後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

農業をする田舎暮らしと別荘に住むだけの移住は別ものです。

2013年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝の記事、田舎暮らしへの憧れと厳しい現実・・・移住はやめた方が良い では、「田舎暮らし」の定義として、「農業を楽しむ目的の移住」と限定しました。

しかし実際には農業を一切しないで、単に別荘に転居して、住民票は田舎の自治体へ提出して、都会から引っ越す人も多いものです。

その別荘地に隣接する村落の地区の組み合いには加入しないで独自の生活をするのです。

このような移住の仕方のほうが問題が少なく、かえって良いようです。

私の森の奥の小屋の近所にもこのように農業をしないで、貯金だけで生活して別荘に住み込んでいる人が5人ほど居ます。

大体は奥さんを都会において自分だけが別荘に住んでいます。

住民票は北杜市へ提出し、住民税も北杜市へ支払います。しかし地区の組合に入っていなのでゴミ集めなどの行政サービスは無いようです。

しかし市民なので北杜市の市営の温泉センターは格安で入浴できます。

地区の組合に入っていないので面倒な共同作業には出る必要がありません。ですから地元の人々とは没交渉です。

見ているとその方が両方にとって良いようです。

従って無理に農業をする田舎暮らしをするより、まず住民票を動かさないで、冬のあいだ別荘に住んでみることをお薦めします。

それで5年は住み続けられる自信がついたら住民票を動かせば良いのです。

この場合、都会の家はそのまま残して置きます。

高齢になって病気になったら病院施設の完備している都会へ戻ったほうが良いのです。実際に私の小屋の近所の人も病気になって都会へ戻った人もいます。

以上のように都会から田舎暮らしへ移行する場合には、段階的に少しずつするのが安全なのです。

今朝の記事、田舎暮らしへの憧れと厳しい現実・・・移住はやめた方が良いへの補足として書き加えました。(終わり)


田舎暮らしへの憧れと厳しい現実・・・移住はやめた方が良い

2013年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

山梨県、北杜市の甲斐駒岳山麓の森の中に小さな小屋を作って40年間通っています。一泊か二泊だけして帰って来ます。

ここで、「田舎暮らしを周りの農民と同じ暮らし方をする生活」と定義してみます。

そうすると私には田舎暮らしは無理です。出来ません。

それにもかかわらず、田舎暮らしをしたいという人が絶えません。

下のような風景写真と八ヶ岳の麓の住宅の写真を見て田舎暮らしへ憧れる人が多いらしくて、時々、移住の相談を受けることがあります。

先方の希望やお話を聞くのは楽しいものです。愉快な話が多いので、つい長話になります。しかし私は静かに徹頭徹尾、田舎暮らしには反対です。そういう意見を丁寧な言葉で言います。

今日の記事では、何故、私が反対意見を静かに言い続けるか、その理由を書きます。

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上は甲斐駒岳山麓の蕪(かぶら)開拓地の風景です。下は北杜市白州地区の新しい住宅区で、後の山は八ヶ岳です。

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東京の家の半額近い値段なので定年後は都会の自宅を売って空気の良い北杜市へ移住し農業をしたいという相談を何度か受けたことがあります。

そこで実際に移住した人々を数人訪問してその体験談を少し聞き集めたことがあります。

その結果、私は以下のような条件の全てが満足されていなければ田舎への移住し農民と同じ生活をすべきでないという結論にいたりました。

(1)夫婦揃って本当に田舎暮らしが好きで、夫婦がそれぞれ車の運転が出来る。

(2)夫は稲作や農作業が大好きで、自給自足以上の米や野菜を作る決心をしている。

(3)奥さんもガーデニングが好きで、独自の趣味をしっかり持っている。

(4)自宅の中は完全に都会風で、日常の生活が清潔で便利に出来ている家である。

(5)日当たりが良くて、近くにスーパーや病院があるような立地条件になっている。

(6)ゴミ収集や無料の健康診断のような市役所のサービスが悪くても不平不満を言わない。

(7)村落の地区の区費を毎月出して共同作業に参加する決心をしている。

地元の不動産業者も訪問して話を聞きました。そこで聞いたことを以下に書きます。

まず夫婦そろって訪問したら物件の写真を見せて、丁寧に説明するそうです。しかし奥さんがしっかり者で、移住に反対そうなら、それ以上、現地を案内したりしないそうです。いずれ夫は奥さんに説得されて移住は断念するそうです。

