後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

欧米人だけを尊敬するのはおおきな間違い

2008年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

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(このゴッホの絵の出典は、http://philatelic-art.com/museum/20.htm )

このブログでは「外国体験のいろいろ」として既に60回にわたって随筆を掲載をしています。

読み返して見ますと、ヨーロッパやアメリカの文化や社会を取り上げてその優れているところを何度も書いています。それをお読みになった方々は筆者が欧米人を尊敬しているが、アジア人はそれ程尊敬していないという誤解をされるかも知れません。

そこで、この辺で筆者の考えを鮮明に書いておくことが必要と思い至りました。

文化や芸術には感動し、尊敬します。しかし、それを作りだした人々はとても尊敬出来ません。そんな感じをいつもしています。

人間には進歩がなく、過ちを繰り返しています。欧米の国々同士の飽く事のない戦争の歴史を見れば自明のことです。

比較文化人類学ではそれぞれの民族の文化を尊重し客観的な観察をします。決してそれぞれの民族の優劣を論じません。

しかし明治維新以来、日本人はどちらかと言うと欧米人を尊敬し、アジアの人々を尊敬していなかった歴史を背負っています。筆者も恥かしい話ですがそいう考えでいました。

1970年ドイツの研究所で同僚のP博士によってその間違いを鋭く指摘されてやっと気がついた経験があります。それ以来、文化の価値とそれを作った人間の倫理的価値は別物と信じるようになりました。すると文明開花に遅れた国々の人々も尊敬できるようになります。

ここに掲げた絵はゴッホの絵です。しかしゴッホの絵は、彼の生前は一枚も売れなかったそうです。近代絵画の花を咲かせたヨーロッパ人の大きな間違いの一例ではないでしょうか? (終わり)


雲の峰、甲州の夏

2008年08月08日 | 写真

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南アルプスの連山、八ヶ岳、秩父との国境の山並み、そして富士の外輪山の一部にグルリと囲まれた甲州。見上げる真夏の空。雲の峰が連なっている。8月は日本が大きな戦争に負けた月。白い雲の峰を見ると戦争に散った人々のことを思い出す。若いときから、真夏の静けさ。(終わり)

撮影日時:8月4日から7日、撮影場所:山梨県の甲府盆地の周辺

撮影者:Mrs.藤山


外国体験のいろいろ(60)日本の学校での教えかた

2008年08月08日 | 旅行記

日本の小学校では漢字を覚えさせる。理科でも算数でも知識を憶えて暗記させる。暗記能力の大小が成績を左右する。

大学受験でも暗記能力が合否をきめる。しかし実社会に出ると暗記能力よりも人間関係の調整能力や経営感覚が重要な場合が多い。従って学校の成績は社会人にとって何の役にも立たないという。これは誰でも知っている。まあ常識とも言える。

しかしもう少し詳しく観察して考えてみる。すると、欧米と日本では「教育の質」や考え方が違うことに気がつく。少し大げさに言えば根本的に違う。以下は1960年にアメリカへ留学した時の体験である。小学校や中学校をとばしていきなり大学の話になるが、お読み頂ければ幸と思います。

