毎年4ケ月おきに催す大学の同級会が横濱でありました。横濱駅のSOGOの裏の横浜ベイクオーター・ビル3Fの「柿安三尺三寸箸」店が恒例の会場です。
53年前の1958年3月に仙台にある大学の金属工学学科を卒業しました。同級生は30名でした。
4年ほど前から関東地区在住の16人位が横濱に集まってビールを飲みながら昼食をする会です。4年前は16人も集まりましたが、75歳を越すと病気が出て来て次第に欠席者が増えてきます。
何となくお互いがこれで最後になるかも知れないという惜別の雰囲気が漂います。惜別は悲しいのですが大変陽気な会になります。皆が技師として思う存分腕を振るって、日本の高度成長を成し遂げたという充実感があるからかも知れません。
今日は台風が接近しているので、早めに行き、SOGOの地下の写真のようなミラノのお店の支店でイタリア風のケーキとコーヒーを摂って時間をつぶしました。
自分の病気のこと考えて、今日の同級会で少しずつお別れをしていこうと考えながらコーヒーを飲んでいました。周りには買物袋を沢山下げた女性達が楽しそうに歩いています。子供たちも母親や祖母に手を引かれてはしゃいで歩いて行きます。
私も、その同級生もみんなが間もなく消えて行きますが、眼前の光景は十年一日のごとく変わらず続いて行くのです。不思議です。でもそれも楽しい光景だと満足してこの店を後にしました。
同級会の会場へ行くと、今回は6名だけの出席でした。そして欠席の11名からは近況のメッセージがありました。心身ともに健康な同級生は三分の一位で、あとは透析をしているとか、インシュリンの注射を食事の度にしているとか、いろいろな病気が出ています。
T石 さんは趣味の絵画の展覧会もこれが最後になるかも知れないと言いながら案内状をくれました。
私も体力がついて行けなくなってヨットを売った事を報告しました。
特に横濱に集まる同級生は2、3度ヨットに来てくれました。セイリングを楽しんだ後、キャビンの中で福島から来てくれたH野 さん持参のシャンパンを飲んだ楽しい思い出は忘れられません。参加してくれた同級生へ感謝しながら、ヨットともお別れです。
思い返すとこの30名の大学の同級生とは現役の間も毎年のように懇親会をして来ました。大変お世話にもなりました。
我々が1958年に卒業した仙台の大学は、以前は帝国大学でした。当時は既に新制大学になっていましたが教授陣や事務所職員は帝国大学時代そのままの考え方で学生を教育していました。それは現在は考えられないようなエリート教育でした。エリート教育には功罪がありますが、良い部分のみ残そうと教授陣が努力していたのです。
一緒に卒業した30名の同級生は口には出しませんでしたが「エリートとしての誇りと責任感」を持っていました。お互いに尊敬しあう雰囲気が今日の横濱の会にも漂っていました。病気になってもジタバタしないで静かに死んで行くという覚悟を皆が持っているのです。
そのように教育を受けた日本人が存在していたという記録を残すのも意義があると思い記述して見ました。日本の旧制の学校教育の欠陥を指摘する事は簡単な事です。しかしほんの少しではありますが良い側面も存在していたと私は信じています。
それもこれも皆、時代の流れです。流れる水を逆流させようとする事ほど愚かなことはありません。しかしどんな時代にも良いもの、善いものが存在したのです。どんな時代でも貴重な考え方や制度があったと理解するのが正しい理解の仕方ではないでしょうか?
つまらない事を書いて大変失礼しました。お許し下さい。(終り)