夫婦で2度、3度と熱心に同じ不動産業者を訪問したら本気で対応し、物件を幾つも案内するそうです。

そして案内しながら上の7つの条件のことをさりげなく説明するそうです。

私の訪問した不動産業者は地元を愛していて、本当に定住してくれる人だけに家を売り、その後の面倒もよく見ていると言っていました。
一方、移住した人に聞くと、上の7つの条件のうち(6)と(7)が一番の鬼門で、苦労していると言います。

全国そうでしょうが農村や漁村では地方自治体の行政を村落ごとに設定した00地区に任せます。その地区の区長が中心になった自治組合が市役所と交渉してゴミ集めや自治体のバスの停留所の場所や巡回頻度を決めます。

移住後に農作業を楽しもうとしたら、まず区長に相談し、農機具を無料で貸してくれる農家を紹介してもらいます。

農村や漁村では市役所ではなく区長との付き合いと交渉が不可欠なのです。

区長は毎年か2年おきに交代しますが、本来の住民がします。移住者は区長になれません。

この仕組みを深く理解し、上手に対応出来る場合は田舎暮らしが成功するのです。

私も小屋を作ったとき区長と話をし、区費も払っていましたが、2年で脱会しました。東京での仕事の合間に、たまにしか小屋に泊まりに行く私は村落で毎月行う共同作業には参加できません。区費も高いのです。

都会に家を持って、都会で働いていて時々だけ田舎に泊まるであれば、区の住民にならないほうが良いのです。

ですからこそ、上の7つの条件の全てが満足していないかぎり、私は田舎への移住し、農業をすることに反対なのです。

しかし田舎暮らしに成功し、大いに人生を謳歌している人もいます。以下にその一例をご報告します。

053 この家は北杜市の白州の尾白の湯の周囲の田圃に囲まれた村落にあります。047_2 051_2

年ほど前に、夕焼けの八ヶ岳や甲斐駒の写真を撮ろうとブラブラしていました。

そうしたら、大根を一輪車に満載した男性に出会いました。

田舎暮らしをしたくて、定年後、都会生活を引き払いご夫婦で引っ越してきて、10年くらいになるそうです。 まあ、お茶でもどうぞ、と招じられました。

上の写真のように都会風の家です。下の方は広々とした水田になっています。

 南には地蔵、甲斐駒、北には八ヶ岳、東には金峰山が見えます。

 下の左の写真は、声楽がご趣味の奥様の作ったカボチャです。奥様はもっぱらガーデニングが趣味で、ロマンチックな洋風の庭を作り上げています。

下の右の写真はご主人のK氏が使っている300坪の水田です。これで毎年7俵(420Kg)のお米が取れるそうです。他に畑も借りて野菜も作っています。米も野菜も完全有機栽培で農薬は使っていません。

農機具や水田はほんの少しのお金で村落の人が貸してくれるそうです。農作業の仕方も親切に教えてくれるそうです。どうもその地区の区長さんと仲が良いようです。

 k氏は有名なあるベアリング製造会社の研究所で定年まで働いていたそうです。研究所長をしていたそうで、悠揚迫らない雰囲気です。筆者も技術的な研究をして居ましたので話が合いました。

家の1階の大きな部屋には高級なステレオ装置とピアノがあります。

一角には食卓用のテーブルがあり、そこに座れば地蔵岳や金峰山が見えます。手前に目をやると芝生と草花の庭があり、その先には水田が広がっています。陽射しが明るい場所で、昔からの村落の端にあります。 

ピアノが置いてあっても狭く感じません。奥様は毎月、何度か都会の声楽の先生の所へ通い、ソロの演奏もしています。田舎でレッスンの合宿もするそうです。近くの花白州というペンションに泊まりながら。(このペンションへもその後取材のために寄ってみました)

偶然にお会いしたK氏の暮らしは上の7つの条件を完璧に満たしています。 

多くの人々は農作業が好きではありません。 しかし、農作業が好きでも野菜作りまでです。水稲栽培が出来る都会人は少ないものです。 

一般的には奥さんが都会に残り、ご主人だけで田舎に住んでいる人が多いです。こういう場合は家庭を犠牲にしているので長続きしません。 

山林の中は日当たりが悪くて、ジメジメしています。ですから山林の中の別荘は安価なのです。

ですから、k氏は土地が高価でも日当たりの良い農地を購入し、宅地へ変更申請をしたそうです。水田は借りたそうです。

 各種のベアリングは現代技術の根幹技術です。この地味な分野の研究をこつこつ努力してきたK氏だからこそ実行出来た、「完璧な田舎暮らし」ではないでしょうか?(撮影日時:2008年10月28日夕方、撮影場所:山梨県北杜市、甲斐駒や八ヶ岳山麓にあるK氏宅にて、)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)