後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

大学の同級生との惜別の会・・・少しずつ別れて行く

2011年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

毎年4ケ月おきに催す大学の同級会が横濱でありました。横濱駅のSOGOの裏の横浜ベイクオーター・ビル3Fの「柿安三尺三寸箸」店が恒例の会場です。

53年前の1958年3月に仙台にある大学の金属工学学科を卒業しました。同級生は30名でした。

4年ほど前から関東地区在住の16人位が横濱に集まってビールを飲みながら昼食をする会です。4年前は16人も集まりましたが、75歳を越すと病気が出て来て次第に欠席者が増えてきます。

何となくお互いがこれで最後になるかも知れないという惜別の雰囲気が漂います。惜別は悲しいのですが大変陽気な会になります。皆が技師として思う存分腕を振るって、日本の高度成長を成し遂げたという充実感があるからかも知れません。

今日は台風が接近しているので、早めに行き、SOGOの地下の写真のようなミラノのお店の支店でイタリア風のケーキとコーヒーを摂って時間をつぶしました。

自分の病気のこと考えて、今日の同級会で少しずつお別れをしていこうと考えながらコーヒーを飲んでいました。周りには買物袋を沢山下げた女性達が楽しそうに歩いています。子供たちも母親や祖母に手を引かれてはしゃいで歩いて行きます。

私も、その同級生もみんなが間もなく消えて行きますが、眼前の光景は十年一日のごとく変わらず続いて行くのです。不思議です。でもそれも楽しい光景だと満足してこの店を後にしました。

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同級会の会場へ行くと、今回は6名だけの出席でした。そして欠席の11名からは近況のメッセージがありました。心身ともに健康な同級生は三分の一位で、あとは透析をしているとか、インシュリンの注射を食事の度にしているとか、いろいろな病気が出ています。

T石 さんは趣味の絵画の展覧会もこれが最後になるかも知れないと言いながら案内状をくれました。

私も体力がついて行けなくなってヨットを売った事を報告しました。

特に横濱に集まる同級生は2、3度ヨットに来てくれました。セイリングを楽しんだ後、キャビンの中で福島から来てくれたH野 さん持参のシャンパンを飲んだ楽しい思い出は忘れられません。参加してくれた同級生へ感謝しながら、ヨットともお別れです。

思い返すとこの30名の大学の同級生とは現役の間も毎年のように懇親会をして来ました。大変お世話にもなりました。

我々が1958年に卒業した仙台の大学は、以前は帝国大学でした。当時は既に新制大学になっていましたが教授陣や事務所職員は帝国大学時代そのままの考え方で学生を教育していました。それは現在は考えられないようなエリート教育でした。エリート教育には功罪がありますが、良い部分のみ残そうと教授陣が努力していたのです。

一緒に卒業した30名の同級生は口には出しませんでしたが「エリートとしての誇りと責任感」を持っていました。お互いに尊敬しあう雰囲気が今日の横濱の会にも漂っていました。病気になってもジタバタしないで静かに死んで行くという覚悟を皆が持っているのです。

そのように教育を受けた日本人が存在していたという記録を残すのも意義があると思い記述して見ました。日本の旧制の学校教育の欠陥を指摘する事は簡単な事です。しかしほんの少しではありますが良い側面も存在していたと私は信じています。

それもこれも皆、時代の流れです。流れる水を逆流させようとする事ほど愚かなことはありません。しかしどんな時代にも良いもの、善いものが存在したのです。どんな時代でも貴重な考え方や制度があったと理解するのが正しい理解の仕方ではないでしょうか?

つまらない事を書いて大変失礼しました。お許し下さい。(終り)


温泉のある日本は素晴らしい・・・北杜市の尾白温泉の風景

2011年07月19日 | 写真

八ヶ岳や甲斐駒岳の麓に広がる北杜市には市営の大型温泉施設が幾つかあります。ここのご紹介する写真はその中の一つの尾白の湯です。名水公園べるが とも呼ばれています。高濃度の赤湯が珍しい天然温泉です。7月16日に撮りました。

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なでしこジャパン、日紡貝塚、古橋・橋爪・・・日本人へ誇りと元気を与えた歴史的快挙

2011年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

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なでしこジャパンの優勝は驚きです。驚きと同時に、大震災・原発事故で暗い日々が続く日本を一挙に明るくしました。女子サッカーチームがまさか世界一になるとは誰も思っていなかったのです。

昨夜、NHKプレミアムTVで丁寧に見る事が出来ました。アメリカチームが延長戦最初のゴールを決めます。優勢な試合運びだったのでこれで日本は負けたと思いました。

しかし、試合終了3分前に日本側が1点を取り返したのです。

コーナーキックを直接蹴り返し、ゴールを決めた美技には息を飲み、しばらくは何が起きたか分かりませんでした。

2対2の後に続いたPK戦も華麗な技でアメリカ軍を下しました。

これは歴史的な事件です。嬉しい大事件です。日本民族へ勇気と誇りを与えたのです。

アメリカ、ドイツなどの欧米のマスコミは日本の優勝は大震災で暗く沈んでいる日本民族へ誇りを与えたと讃えています。中国のマスコミは日本民族を見習うべきだと報じています。これで大震災からの復興へ弾みがつきます。

考えてみるとスポーツの日本チームの優勝で日本民族の歴史的発展のキッカケとなった事例は幾つかあります。

1964年の東京オリンピックにおける女子バレーボールチームの世界制覇です。そのチームは日紡貝塚と言いました。日本紡績株式会社、貝塚工場の女子バレーボールチームです。1964年の東京オリンピックで優勝したのは日紡貝塚だけではありませんでしたが日本中が一番熱狂したのは女子バレーボールでした。

この優勝がその後の高度成長のキッカケになったのです。戦後の花形輸出産業だった紡績業から家電産業や自動車産業へと花形産業が変わって行きました。そして日本の経済成長が進んだのです。

高齢の人々は同じような意味で、水泳の古橋や橋爪の事を絶対に忘れていないと思います。

日本中の大小の都市が焼けつくされて、完膚無きまでに叩きのめされた日本の敗戦後は暗いものでした。誰もが意気消沈していて日本民族もこれで終わりかと思っていました。日本語を止めて英語を公用語にしようとするニュースすら流れたのです。流石にそれはありませんでしたが、学校で随分丁寧にローマ字を習いました。 

そんな折に日米水泳大会があり、古橋が圧倒的にアメリカ側を下し、自由形の世界記録を塗り返したのです。橋爪も古橋に続く2位で、アメリカ側へ大きな水をあけたのです。敗戦でうち沈んでいた日本中が一挙に明るくなりました。新聞の一面は連日そのニュースで大きな活字が躍っていました。復興にはずみがついたのです。

今回の「なでしこジャパン」の優勝は日紡貝塚や古橋・橋爪と同じような歴史的意味があります。大震災で自信を喪失していた日本民族へ誇りと元気を与えたのです。有難うございました。多くの日本人は感謝しています。本当によくやりました。

「なでしこジャパン」、万歳です。

今日は、この「なでしこジャパン」の優勝で、大震災の復興が一日でも早く進むようになる事を、皆様と一緒にお祈りしたいと思います。藤山杜人