後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

外国体験いろいろ(2)周恩来の死を悼む中国人

2008年08月04日 | 旅行記

以下はこの直前に掲載した「外国体験のいろいろ(59)」に関連する記事なので再録します。原文は11月12日に掲載しました。

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   ◎地下室で見た中国人の本音 

中国の首相、周恩来が死んだ時、中央政府は公的葬式以外の一切の私的な追悼会のような集会を禁止しました。たまたま北京にいた私に、旧知の周栄章・北京鉄鋼学院教授が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言いました。

 暗夜に紛れて連れて行かれた所は、深い地下に埋め込んだ大學の地下室でした。明るい照明がついた大きな部屋の壁一面に、周恩来の写真、詩文、花束などが飾られていました。周氏は「中国人が一番好きな人は毛沢東ではなく周恩来ですよ。中央政府が何と言ったってやることはちゃんとやるよ。それが中国人の根性なのです」と言い切りました。

外国人の私が政府側へ密告しないとどうして信用できたのでしょうか。このような体験は、中国も日本も権力者と一般の人々との考えが違うことを教えてくれました。

中国東北部の瀋陽に行った時、東北工科大學の陸学長がニコニコして「私は日本人の作った旅順工大の卒業です」ときれいな日本語で言いました。そこで、東北大学で習ったM先生が旅順工大にいたことを話しましたら、「悪い先生もいましたが、大変お世話になった素晴らしい日本の先生もいました。ご恩は忘れません」と懐かしそうでした。中国人、少なくとも知識人の方は個人の付き合いと国家同士の論争とは分離して考えているようです。

     @オートンさんの思い出

六〇年、米国のオハイオ州立大金属工学、博士課程の講義に初めて出た時に会った、ジョージ・オートン氏は爆撃機を操縦して東京へ焼夷弾を落とした男です。大きな体、坊主頭、赤ら顔のカウボーイのような男でした。面倒見のよい人で、英語のできない私にノートを見せてくれ、何度も家に招待してくれました。当時、彼は空軍大佐でしたが、引退後大学の先生になろうと博士課程を取っていました。 

なぜ日本人の私の面倒をそんなに本気でみるのか、かなり親しくなってから聞いたことがあります。「俺は東京へB29で何十回も空襲に行ったよ。それでなんとなく日本人に親近感ができてしまったのかも…」。彼はその話を二度としませんでした。 

奥さんのケイが死んだのは二十年も前です。しばらくしてから南部にオートン氏を訪ね、二人でケイの墓参りをしました。いつも大声で陽気に話していた彼は消え入るように沈んでいました。平らな石を水平に埋め込んだ白い墓石が一面に広がり、秋風が吹き渡っていました。また何年か過ぎ、アニタという女性と再婚してから元気になったようです。

1988年、私はオランダの出版社から初めて英語で専門書を出版することになりました。その時、原稿を逐一訂正してくれたのがオハイオ州立大の同級生オートン氏です。

        @走馬灯のように

オートン氏のことを思い出すと、1945年7月、少年であった私の目の前で一面火の海になった仙台の町々、空襲の大火に映しだされるB29の白い機体のゆっくりした動きを思い出します。憎しみも悲しみもない走馬灯のように。 オートン氏は2006年の末に亡くなりました。花輪を送り、遠くから冥福を祈るだけです。(この項の終わり)


外国体験のいろいろ(59)人脈や老朋友を大切にする中国社会(続き)

2008年08月04日 | 旅行記

@ 江清女史が魚雷艇で周総理の暗殺を企てる 

 文化大革命の終わり頃、毛沢東は老齢で病気がちになる。実権は愛人の江清女史が握っていた。あるとき周恩来首相が揚子江沿岸へ出張した。帰りは上海行きの客船に乗った。江清女史が周総理を暗殺するために軍隊へ命令し、二隻の魚雷艇を発進させた。まもなく上海へ到着する頃であった。 二隻の魚雷艇が周総理の乗っている客船を挟むように走り寄る。魚雷艇からの秘密の無線連絡がある、「ある有名な婦人(江清女史の意味)の命令で周総理の客船を撃沈するために来ました。しかし何時も人民の生活のことを考えてくれる周総理の船を沈めることはできません。上海まで護衛します。他の部隊も同じような命令を受けているかも知れませんので。我々二隻の艇の間を航行するようにしてください!」

北京に帰った周総理が病床の毛沢東を見舞い、揚子江沿岸への出張の報告をする。 帰り際に微笑みながら一言、「毛主席どの、帰りの客船をあなたの愛人が攻撃するように魚雷艇へ命令しました。でも二隻の魚雷艇が左右から歓迎してくれただけでした。満々と流れる揚子江の上で」。毛沢東がどんな顔をしたか?

