をもってみると人間の同一性は理解できるが、相違は理解出来ない。
余談ながら、風が強くなると簡単に転覆する小型ヨットをディギーと呼びますが、それはスポーツの一種で、クルーザーヨットとは文化的内容が別種のものである。
先日、横浜の、みなとみらい岸壁に係留する日本丸のデッキの上で、大型帆船の船長をしていた大西典一船長と上の理解で意見が合致した。
何十年も日本の運輸省(国土交通省)所管の大型帆船に乗っていた大西船長の
合意を得たので、この際、このブログへ発表し皆様のご叱正を仰ぐことにした。乞うご叱正! (この項終わり)