今年の小金井阿波踊りは秋のような涼しい風が吹いていました。笛太鼓の音に誘われて夕食後にブラリと行ってみました。
悲しげな盆踊りでした。大震災で亡くなった人々の魂が小金井まで飛んできたのです。その霊を慰めるようにと大人たちは踊っているようです。
本来、盆踊りは、お盆に帰って来た先祖の霊を慰め、供養する為に村々の神社の境内でしたものです。
村民が小綺麗な浴衣姿になり一緒に踊るのは楽しい行事です。すげ笠姿の女性はみんな美しく見えます。しかし亡くなった親兄弟の事を思い出すので悲しい気持ちにもなります。楽しさと悲しさの入り混じった群舞なのです。
ところが最近の盆踊りは駅前の広場や繁華な通りを交通止めにして行います。徳島県の阿波踊りがどういう訳か全国各地で踊られます。先祖の霊を供養することを忘れて賑やかなお祭りになってしまいました。それが悪いと言うのではありません。
しかし以前に見た富山県の八尾の「風の盆」のしみじみとした盆踊りを思い出します。それに比較して阿波踊りは賑やか過ぎて何故か好きになれません。
それは個人の趣味ですからこれ以上の議論が止めにします。
昨日の小金井の阿波踊りでは夜店も少なく、酔った男たちも居ませんでした。あれだけの大災害の後では心ある大人たちは浮かれて酔っぱらう気持ちにはなれません。涼しい夜風が吹きぬけて何か悲しそうでしした。
子供の頃見た盆踊りは悲しげなものでした。その理由は大人になってから理解できたのです。私の見た盆踊りは戦後でしたので、中国大陸の土になり、南海の海に沈んだ人々の面影を大人たちは考えていたのでしょう。それは楽しくて悲しい踊りだったに違いありません。
昨日の盆踊りでは、浴衣を着た子供達だけが最高に楽しそうにしています。その姿を見ている母親も楽しそうにしています。子供はいつも楽しめば良いのです。無邪気が一番です。それを見て家内も私も楽しくなりました。
今年の小金井の盆踊りはしみじみとしていて良かった。盆踊りの意味があった。などと考えながら帰って来ました。浴衣姿の老妻の下駄の音がカラコロと響く静かな散歩でした。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人