1936年から1939年のスペイン内戦は共産革命をしようとしていた勢力(共和国側)とそれを粉砕しようとしたフランコの軍人部隊の間の国内戦争でした、。
ソ連共産党はドイツの軍事力に怖れていたので、ドイツの背後に共産国家のスペインを作ろうとします。それは当然の戦略です。
そこで国際共産党組織のコミンテルンを利用して4万人の志願兵をスペインへ送り込んだのです。
それを「国際旅団」と称します。
ソ連はその軍隊の共産主義的色合いを隠して、「フランコの軍事独裁主義」へ対抗する自由主義者の国際義勇兵として宣伝しました。
その宣伝は功を奏してヘミングウエイなどのそうそうたる知識人が参加したのです。
その国際旅団の総数は延べ6万人と言われていて、その出身国は以下のようになっています。
全体で延べ6万人ほど。
フランス 10000人
ドイツ 5000人
ポーランド 5000人
イタリア 3350人
アメリカ合衆国 2800人
カナダ 2000人
イギリス 2500人
チェコスロバキア1500人
ユーゴスラヴィア 1500人
ハンガリー1000人
メキシコ 1000人
デンマーク 500人
スウェーデン 500人
アイルランド 250人
フィンランド 300人
中国100人
オーストラリア 60人
アルバニア 27人
ニュージーランド 12人
日本 1人
上の表で驚くべきことは「フランコの軍事独裁主義」側を国家として軍事支援していたドイツとイタリアからそれぞれ5000人、3350人も国際旅団側へ参加している事実です。
中国も100人も参加しています。
そして日本は記録に残っているのはただ一人のジャック白井だけだったのです。
これらの内、何割が共産革命をしようとしたか、何割が自由主義国家のスペインを作ろうとしていたか不明です。
ジャック白井は1900年ごろ函館近辺で生まれ、両親に捨てられ、函館の孤児院で育ちました。少年のころ年齢を偽り外国航路の貨物船で働き出します。
そしてニューヨークに流れ着きコックとして働いていました。労働者を助ける政治運動をしていたので、当然、共産主義に染まっていたはずです。
しかしソ連共産党の大規模な粛清や農民の大量餓死などについては知らなかったはずです。スターリンが厳重な情報管理をしていた時代でした。
ジャック石井はスペインの軍事独裁に反対し、虐げられていた農民や労働者を救済するために「国際旅団」へ参加したのでしょう。
ソ連の共産党独裁政治の実態を知らないロマンチストだったのでしょう。
スペインの戦場では戦友に尊敬され愛された存在でした。そして37歳で戦死してしまいます。
戦友が彼の死を悼み2編の詩を捧げています。
孤児として孤児院で育ち、アメリカへ渡り、家族を持ち、そのまま長寿を全うすれば彼の名前は世に知られず終わったことでしょう。その方が幸多い人生だったのかも知れません。
しかし彼の名は歴史に残りました。
1989年には朝日選書で、川成洋が「スペイン戦争/ジャック白井と国際旅団」という本を出版しています。
ジャック白井と親交のあった石垣綾子が1989年に「スペインで戦った日本人」という本を朝日新聞出版社から出しています。
インターネットでも「ジャック白井」を検索するといろいろな資料があります。
若くして華々しく戦死して歴史に名を残すのが良いか、あるいは家族を持って幸せな長寿を全うするのが良いか、どちらが良いのでしょうか。
私には分かりません。しかしジャック白井の生き方は悲劇的だったと私は感じています。深い同情を禁じ得ません。
最後に上に書いたスペイン内戦の描き方は雑駁過ぎることを強調しておきます。
下に関連の写真を示します。(終わり)
上の写真の前列の左端がジャック白井です。写真の出典は下の石垣綾子の本の233ページです。