上の写真は1963年に小金井市本町小学校西交差点から北に向かって撮影した写真です。私達の家の近所です。
私どもが小金井市へ引っ越してくる前の年の風景です。
道路は砂埃の舞い上がる土の道で、交差点には信号機が一切付いていませんでした。
道の左手に酒、味噌、醤油、野菜などを売る店が一軒あるきりでした。
その周囲には畑になっていて野菜が伸びています。
この道の奥の左側には現在は消防車庫になった火の見櫓があり、その向こうは当時としては贅沢な鉄筋コンクリート4階建ての公務員住宅が並んでいました。
引っ越してから食料品はこのよろず屋から買っていました。仲良くなりずいぶん長い間のお付き合いでした。それが数年前に倒産してしまい、現在は有りません。
下の写真が現在の同じ場所の写真です。道路の左にあるマンションと果物の看板のある八百屋さんが、倒産した昔の店の跡地に建ちました。
日本の高度成長の結果、土の道は完全舗装され信号機も付きました。
道路の両側から畑が消え、住宅や商店が綺麗に並んでいます。泥や土埃が完全になくなり清潔な街路になりました。
その後、この通りで繁盛していたソバ屋さん、本屋さん、電気屋さん、お茶屋さん、御菓子屋さんなどの個人商店が10年くらい前から一軒一軒と消えて行きました。
京王ストアーというスーパーだけが生き残りました。
日本の経済の高度成長のお陰で我々の生活レベルは格段良くなりましたが、何故か淋しいかぎりです。
下の写真と比べて見ると1963年の日本の貧しさが肌に感じることが出来ると思います。
(1963年の写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。)
一方、東京駅前の旧丸ビルも無くなりました。有楽町駅前の日劇ビルや朝日新聞社も消えてしまいました。時の移ろいに何か空しいものです。
そして小金井でも、よく花や植木をよく買った馴染み深い花屋さんも突然倒産して消えてしまったのです。常日頃なじんで、生活の一部になっていた花屋さんが消滅したのです。
下の写真の回転寿司の同じ場所にその花屋さんが存在していたのです。
広い温室に熱帯の花々をあふれるように飾っていた園芸店・花屋でした。
店も広くて2棟の店内には鉢植えの花々が沢山売っています。店の前には蜜柑、柚子、柿、栗、葡萄の苗木が小さな実をつけて売っていたのです。
毎年、年末になると見事なシクラメンの鉢を幾つも買うのが家内の楽しみでした。
八重桜の苗やライラックの苗も買いました。
何時行っても四季折々の花々が豊かに飾ってあるので、植物園へでも行くような気分で家内と散歩のように通ったお店です。
あれは40年以上前でしょうか、その店で、背の高い物静かな青年が一人で花々の苗を育てていました。その青年から、雪の間に鮮やかに咲いていたパンジーの苗を買ったのが付き合いの始まりでした。
間もなく陽気な体格の良いお嫁さんが来て、温室を建て、その数が次第に増え、商売が繁盛します。アルバイトの若い男女を大勢使うようになり華々しい雰囲気の園芸店になりました。
それが数年前に突然倒産し消滅しました。
張り切って花を栽培し、あちこちから仕入れて来て、売っていた陽気な奥さんと、物静かな夫の姿が消えました。
あれ以来二度と会っていません。何処か遠方へ行ってしまったようです。
しばらく空地になっていましたが、突然下の写真のような回転寿司がやってきました。
私は一人で出かけ、寿司を食べながら「ああ、この辺には温室が有ったなあ!色々なランの花々が有ったなあー」と、花々のことを鮮明に思い出しながら食べます。その折々の家内の明るく輝く顔も思い出します。
新しいお寿司やさんは、値段の割には努力している店です。その上、私の心の中には美しい花々が有るので美味しく食べることが出来ます。
しかし、それと同時に世のはかなさを感じ、悲しい思いにさせられる場所でもあります。
楽しくて、悲しくて、はかなくて、せつない。
老齢になるとそんな気持に時々なるもののようです。
貴方様にはそのような場所があるでしょうか?(終わり)