フォトアルバム「中古ヨットの見分け方の写真集」へ6枚の写真を追加しました。
写真の題目や説明欄に、「中古ヨットの買い方」の16編の説明文の総目次が、ブログ本文に作ってあることを明記しました。 16の説明文とフォトアルバム中の68枚の写真の連携をはかったのですが、あまり整合性が良くありません。今後、手直しが必要と思います。「中古ヨットの買い方」の16編の改定版を順次出して行く予定です。 (終わり)
フォトアルバム「中古ヨットの見分け方の写真集」へ6枚の写真を追加しました。
写真の題目や説明欄に、「中古ヨットの買い方」の16編の説明文の総目次が、ブログ本文に作ってあることを明記しました。 16の説明文とフォトアルバム中の68枚の写真の連携をはかったのですが、あまり整合性が良くありません。今後、手直しが必要と思います。「中古ヨットの買い方」の16編の改定版を順次出して行く予定です。 (終わり)
このブログは昨年11月に始めました。もう10ケ月、約300日になります。その間、ブログ本文へのアクセス数は42000以上になりました。それとは別に、フォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」へのアクセス数は25000以上あります。
中古ヨットの購入の可能性をお考えの方々が多いのか、現在でもアクセス数が減らずに毎日80件くらいあります。
ところが「中古ヨットの買い方」の説明文は(1)から(16)として16編が、このブログ本文に有りますが、他の文章に紛れて見つけ難い状態になってきました。
フォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」を検索して見て下さる方々が、それに関連する説明文の「中古ヨットの買い方」(1)から(16)を簡単に開けられるように、此処に発表年月日と題目の目次を掲載いたします。
ご関心の文章は発表年月日から、左サイドバーのバックナンバーの月別分類から容易に見つけることが出来ます。
======説明文;「中古ヨットの買い方」(1)から(16)の目次=======
今から1400年ほど前、現在の飯田市郊外(信州麻績の里)に本多善光(よしみつ)さんという人が住んでいた。
ある時、善光さんが都へ帰る国司について行った。ところが難波の堀の中から一光三尊の像を見つけて、それを拾い上げ、持ち帰った。
自宅の臼の上に像を祀り、拝んでいたところ、台座の臼が光り輝いた。それで座光寺(善光寺)を作ったという(推古天皇10年)。
それから41年ほどして皇極天皇元年に勅命によりご本尊を長野へ移し、現在の長野、善光寺が出来た。
移転した善光寺のあとには以前のご本尊と同じ形の木像をつくり、座光寺を存続させた。そのような経緯から、座光寺は元善光寺とも呼ばれるようになった。長野へ引っ越したご本尊は毎月15日には飯田の元善光寺へ帰り、麻績の里人を守ると信じられている。
簡略に言えば、善光さんが偶然、難波の堀から拾ってきた仏像で座光寺を作った。人々はその寺を善光さんが作ったので善光寺と呼んだ。ところが41年後、勅命によって善光寺は長野へ引越ししてしまった。残った寺には以前と同じ形の木像を祀り、元善光寺と呼ぶようになった。(現在はその付近の地名を座光寺という)
さて甲府市にも立派な本堂を誇る善光寺がある。この三つ目の善光寺は長野の善光寺が出来てから、約800年位後に武田信玄が長野を攻略、占領したときに権力を用いて善光寺をご本尊とともに甲府に持ってきたものである。しかし、武田家の滅亡後、ご本尊や数々の寺宝は長野の善光寺へ返された。
甲府の善光寺誕生の経緯はあまり自慢に出来ないようなことではあったが、甲州の人々の仏様を信仰する篤い気持ちによって甲府の善光寺も立派に存続しています。三つの寺とも善光さんの木像が安置されていますが、珍しく思ったのはどれにも夫人の像が同じ大きさで並べられていることです。
三つの善光寺を廻り終わって、色々な感慨を持ちます。その一つは素朴な信仰心の美しさが三つの善光寺を支えてきたということです。善光寺は仏教のどの宗派にも属せず、人々の信仰だけで存続してきたのです。(終わり)