日本人の宗教とはどんなものだったのでしょうか?
江戸時代までは仏教のお寺と神社が同じ境内に建っている神仏混淆が普通でした。
しかしお寺が併存しない小さな神社だけも沢山あったのも事実です。
私の住んでいる小金井市は、江戸時代は武蔵国の小金井村という農村でした。
東西に延びる国分寺崖線の南側の下には野川が流れ水が豊かだったので水田も広がっていました。
そして国分寺崖線の上の北側の台地は、江戸初期までは水利もなく田畑もあまり出来ませんでした。江戸初期に玉川上水が出来て分水を貰えるようになってから多くの人々が住み着きました。
したがって小金井村の野川の周囲の神社は、鎌倉時代や、それ以前から存在していましたが、それに対して、北の台地の上にある神社は江戸時代から出来たものが多いのです。
ところで江戸時代の人々はどのような思いをもって神社に参拝していたのでしょうか?
それを示す手がかりを探して、近所の小さな神社を丁寧に見ながら写真を撮って来ました。
まず一番最初に小さなお稲荷さんの説明板を示します。大きな松の木の下にありました。
・上の説明を読むとこんな小さな神社でも信仰する人々は数多くの村に住んでいたことが分かります。近年歩道の拡張や隣に大きいマンションが出来、どうなるのかと心配しておりました。けれどご覧のように新しい玉垣が作られ、健在だったので安心しました。
・上と下の写真は五日市街道に面した秋葉社という小さな神社です。隣に海岸寺というお寺がありますので江戸時代は同じ境内にあったのかも知れません。
・下の小さな稲荷神社は五日市街道に向って、背後は小金井公園の林になっています。ささやかな神社ですがよく掃除がしてありました。
・下の稲荷神社は小金井駅から東京農工大学へ行く「農工大通り」に面しています。神事をきちんとしている様子が伺えました。
さて今日このようにささやかな神社を巡って感心したことは、神社がどこも清潔に掃除してあることです。そして江戸時代から寸分変わらず静かな雰囲気が囲んでいるようです。
神社へ参拝して、家族の健康と家内安全をお稲荷様へ祈るのです。それは素朴な信仰心です。
しかしこの素朴な信仰心を大切にすることが全ての宗教にとって重要なことと私は信じています。
少し汗ばむような暑い午後でしたが静かな、そして小さな神社をめぐり歩きながら私の気持ちは幸せでした。そして江戸時代にここに住んでいた人々のことをあれこれ想像していました。
続編では小金井にある大きな神社についてご報告いたします。(続く)