後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

明治時代の悪は記録に残さない・・・小金井市の廃仏毀釈

2011年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

いつの時代でも政権側にとって都合の悪い失敗は記録から抹殺されます。特に明治維新以後の学校教育で教える歴史は、政権側に不利な事実は絶対に教えません。最近、明治時代を美化する風潮がありますが、真理は真理として客観的に調べてみることが非常に重要と信じています。

明治元年の「神仏分離令」に端を発する廃仏毀釈運動は悪い政策でした。政治が宗教を指導しようとした政策でした。結果として全国で貴重な佛教関係の建物や美術品が破壊され、焼きつくされたのです。

その上、日本の古来からの神仏習合という特有の文化が強制的に排除されたのです。宗教のありかたに優劣はありません。神仏習合が悪いか、悪くないかは民衆が決めるべき問題であり、中央の政府が関与すべき問題ではないのです。

廃仏毀釈運動は、その後、多くの人々に悪政だったと思われました。

明治政府は廃仏毀釈運動をなるべく記録に残さないようにしました。その結果、どれだけ多くの仏教寺院が消滅し、何人の僧侶が強制的に神官へ転職させられたかというような統計資料が残っていません。

この問題は特に戦前には研究出来ないような社会的な風潮がありました。

しかし、いろいろな神社やお寺を訪問すると石碑が立っていて明治維新後の廃仏毀釈運動でどんな事が起きたか明確に刻んであります。

例えば戸隠神社は明治維新以前には存在していなかったのです。以前は戸隠山顕光寺という山岳仏教のお寺だったのです。神仏が習合したお寺だったのです。廃仏毀釈運動で全山の御堂が破壊され、粗末な神社が建てられました。そして現在の戸隠神社になったのです。

今日は私の住んで居る小金井市にある貫井神社(貫井弁財天)とそれに隣接する神仏習合のお寺、貫井山真明寺を取材してきました。

江戸時代は同じ境内にあったのを、コンクリートの塀で東西に分けただけで両方とも生き延びたのです。

どちらの境内にも明治元年の神仏分離令の事が石碑に明確に刻み込んでありました。明治8年に貫井弁財天は厳島神社と改名させられたのです。廃仏毀釈の嵐が終って、しばらくしてから現在の貫井神社という名前になったのです。

一方、貫井山真明寺の石碑には江戸時代には貫井弁財天の別當寺として典型的な神仏習合のお寺であったと書いてありました。そして全国の神仏習合の寺々が破壊されたのに、幸運にも本堂は江戸時代のままに存続出来たと書いてあるのです。

廃仏毀釈運動はかなり気まぐれであった事も明らかです。例えば東京の西郊には山岳宗教の神仏習合のお寺が高尾山と御岳山にありました。高尾山の方は幸運でした。薬王院というお寺と飯綱大権現という神社が現在でも同じ境内の中に仲良く存続しています。

御岳山の方は仏教に関係するお寺や御堂は現在一切有りません。廃仏毀釈運動の犠牲になったに違いありません。有るのは御岳神社だけです。

このような視点で全国の神社仏閣を調べるといろいろな廃仏毀釈運動の様子が明らかになって来ると思います。

皆様の住んでいらっしゃる土地の江戸時代の神仏習合の実態をご存知でしたなら、是非お教え下さい。お待ちしています。

下に廃仏毀釈運動の前は同じ境内に有った貫井神社と真明寺の写真をしめします。完全に隣接しています。

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宗派も無く、檀家も無く、完全に独立した仏教寺院・・・善光寺

2011年07月06日 | インポート

先週の土曜日に長野の善光寺へお参りして来ました。

このお寺の山門や本堂は規模総大な上、江戸時代の建物なので国宝に指定されています。

それよりも何よりもこのお寺は完全に無宗派で、その上檀家も持っていません。日本全国の善男男女の信仰のみで支えられている貴重な仏教寺院なのです。毎年600万人以上の参拝者が来るそうです。

私は、このように組織に属さないお寺こそが本来のお寺の有り方と信じています。その理由もあって私は善光寺が大好きです。長野市へ行く時は必ず寄るようにしています。何故かお釈迦様に直接お会い出来るような気分になるから不思議です。

=====善光寺の出来たいきさつ=================

今から1400年ほど前、現在の飯田市郊外(信州麻績の里)に本多善光(よしみつ)さんという人が現在の飯田市につくりました。

善光さんが都へ帰る国司について行った時、難波の堀の中から一光三尊の像を見つけて、それを拾い上げ、持ち帰ったのです。

自宅の臼の上に像を祀り、拝んでいたところ、台座の臼が光り輝いた。それで座光寺(善光寺)を作ったという言い伝えが残っています(推古天皇10年)。

それから41年ほどして皇極天皇元年に勅命によりご本尊を長野へ移し、現在の長野、善光寺が出来たのです。

移転した善光寺のあとには以前のご本尊と同じ形の木像をつくり、座光寺を存続させました。そのような経緯から、座光寺は元善光寺とも呼ばれるようになっています。長野へ引っ越したご本尊は毎月15日には飯田の元善光寺へ帰り、麻績の里人を守ると信じられています。

