後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

無駄な時間を過ごす老境の安逸と淋しさ(5)高尾山裏の城山頂上へ登って来ました

2013年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム

若い頃は日帰りで、高尾山、城山、小仏峠、景信山、陣馬山と縦走したものです。

それが昨日、城山だけでもと思って登り始めましたが、途中で挫折してしまいました。老化して脚力が衰えたのです。しかし諦めきれず今日は午前中から昨日と同じ日影沢林道を登りはじめました。今日は健脚の家内を伴い、疲れたら引っ張り上げて貰おうという算段です。

しかし1時間30分で標高670mの城山の頂上に立てました。両手に杖を持っていたお蔭で、 別に家内に引っ張って貰う必要もありませんでした。

日影沢林道は道案内書に出ていないので、人影もまばらでした。ウグイスやコジュケイの美声が静かな谷から尾根の上までよく響いています。それに若葉の美しさは格別でした。下に写真をお送りいたします

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林道は新緑の雑木林と杉林に囲まれた道です。幅は広い道ですが急な登りが続きます。しかし涼しいくらいの爽快な風が吹いていたので足が軽く動きました。

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根気よく1時間ほど登ると視界が急に開け、はるかな高みに城山の頂上にあるアンテナが見えました。しかしそこから頂上まではさらに30分かかりました。

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城山の頂上の東には標高が100mくらい低い高尾山のケーブルカーの終点のある山が見下ろせます。ああ、やっと城山に登れたといささか誇らしい気分になれました。

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人影の無い日影沢林道からいきなり頂上に出ましたところ、大きな茶店があり50人ほどの人が昼ご飯を食べているのには驚きました。

それもその筈で、この山頂は高尾山から景信山、陣馬山への縦走路の中間点の上、大垂水峠や相模湖へ降りる道の分岐点なのです。

連休最後の休日なので子供連れの家族や老夫婦など数多くの人々で茶店が繁盛していました。我々の食べたナメコ汁と小豆のぜんざいに料理をした人の誠意がこもっていて感心しました。

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帰りの道では、小さな花々にカメラを向けるゆとりも持てました。

平凡な老夫婦の静かな一日でした。(終り)


長嶋さんと松井さんの国民栄誉賞受賞、本当におめでとう御座います!!!

2013年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム

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写真の出典は、 http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2013050602000125.html です。

本当に嬉しいことでした。おめでとうと心から申し上げます!

私自身はスポーツ音痴でプロ野球のに事情にはあまり詳しくありません。

しかし4代にわたる巨人ファンの家内がよくテレビ中継を見ていたので、私も長嶋さんや松井さんの天才的な打撃と守備ぶりには感心していました。スポーツ音痴の私でもあれこそ本物の天才だと信じていたのです。

その才能を大切にし、敬意をもって国民栄誉賞を与える安倍総理も偉いし、それを心から祝福している日本人も偉い人間だと感動しています。

王さんも国民栄誉賞を随分前に貰いました。今回、長嶋さんと松井さんが一緒に貰ったことは師弟の間柄だった本人たちが一番嬉しかったに違いありません。

上の写真は昨日の受賞式で賞状にそえて贈られた金のバットを2人で持っている場面です。2人の想いを想像すると涙が出そうになります。長嶋さん生きて、リハビリして、今こうして弟子とともに金のバットを持っているのです。・・・・・・・・・・・

それもさることながら、松井さんへの長嶋さんの長い間の指導の内容を聞きました。球をバシッと打て、ヘソに集中しろ、素振りを怠るなと言う以外、へ理屈や説教を一切しなかったそうです。自分がひどくカーブするボールをバシッと打って見せる指導です。天才が天才を指導する方法です。

一方、松井さんは沢山ホームランを打ちましたが、打たれたピッチャーの気持ちを想い、一度もガッツ・ポーズをしなかったそうです。そして彼はどんな場合もファンへ笑顔を向けて、誠実にサインをしていました。

その上、松井さんは12年間ベトナムの貧しい子供20人へ送金をし支援してきたのです。支援を受けたベトナムのホンさんとフエンさんを訪問した記事が今日の読売新聞の34面に出ています、「ゴジラ 子どもに夢」と題する記事です。こちらも是非ご覧下さい。

長嶋さん、松井さん、本当におめでとう御座いました!

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)