後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本は仏教徒が90%、キリスト教徒5%、その他の宗教信者5%位になるのが良いと信じています

2011年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム
私のブログでは明治時代へのかなり厳しい見方を書いて来ました。 そして仏教についても誤解されそうな書き方をして来ました。ここでその理由について明快な説明をしたいと思います。

(1)明治維新以降の先人達へ厳しい評価をしている事について。

日本が明治維新を敢行し、欧米の植民地になることを防止出来た事は素晴らしい大成果です。勇気と迅速な決断で薩長土肥のグループが近代国家を作り上げたことは日本民族にとって画期的な大貢献です。

この大成功に目が眩んで明治時代の陰の部分を忘れ、欠点が皆無であったとすれば、それは客観的歴史観とは言えないと思います。

例えば何故、自由民権運動が起きたのかという問題もその一つです。その後に起きた、幸徳秋水ら24名を死刑にした大逆事件なども、明治政府の行き過ぎた明治天皇中心主義の暗黒史です。

明治時代は大局的に見れば日本民族にとって大変良い時代であったと私は信じています。しかしその影の部分を忘れるのではなくキチンと書き残す事も非常に重要なことと信じています。明治の先人達を尊敬しつつも、暗黒な歴史を書くのも義務と信じています。

(2)日本から仏教の影響を排除する事の是非について。

私はカトリック信者ですと何度も書きました。

しかし、私は日本人の全てがクリスチャンになってしまえば良いと思っていません。

私のカトリック信仰はそのように狂信的ではありませんし排他的でもありません。

むしろ私は仏教が大好きです。日本は天平、飛鳥時代から佛教国になったのです。日本中には10万以上のお寺があります。お釈迦さまの教えを日本人はよく知っています。今回の大震災で日本人が動揺することなく静かに運命を受け入れた態度を外国人が称賛しています。

その態度は日本人が仏教の影響を深く受けていた証拠と思います。私はその事を大変嬉しく思いますし、誇りに思います。

西洋の個人を尊重する考えや民主主義は、お釈迦様の教えになんら矛盾しません。お釈迦様は人間の一人一人を大切にし、その無限な慈悲の心を示して下さいます。貧富や年齢や男女による差別をお釈迦様は悲しんでいます。

日本人の90%くらいの人々が善い仏教徒になればとても平穏で幸多い国になると思います。あとの5%くらいがキリスト教徒で残りの5%位がイスラム教やユダヤ教などのその他の宗教の信者になれば最良と思っています。そして違う宗教の日本人がみんな仲良くして、世界に模範を示すのが良いと信じています。

そして全ての宗教の日本人は古来からある神社に敬意を表し、神道を支援するようにする事も大切ではないかと思います。

違った宗教を習合するのでは無く、お互いに尊敬しあって仲良く生活をする事こそ一番良い事と信じています。

そのようになる事を祈っています。


流れ行く日々・・・老後の楽しみと悲しみ

2011年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事を全然しない老後の日々は想像以上に楽しい日々です。しかし社会とのつながりが次第、次第に薄くなって行き、なんとなく悲しい気分になります。

そんな流れ行く日々の様子を写真で示しながら書いて行うと思います。

今年は節電で冷房装置をなるべく使わないと家内が言い出しました。そして夕日が暑く射し込む西窓をゴーヤの葉で覆うという計画を発表しました。私の役目はホームセンターから農業用の網を買って来て、窓の外に取りつけることです。

本当にゴーヤの弦が登って来るのか心配でしたが、下の写真のようになりました。ゴーヤの実も4個なっています。もう少し大きくなればゴーヤチャンプルを家内が作ってくれると言います。こんな詰まらない事がめっぽう楽しいのです。そして夏の日々が静かに流れて行きます。

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年をとるに従って確実に体力が無くなって行きます。もう山登りや激しいセイリングは出来なくなりました。それは悲しい事です。

しかしあまり体力の要らない散歩はいくらでもでもできます。なにせ時間だけはたっぷりとあります。住んで居る小金井市の地図を見て散歩のルートを決めます。

見ると武蔵野公園の西に「薬師通り」とか「七軒家通り」という江戸時代の名前のような通りがあります。一度も行った事の無い通りです。

早速行ってみました。大変ガッカリしてしまいました。江戸時代どころか昭和の面影もありません。小さな新築の家々が延々と並んでいて、狭い道を車が苦しそうに走ってるだけです。狭い道幅だけが江戸時代の農道を暗示しているだけです。

あまりばかばかしいので道のそばに咲いている花々の写真を撮って自分を慰めました。下にそのような花の写真を2枚示します。

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七軒家通りが突き当たった所に下のような武蔵野公園の入り口がありました。すかして見ると奥の方まで見事な雑木林になっています。その奥行きの深い感じを写真に撮ろうとしました。その一枚の写真が下のものです。ほの暗い林の感じを写したつもりです。

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暗い林の中へ魂が吸い込まれるような気分です。何故かそれが快感と感じます。「こずかたのお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五のこころ」という啄木のうたを思い出していました。

そして、先日、贈呈された寺島博之さんの詩集、「西瓜を食べた後で」の書評をどの様に書こうかと考えながら歩いていました。

こうして静かな日々が今日も流れて行きます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人