後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

こういうふうに水が流れている所にはモリアオガエルは卵を産みません

2013年06月18日 | 写真

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この小屋の周囲にはモリアオガエルが沢山棲んでいる筈ですが静止した水のある池や沼が無いので卵を生みに来ません。来年あたり池でも作ってみようかと思っています。下の写真の小川の左側は木が生えていて湿地になっていますので「少し穴を掘ったら小さな池が出来る」と太平楽な家内が云っているのですが・・・・・

モリアオガエルの鳴き声と映画は、http://www.youtube.com/watch?v=Gjo1mjG2U8Y に御座います。

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水が流れているとオタマジャクシが下流へ流れてしまうのでカエルは卵を生みません。しかし不思議に青ガエルはこの川を泳いでいます。何処に卵を生み、、何処でオタマジャクシが成長して蛙になるのかが不思議です。そして東京の自宅の庭にも毎年ガマカエルが出て来ます。何処でオタマジャクシが育つのか不思議です。近所に池や沼が一切存在しません。

何方か教えて下さいませんでしょうか?

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スペイン内戦で戦死した唯一の日本人、ジャック白井の悲劇

2013年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

1936年から1939年のスペイン内戦は共産革命をしようとしていた勢力(共和国側)とそれを粉砕しようとしたフランコの軍人部隊の間の国内戦争でした、。

ソ連共産党はドイツの軍事力に怖れていたので、ドイツの背後に共産国家のスペインを作ろうとします。それは当然の戦略です。

そこで国際共産党組織のコミンテルンを利用して4万人の志願兵をスペインへ送り込んだのです。

それを「国際旅団」と称します。

ソ連はその軍隊の共産主義的色合いを隠して、「フランコの軍事独裁主義」へ対抗する自由主義者の国際義勇兵として宣伝しました。

その宣伝は功を奏してヘミングウエイなどのそうそうたる知識人が参加したのです。

その国際旅団の総数は延べ6万人と言われていて、その出身国は以下のようになっています。

全体で延べ6万人ほど。

フランス 10000人

ドイツ 5000人

ポーランド 5000人

イタリア 3350人

アメリカ合衆国 2800人

カナダ 2000人

イギリス 2500人

チェコスロバキア1500人

ユーゴスラヴィア 1500人

ハンガリー1000人

メキシコ 1000人

デンマーク 500人

スウェーデン 500人

アイルランド 250人

フィンランド 300人

中国100人

オーストラリア 60人

アルバニア 27人

ニュージーランド 12人

日本 1人

上の表で驚くべきことは「フランコの軍事独裁主義」側を国家として軍事支援していたドイツとイタリアからそれぞれ5000人、3350人も国際旅団側へ参加している事実です。

中国も100人も参加しています。

そして日本は記録に残っているのはただ一人のジャック白井だけだったのです。

これらの内、何割が共産革命をしようとしたか、何割が自由主義国家のスペインを作ろうとしていたか不明です。

ジャック白井は1900年ごろ函館近辺で生まれ、両親に捨てられ、函館の孤児院で育ちました。少年のころ年齢を偽り外国航路の貨物船で働き出します。

そしてニューヨークに流れ着きコックとして働いていました。労働者を助ける政治運動をしていたので、当然、共産主義に染まっていたはずです。

しかしソ連共産党の大規模な粛清や農民の大量餓死などについては知らなかったはずです。スターリンが厳重な情報管理をしていた時代でした。

ジャック石井はスペインの軍事独裁に反対し、虐げられていた農民や労働者を救済するために「国際旅団」へ参加したのでしょう。

ソ連の共産党独裁政治の実態を知らないロマンチストだったのでしょう。

スペインの戦場では戦友に尊敬され愛された存在でした。そして37歳で戦死してしまいます。

戦友が彼の死を悼み2編の詩を捧げています。

孤児として孤児院で育ち、アメリカへ渡り、家族を持ち、そのまま長寿を全うすれば彼の名前は世に知られず終わったことでしょう。その方が幸多い人生だったのかも知れません。