簡略に言えば、善光さんが偶然、難波の堀から拾ってきた仏像で座光寺を作りました。人々はその寺を善光さんが作ったので善光寺と呼んだのです。ところが41年後、勅命によって善光寺は長野へ引越ししてしまいました。残った寺には以前と同じ形の木像を祀り、元善光寺と呼ぶようになったのです。現在はその付近の地名を座光寺と言いい善光寺というお寺が存続しています。

尚、甲府にも武田信玄が長野を攻略し、長野から無理に甲府に持ちかえった本尊を祀った善光寺というお寺があります。しかし武田家が滅んだ後に本尊は長野へ返されました。

詳しくは、善光さんが建てた善光寺、そして三つの善光寺の関係  をご覧下さい。

下に7月2日に撮影した長野、善光寺の写真をお送りいたします。

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大津波と福島原発大事故の総括(2)原発事故で津波は想定外という言葉は正しかった

2011年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発事故から4ケ月が経とうとしています。放射能の危険を避けるため多くの人々がまだ苦しい避難所生活を続けています。

しかし放射能の危険の無い範囲に住んでいる人々は次第に冷静になりつつあります。そこで今回の福島原発事故の総括をいろいろな視点から書いて行くことにしました。1年後にもまた「総括」を書くつもりです。その内容も想像しながら4ケ月後の総括を書きたいと思っています。

3月11日午後に大津波が福島第一原発施設を襲い、停電が起き、緊急発電装置も流し去ってしまいました。完全に全電源喪失の状態になったのです。

緊急スクラム装置は正常に作動して炉心の核連鎖反応を停めることには成功しました。

しかし完全に全電源喪失の結果、炉心へ送る冷却水のポンプが止まりました。

核燃料棒の自然崩壊熱で燃料棒の温度が上がり、残存していた水が激しく蒸発し、燃料棒のジルコニウム金属被覆管と急激な化学反応を起こし、大量の水素ガスが原子炉工場の建屋内に充満してしまったのです。

その水素が何かの火に引火し4つの原子炉の建屋が大爆発をしたのです。爆発と共に大量の放射性物質(セシウム137とヨウ素131など)が福島県一帯に降り注いだのです。その詳細な経緯は3月29日に掲載した記事、福島原発の何処が壊れたか?・・・もう安心だが、、、、  に書いてあります。

さて水素爆発後に東京電力の関係者は異口同音に、「原子炉爆発の原因になった大津波は想定外だった」と言い出したのです。その言い方はいかにも東京電力には全く責任が無いと主張しているように聞こえ激しい非難を浴びました。私自身も怒り心頭に達しました。そこで私の友人で日本原子力研究所で働いていた近藤達男さんへ、感情的な怒りをぶっつけたのです。その結果、たびたび真摯なメールを貰いました。その一例が、ある原子力研究者の真摯な反省 という記事です。

近藤達男さんからの数回のメールを読んで、私は「想定外でした」という言い方は完全に正しい表現であったと確信するに至りました。

原始力の平和利用を推進してきた関係者は誰も津波の危険性を考えて居なかったのです。想像もしていなかったのです。それは東京電力の関係者だけで無く、日本全国の原子力研究者・技術者が誰も想像すらして居なかったのです。ですから「想定外だった」という表現は客観的に判断すると「正しい表現」になるのです。

東京電力には今回の大事故の道義的責任は無いのです。しかし多額の民事上の賠償責任はあります。これが4ケ月経過して冷静になった私の結論です。

しかし大津波の危険性を指摘して津波対策完了まで原発運転停止を主張していた極く少数の日本人が存在していた事も事実です。私の記事でも紹介しました。この少数の警告者の存在を無視する日本の社会の体質が今後改善すべき大きな問題として残りました。この問題は根が深い問題なので別記事で取上げたいと思います。

「大津波で原発が爆発するとは、想定外でした」という表現は正しかったのです。

しかし正しい事実だからといって誰でも、何時でも言って良いという事にはならないのです。少なくとも東京電力側は言うべきではないのです。その事をわきまえていない非常識な東京電力関係者が非難されるのは当然です。どこかの知事が「大地震大津波は天災だ」と大津波の直後に言って非難されたのと同じ理由です。被害者の感情を不必要に逆なでするから言ってはいけない事なのです。

「想定外」とは、大津波に備えて高さ10m以上の大堤防を作っていた三陸地方の町や村の住民が言うのは自由です。

4ケ月が経過して、感情を鎮め、冷静に今回の大地震・大津波と福島原発大事故に関連することを客観的に考えなおすことが非常に重要と思います。

皆さまからも客観的なコメントを頂ければ嬉しく思います。(続く)


