大震災の起きた3月11日から4ケ月以上経過しました。時が経過するに従って、被災地以外の人々は大震災を忘れがちになって来ました。
プロ野球も大相撲も何時ものように賑わっています。マスコミでも、大震災関連の報道が少なくなって来ました。
しかし大津波に襲われた町の復興には少なくとも10年、いや15年はかかると思います。1945年のアメリカ軍の大空襲で焼け野原になった町の復興には10年、20年という期間がかかったのです。今回の大災害の復興は一朝一夕で出来るものではありません。
その事を思い、今回の大津波からの復興を根気よく努力しなければいけないと思います。日本人はみな被災地に心を寄せ、支援を続けることが重要と信じています。その思いを新たにする為に、下に1945年の大空襲で焼け野原になった仙台市の写真と、今回の大津波で破壊された町の写真を2枚掲載いたします。
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(1945年7月10日の仙台大空襲の後、仙台駅から南町通りの向こうの西公園方面の光景。)
空襲による戦災と大津波による被災は同じようです。復興には同じような期間と努力が必要です。
いきなり個人的な経験を書いて失礼致します。下の写真は私が小金井市に引っ越して来た1964年頃の駅前の写真です。駅舎の前の広場には水が溜まっていて、アメリカ軍のトラックを改造したバスが走っていました。1945年の敗戦以来、20年近く経過していてもこのありさまでした。
更に下の写真は引っ越して来た家の北側にあった商店へ続く道の様子です。舗装もされていなくて、風の日は土埃の舞い上がる道でした。
蛇足ながら、最後の写真は昨年やっとJR中央線の高架化が出来て、新しく整備された小金井駅の様子です。
戦後の復興と今回の大災害からの復興の大きな違いは日本の経済力の違いです。今回の大災害は全国に及ぶものでは無かったのです。
茨城、千葉の海岸地域や漁港はみな大津波に襲われましが、大被害が起きたのは岩手、宮城、福島の3県だけに限定されたのです。
しかしこの3県の被災地の復興には10年、15年と長い期間と努力が必要なのです。復興はこれからなのです。この秋には被災者のほぼ全員が仮設住宅に移れるでしょう。本格的な復興はそれから始まります。
全国の人々が心を一つにして、これから始まる本格的な復興を支援するようにと祈っています。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人