しかし彼の名は歴史に残りました。

1989年には朝日選書で、川成洋が「スペイン戦争/ジャック白井と国際旅団」という本を出版しています。

ジャック白井と親交のあった石垣綾子が1989年に「スペインで戦った日本人」という本を朝日新聞出版社から出しています。

インターネットでも「ジャック白井」を検索するといろいろな資料があります。

若くして華々しく戦死して歴史に名を残すのが良いか、あるいは家族を持って幸せな長寿を全うするのが良いか、どちらが良いのでしょうか。

私には分かりません。しかしジャック白井の生き方は悲劇的だったと私は感じています。深い同情を禁じ得ません。

最後に上に書いたスペイン内戦の描き方は雑駁過ぎることを強調しておきます。

下に関連の写真を示します。(終わり)

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上の写真の前列の左端がジャック白井です。写真の出典は下の石垣綾子の本の233ページです。

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今年もモリアオガエルの樹上の卵塊の写真を撮りに森深く入る

2013年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

モリアオガエルは本州と佐渡島にしか棲んでいない日本固有種で、深山にしか棲息しない珍しいカエルです。

木の枝に産みつけられた、白い泡の大きな塊の中にある数百の卵が、オタマジャクシになると下の水溜まりへ落下して小さな可愛いカエルになります。まだ尻尾が付いている間に樹木の枝に這い上がり、一生、樹上生活をします。

飛び跳ねる力が強く一回に3メートル位を飛びます。ですから樹から樹へと、猿のように飛び回って、虫を食べて大きくなります。大きくなるとガマ蛙くらい大きくなります。手足に吸盤がついていて木の葉にしがみ付きます。

今年も森深く入ってモリアオガエルの樹上の卵塊の写真を撮りに行ってきました。山奥に住んでいる木内正夫さんが山荘の敷地の木の枝に数個の卵塊が今年も生み付けられたと言います。さっそく行ってみました。写真の順に説明します。

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モリアオガエルは農地の広がる里には棲んでいません。

上の写真の白い雲の山々の中腹の森深く棲んでいます。悪路を根気よく車で登って行きます。

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この写真のような自然林の向う側に木内山荘があるのです。

山荘に着いたら木内さんが幾つもある池の上の枝に生み付けられたモリアオガエルの卵塊を見せてくれました。直径が20cm以上もある大きな白い泡の塊で、中に数百個の卵が入っているそうです。

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上の写真の真ん中近くに潰れかかった白い卵塊が見えます。

生み付いてから1週間ぐらいになるのでオタマジャクシが下の池に落ち始めているようです。生み付けた直後は下の写真のように形もしっかりしていて純白です。

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オタマジャクシになって下の池に落ちて数週間すると手足が出てきて木の上に登り始めます。そして一生樹上の生活をします。樹上生活を3、4年すると親になり卵を産みに池や沼の上に差し掛かっている枝に帰ってきます。

谷川や疎水のように動いている水の上の枝には決して生みません。

オタマジャクシが流れてしまって水田や川原のような樹木が無い所に行ってしましまえば、モリアオガエルは生育出来ないのです。

ですから森の奥に自然に出来た沼が無ければ繁殖できないのです。

さて育ったモリアオガエルは樹上に居て、緑色の保護色なのでめったに肉眼では見えません。そこで木内さんが自宅で、2009年に育てたモリアオガエルの写真を下に示します。

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飼育方法の詳細は、神秘的な生き物、モリアオガルと共に深い森の中に生きている人 にあります。

このカエルはめったに見ることが出来ません。それだけに神秘的な生き物です。それを見るために木内正夫さんは自宅の敷地の森の中に池を数個作り、卵を採取して、箱の中で飼育し、そしてまた森へカエルを放したのです。

そのお蔭で私も数多くのモリアオガエルをまじかで眺めることが出来たのです。兎に角かわいい不思議な生き物です。

さてモリアオガエルの鳴き声はどのようなものでしょう。

それは、http://www.youtube.com/watch?v=Gjo1mjG2U8Y にあります。

実に良く出来た映像でした。鳴き声も明瞭でした。さすがNHKと感動しましたが、削除されて残念です。再放送を見る他はありません。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申しあげます。後藤和弘(藤山杜人)