あれは子供がまだ小さかった45年くらい前のことだったでしょうか。信濃大町の奥、木崎湖や青木湖のさらに奥の白馬東急ホテルに一泊したことがありました。
そのホテルはスイスの山岳ホテルのような三角屋根の木造でした。
部屋は屋根裏部屋の感じのような内装で、小さな縦型の窓がついていました。庭には芝生が広がり、その向こうは森になっています。古いヨーロッパのホテルの雰囲気でした。
そのホテルから暗い森の中を歩き、崖の道を下るとゴンドラの駅があり八方池まで登れたのです。
その八方池まで登る道からは、八方尾根の向うに広がる白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳などがパノラマのように見えたものです。
それは私ども家族にとっては印象深い旅でした。
その後、数回、白馬東急ホテルに行きましたが、初めての旅ほどの感動がありません。家内の両親と泊まった時には、坂倉準三氏の設計した屋根の形が気に入ったようでした。またフレンチのコースも美味しいと喜んでくれました。
それらの思い出が懐かしく、久しぶりに、白馬駅へ直行する特急あずさに乗りました。一泊二日の小さな旅です。写真にしたがって、年老いて訪ねる曾遊の地への小さな旅日記をお送りします。
特急あずさが青木湖を過ぎ白馬駅に近づくと車窓からは残雪に輝く白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳が見えてきます。
白馬岳は2932m、杓子が2812m、そして白馬鑓ケ岳が2903mです。
一番高い白馬岳が右端に低く見えるのは車窓から一番遠方にあるからでしょうか。
ここまで来ると白馬駅はもうすぐです。も一枚車窓からの写真をしめします。
右端が杓子岳でその左が白馬鑓ケ岳のようです。その左に続く尾根は天狗の頭とさらに不帰の険へと繋がっています。
白馬岳に登り、その日本一の大雪渓を渡るのが学生時代からの夢でした。
白馬の大雪渓という言葉を見るたびに血が湧いたものです。
しかしそれは見果てぬ夢に終わってしまいました。
そうです。その夢につられて若い頃、家族連で白馬東急ホテルへ行ったのです。
東急ホテルに着いて中庭に入って見るとそこには45年前と同じように芝生が広がっています。
そして4階の部屋に入ると外の樹木が45年間で大木になっていて部屋を暗い緑色に染めています。
45年の時間の経過の間にいろいろな苦しみや喜びがあったものだと感慨深い思いをしながらベランダから庭を見下ろしていました。
昔はホテルの前からいきなり森に入り、小道を歩いて崖をくだると八方尾根へ上がるためのゴンドラの駅へ行けたのです。
しかしその小道は無くなっていました。
大回りをして車道を歩いて20分くらいで行きました。
ゴンドラの駅の周辺は青草の茂るスキー場です。その一部には左の写真のように乳牛を放牧しています。右の写真は兎平まで上がっているゴンドラです。
ゴンドラの終点は標高が1400mと高く、その大きな展望台からは北に戸隠山や飯綱山が見えます。写真の左が戸隠の連山で右が飯綱山の連山のようです。空気が澄んでいれば浅間山や八ヶ岳、南アルプスの峰々や富士山まで見えるそうですが今回は見えませんでした。
八方池までは兎平からさらにスキー用のリフトを2つ乗りつなぎ、そこから90分登らなければ行きつけません。
その行程は年老いた体では無理のようなので兎平でゆっくりコーヒーを楽しんで帰ることにしました。下の写真は唐松岳かも知れませんが、こんなに近く見える筈はありませんから、多分、天狗の頭だと思います。
夜は静かなダイニングで久しぶりに正式のコース料理を食し、部屋のベランダで夜の庭を見ながらビールを飲みました。
次の日は、和田野の森を登り切って、黒菱林道をかなり登ったところで引き返してきました。そしてさらにニレ池まで下りて松川の河原から白馬連峰を見上げてホテルに帰ってきました。総行程4時間のハイキングでした。
午後2時38分白馬駅発の特急あずさで帰って来ました。
下は和田野の森のなかにあるホテルの風景とニレ池の風景です。
つまらない旅日記を長々と書いて失礼いたしました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)