大津波と福島原発大事故の総括(1)3月11日から30日迄の掲載記事一覧

2011年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

私は3月11日の大地震・大津波そして福島原発大事故の後、かなり感情的な記事を沢山掲載しました。しかしその感情的反応も人々と共通するような内容に書いたつもりです。

以下は3月11日大地震・大津波発生以後の3月中の53編の掲載記事です。

題目をご覧になり、ご興味のある記事をクリックすると全文が出てきます。お読み頂ければ嬉しく存じます。

現在、テレビでは大津波が船や車や家を陸上の街や農地へ押し寄せている映像を流しています(3月11日午後3時ころ)

今日の散歩は地震で大揺れしました・・・怖い思いをしました。

何故、今日の大地震と大津波が起きたのでしょうか?

今回の巨大地震・大津波が何故予測出来なかった!!!

大津波・巨大地震の被災地の方々へ・・・そして2人の弟とその家族へ

少年の頃の思い出の浜辺が皆大津波で被害を受けた・・・野蒜海岸、宮戸島、松島、荒浜、石巻

今回の原子力発電の炉心熔融と爆発には人間的ミスは無かったか?

電気・ガス・水道の無い生活を静かに受け入れる日本人の偉さ!

原子力発電所の情報隠蔽体質を批判する

インターネットに出て来る荒唐無稽な情報に惑わされるな!

原発の核連鎖反応は止める事に成功したか、否か・・・それが最重要です!

今夜の停電のために簡単なランプを作る・・・ローソクも電池も買えなかった方々へ

4号炉で火災・・・やっぱり東京電力の情報開示に問題あり!

私は仙台平野には津波が来ないと教わっていた!

今回の地震・大津波は第二次大戦敗戦につぐ第二の国難

原子力分野の技術者へ聞きたい3つの質問

地震・大津波の後で見た3つの美談

福島1号炉から6号炉までの今後の状況変化を冷静に科学的に見守りたい

海外メディアでも絶賛されている枝野官房長官!・・・そして東電の広報の貧弱さ!

大津波にまつわる美談、ー続きー

世界中の人々から届いた心強いメッセージ

原子力空母ロナルド・レーガンや普天間の海兵隊が救援活動開始

心に太陽を持て、唇に歌を・・・

危機に、落ち着いて対応している日本人の品格を褒めている外国の人々

福島第一原子力発電所は最悪の危機を回避したと信じています

福島第一原子力発電所で次々とどんな現象が起きたか?

福島第一原発への放水成功!・・・これで収束へ向かう

佛教、神道、キリスト教合同で、地震・大津波犠牲者への追悼式がニューヨークで開催されました

福島原発が散らす放射能の危険性を,冷静に考える

福島原発の放射能は危険ではない!・・・20km以上離れれば

私は福島産・茨城産のホーレンソウを食べます・・・しかし赤ちゃんは、、

シーベルトの定義と居住地の安全度の計算例の正誤を問う!

福島原発放射能に関する非常に重要な安心情報を2つ見つけました!

明るいニュース・・・ばあちゃんと孫 2人で9日間頑張った!

放射能に過剰反応せず大津波災害救援と復興を急ぐべし!

あるレベル以上に放射能汚染された農産物、乳製品、その加工食品は法律に従って自動的に出荷停止になる

1kg当たり10000ベクレルのホウレン草を食べると被爆量は何シーベルトになるか?

農作物の放射能汚染の暫定基準値を上げないと東北、関東の農業が壊滅する!

さあ、復興に立ち上がろう!・・・胸打つラーメン屋さんのボランティア活動

放射能汚染があっても、過剰に恐れる必要は絶対に無い・・・福島県の為に皆で考えよう!

危なくない放射能と危い放射能・・・福島県、頑張れ!!!

文部科学省の福島原発周辺の46ケ所の放射能強さの分布図を、何故更新しないのですか?

海抜16mにある女川原子力発電所は津波対策をいろいろしていました

福島原発炉心は収束・・・やっぱり安心出来る

福島第一原発の制御棒はどのようになっているのでしょうか?

ある原子力研究者の真摯な反省

地震・大津波・原発災害は第二次大戦の敗戦とは違う・・・東京以西は無傷

福島原発の何処が壊れたか?・・・もう安心だが、、、、

岩国、広島で見た義捐金を入れる人々・・・美しい心の絆

大津波の動画集・・・ああ、神様はあまりにもむごすぎる!!!

福島原発事故関連記事の訂正2ケ所

全国の54基の原発の脆弱な津波対策と付近の住民の心の準備

文部科学省の29日の東北、関東、甲信越の放射能測定値は安心材料!

戦後日本の技術至上主義の挫折と原発絶対安全神話の崩壊

福島原発の深刻な事態の意味と解決方法(3月30日掲載)

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人