@同級生が日本の大学は2流と言う
 1960年9月、オハイオの大学で同級生のジェリーとの会話、「ジェリー、ここの講義では良く哲学という言葉が出てきますね。日本では聞いたこと無いですよ。それは何ですか?」
 「自然現象、社会現象、なんでも宇宙で起きる現象の因果関係を説明するのが哲学です。自然科学も工学も社会科学も全て哲学の一分野です。西欧の大学では、全ての分野を哲学の一分野と考えています」「日本の大学ではそんな話を聞いたことも無い」
 「じゃあ、何を教えているの?」「工学の基礎理論です」「基礎理論を宇宙観に関連無しで教えているなら、それは職業教育、職工教育であり、欧米の大学ではそのような教え方はしないね。それは職業訓練学校での教え方だね」
 「では、日本の大学は一流じゃないと言うの?」「そうさ。例えばノーベル賞を取っている人が日本の大学に何人いるの?」
 悔しいが1960年当時は湯川博士一人しかいなかった。
 「ジェリー、一流でないとはけしからん。ゼロ戦だって戦艦ヤマトだって日本の大学の工学部の卒業生が作ったよ。ゼロ戦の性能は当時世界一だったよ」「でも戦争に負けたじゃないか。哲学的教育がないから総合的には負けたと思うよ」
 「分かった。日本の大学では欧米流に、哲学の種々の分野として学問を教えていない事が良く分かったよ。悔しいからこの話はしばらく止めよう」
 日本の大学で修士課程も含めて六年も学問を修めた直後だったのでジェリーとの会話に大きな衝撃を受けた。それ以来、哲学と学問の違いを折にふれて考えるようになった。
 @福沢諭吉の「学問のすすめ」は間違い?
 英語やドイツ語には学問という言葉が無い。少なくとも和英、和独辞書には無い。
 漢和辞典では学問の意味を「学芸を修めること」「まなぶこと」「古今東西の知識を広く憶え理解すること」という具合に説明している。知識の集大成を身につけることが学問をすることである。即ち、学問とは知識の集大成を暗記することと考えられている。
 一方、西洋では宇宙の森羅万象の法則性を取り扱うものを哲学と言い、その分野には神学はもちろん、自然科学、生物・医学、社会科学など全ての分野が包括されている。宇宙の全ての現象の法則性の予測と証明を研究の主な目的としているので雑多な知識の集大成はあまり重要でない。
 雑な言い方をすれば、東洋で言う学問は西洋の哲学というものとは全く異質のものである。明治維新のときの有名な教育家、福沢諭吉は「学問のすすめ」を大きな社会運動にし、その後の日本の教育の普及に偉大な功績を示した。福沢諭吉は欧米の初等教育、職業教育、大学における高等教育の内容も全て熟知の上で「学問のすすめ」を書いたのであろう。
 しかし西洋に追いつき追い越せという政策をとる明治政府には「哲学を教える」などという悠長な教育をしている暇がない。富国強兵に直接役に立つ西洋の工学、職工教育、職業教育に重点を置いた。戦艦、戦闘機を作る技術知識を西洋から輸入してそれを大学の工学部で教え授ける。これがその後の日本の大学の性質を決定した。社会系、文系の学部でも西洋の学説を知識として教え授けることをして来た。新しい学説の作り方は教えない。
 福沢諭吉の「学問のすすめ」にもし間違いがあるとすれば、哲学の軽視と職業教育のための知識の重視にある。少なくともそのように利用されそうな表現を用いていた事といえる。
 @第二次大戦後も明治時代と同じ大学教育
 第二次世界大戦後の日本の大学教育の重点は明治時代と同じである。先進的な工業技術知識の輸入と伝授にあり、戦後復興の重点的政策、「工業技術の追いつき追い越せ政策」を支えてきた。そのお陰で、家電製造工業や自動車工業で我が国は世界に名を馳せた。
 しかし、知識の伝授を中心にした日本の大学教育と哲学中心の欧米の大学教育の大きな相違を理解しなかった。

そのような欧米流の大学教育を日本へ導入する余裕や発想法が無さすぎた。
 教えている知識は集積回路や高速計算機に関する先端的なものであり、明治時代に伝授していた知識とは全く異なってはいる。しかし、哲学抜きという点では明治、大正、昭和、平成と時代が変わっても同じような教育をしている。
 1990年ごろにバブル経済が崩壊し日本の高度成長が止まった。我が国にやっと精神的にゆとりのある豊かな生活が広がっている。この余裕のある時代に明治維新以来忙しくて導入する余裕の無かった哲学を中心にした教育を日本の大学へ導入しては如何であろうか?
 大学を独立法人化してそれ自体の経営効率を上げることばかり騒々しいが、教育内容も深く考えなおし、西洋の大学と共通な部分をもっと増大すべきではなかろうか?大学の国際化のためにも重要であろう。今回は大学教育を取り上げて彼我の比較をしたが小学校や中学校での教育に内容の違いもいずれ取り上げて見たい。(終わり)