マスコミ統制でこの話は絶対に新聞に出ない。しかしこのような話が口コミで中国全土に広がったのは一週間もかからなかったと周先生が言う。

 「藤山さん、これが中国というものです。共産主義の悪口をいくら言っても良いです。でも中国人は善い政治家の恩には絶対に報います。そんな人民なのです。中国のことを正しく理解してください」

周恩来の死を悼む人々が政府の命令に反して地下室で長期間、周恩来を讃え、追悼したことはこの旅行記シリーズの第一回目(2007年11月)で書いた。 それ以来、中国のことは、新聞や看板に書いてある真実と、口コミで伝わる真実との両方を比較するようにしている。口コミの世界を知るには人脈に頼る他は無い。人情に厚く、友人を終世大切にする中国文化の裏面には賄賂と汚職の文化がついているとしたら残念である。日本の談合も文化の一部なのだ。いくら取り締まっても根絶できない。どうしたら良いのでしょうか?(続く)


外国体験のいろいろ(59)人脈や老朋友を大切にする中国社会

2008年08月04日 | 旅行記

それぞれの国の文化には良いところと悪いところがある。しかも良い、悪いは表裏一体になっていて切り離すことができない。それが文化の持つ宿命と思う。

「外国体験のいろいろ(56)人脈やコネを忌み嫌うアメリカ社会の倫理性」ではアメリカ社会は公明で、正しい自由競争がいきわたっていて倫理的に素晴らしい社会であると書いた。しかし、その裏面には友人をも冷酷に裏切る傾向があり、人情味のないカサカサした雰囲気の社会になりがちである。残酷な犯罪の多いのもこのタイプの文化の特徴かも知れない。

一方、その反対にあるのが、古い中国の文化ではなかろうか?以下はそんな文化を描く、エピソードである。

 @ ベルサイユ宮殿の夜の鏡の間

1979年フランスのベルサイユで鉄鋼技術の国際会議があった。会議の合間、フランス側のはからいで、ベルサイユ宮殿の鏡の間を、夜にローソクのみの照明で見せてくれた。何百というローソクの光が、壁を埋め尽くす鏡に反射し、何千もの光になり、部屋の装飾品を美しく輝かす。蝋燭の光で一段と美しくなるのが鏡の間である。

 中国政府が文化大革命の首謀者“四人組”を逮捕し、市場経済、開放政策を取り始めたのは1976年前後である。このベルサイユの会議で知り合ったのが北京鋼鉄学院の周栄章教授と瀋陽の東北工学院の翼春林教授である。

この二人はその後すぐに、北京鉄鋼学院と東北工学院への出張講義に筆者を招いてくれた。その後十数年にわたる中国との交流の全ての窓口になった。この二人以外の中国人へ用件を頼んでも中国側がこの二人の所へ用件を頼みなおす。二度手間になる。この二人以外の窓口を中国側が好まない。

 人脈を大切にする文化とはこういうものと深く理解する。他の中国人がこの二人を小生の老朋友と言う。周先生は中国政府の金属工業省主催の日中鉄鋼技術交流会議開催へ力を発揮してくれ、また翼先生は金属物理化学の学術交流に真摯な努力をしてくれた。

 @ 周教授と共産主義の功罪を話し合う

 周先生とはいつも英語で話す。若いとき共産主義に感動して天津市へ攻め込んで占領した経験がある。敵は日本軍でなく蒋介石の国民党軍である。1949年、天安門広場で中国の独立を祝す大行進を見たときの興奮は忘れられないと言う。そんな身の上話を聞いたのでつい共産主義の功罪を論じ合うことが多くなった。

 筆者が、「共産主義は間違っていますよ。ソ連も中国も独裁政治だし、経済が発展せず生活が苦しいでしょう?」、そういう過激な話をしても周先生はいつも静かに聞いていて反論しない。顔の表情がわずかに緩んだり、引き締まったりするだけである。

「共産主義はマルクスが空想した机上の空論で実際に使うと弊害が起こるではないですか?」、周先生の表情がかすかに緩み部分的には賛成しているようである。さらに加える。

 「さきの文化大革命の時の毛沢東の独裁と、権力闘争へ子供まで使うやり方は言語道断ではありませんか?」

周先生がやっと口を開く。

「あなたは毛沢東だけ知っているようですが周恩来総理のことを知ったら必ず中国が好きになりますよ」

「周恩来ってどんな人ですか?」「その偉さは簡単に説明できないので、今日は一つだけ有名なエピソードを話しましょう」と言って次のようなことを語った。長すぎますのでここで一休みして北京の観光写真を3枚ご紹介します。

左から順に、天壇、北京和園、承徳避暑山荘、の写真です。(続きます)

Tiantan1 Yiheyuan11 Bishuzhanzhuang1 

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