後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日曜小話・・・辛坊さんを救助した飛行艇の旧型機による2度目の真珠湾攻撃

2013年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

日本から1200kmも離れた海でヨッへ浸水した辛坊さんら2人を救助した自衛隊の飛行艇の性能には多くの人が吃驚しました。

航続距離の長いと言われているオスプレイ機でもたかだか800kmくらいです。その上、オスプレイ機は海上に着水出来ませんから今回のような海難事故は救助出来ません。アメリカ軍には航続距離の長い飛行艇はありません。

そこで今回活躍した飛行艇の技術の歴史を調べてみました。

そうしたら、この飛行艇を作った新明和工業(株)の前身の川西航空(株)が、先の大戦中に航続距離が9000kmもある二式大艇という大型軍用飛行艇を167機も製作していたのです。下にその写真を示します。

Kawanishi_h8k_emily_take_off1
・勿論、水陸両用で、下のように陸上にも離着陸できます。

Kawanishi_h8k_flying_boat_emily_h8k

この二式大艇は昭和17年3月4日に第二回の真珠湾攻撃を行ったのです。航続距離が長いので可能な攻撃でした。しかし戦果はあまり無かったので、この第二回目の真珠湾攻撃は知る人も少なく終わったのです。
この作戦をK作戦と言います。

この他に航続距離が長いのでオーストラリア大陸の北端にあるダーウイン軍港の爆撃を何度も行っています。

日曜日で、お暇の方は、「二式大艇」、「K作戦」、それに「オスプレイ」という3つの言葉を検索すると、いろいろな面白い話を読むことが出来ます。

それぞれのURLは以下の通りです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E8%89%87

http://ja.wikipedia.org/wiki/K%E4%BD%9C%E6%88%A6

http://ja.wikipedia.org/wiki/V-22_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

この時、特に注目して頂きたいのは、航続距離と着水能力の2つです。今回、活躍した自衛隊の飛行艇は波高3mでも着水出来、救助後も離水可能だったのです。

技術は歴史的に積み重なっているという一つの実例です。ちょっとした日曜小話としてお楽しみ頂ければ嬉しく思います。


爽快なヨットと海の写真をお送りいたします

2013年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

このところ梅雨空が続き気分が暗くなりがちです。

そこで気分が少しでも晴れるように爽快なヨットと海の写真をお送りします。

最初の2枚の写真は、長さ43フィートのハンスクリスチャン43という北欧の大型ヨットです。駿河湾を帆走している時の写真です。写真に写っているHootaさんが船長で、合計6名のクルーでした。

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・下の3番目の写真は自分のヨットです。長さ26フィートのアメリカ設計のジョイラック26というヨットでした。場所は霞ヶ浦です。

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下の写真のは東京ベイヨットクラブのドイツ製の39フィートの大型艇Bambino号です。2009年6月20日夕暮れの風景です。レインボーブリッジ下からの撮影です。

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・夕方から夜に変わる東京港の風景を楽しむ帆走会でした。

浜離宮の隣の築地運河から出港しました。新橋駅から歩いて行ける都心のヨットハーバーです。

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すっかり暗くなってからはお台場の高層ビルの夜景が印象的でした。今から4年前の梅雨の晴れ間のセイリングでした。

インターネットのお蔭でいろいろな友人が出来ました。そのお蔭で東京湾や相模湾や駿河湾などでセイリングを楽しむことが出来ました。

このヨットの趣味も25年続けて、2011年の秋に思いっきり良く止めました。

こんな写真を見てあの頃の元気さを思い出しています。気分も晴れ晴れしました。(終わり)


西洋の文学によく出て来る神学校とはどういうところなのでしょうか

2013年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

西洋の文学を読んでいるとしばしば神学校というところが出て来ます。

例えばヘルマン・ヘッセの「車輪の下」という小説では、神学校に入学するがそこが嫌になってしまう少年が主人公です。その小説を深く理解するためには神学校という学校をよく知っておかねがなりません。

また、20世紀の独裁者(1)キリスト教聖職者の道を捨てたヨシフ・スターリン という記事ではスターリンが神学校に入学し、司祭叙階の直前に逃げて共産主義者になったことを書きました。何故、キリスト教を捨て共産主義者になったかを深く理解するには神学校のことを知らねばなりません。

今日は日曜日なのでカトリックの東京神学校について簡略に書いてみたいと思います。そこは2010年6月に訪問しました。

訪問したときに撮影した写真を掲載し、個人的な感想だけを記述したいと思います。

尚、歴史や運営方法、そして神学生の募集の方法などについては末尾にあるHPのURLをご覧ください。

さて、ひどく感心したことに、この学校は非常に開放的なのです。

構内のあちこちを隈なく案内してくれて、写真撮影をさせてくれました。

お世話になった方は事務室の山下充志郎さんでした。

訪問する直前に神学校へ電話をしましたところ、山下さんが歓迎の様子で、お時間のある神父様にもお会い出来るようにして置きますと言ってくれました。

応接間へ案内してくれ、間もなく副院長の松浦信行神父様が現れ、いろいろなお話をして下さいました。神学生は高校卒業以上でカトリックの洗礼を受けた未婚の男性で一生を神へ捧げる決心をしている人という事でした。哲学を2年間学び、その後の3、4年間は神学を学ぶそうです。学院の目的は全国各地のカトリック教会で主任司祭になる神父さんを育てることです。高学年になると実際の訓練をする為に各地のカトリック教会へ派遣され日曜日のミサの助祭を務めたり日曜学校の運営にあたります。

一生独身を通し、主任司祭として教会の信仰を指導し、面倒な管理運営も担当しなければなりません。信仰と指導と、教会の管理を行うプロフェッショナルなのです。西洋文化圏における「プロ教育」のエッセンスを集めたような素晴らしい学校のように感じました。

実は、2010年4月から小金井教会に最近、この神学校からTさんという神学生がミサの助祭として毎週来てくれています。ミサの間、祭壇の上でいろいろな仕事をしているTさんの挙動に過不足がないのです。説教も時々しますが、若者らしいすがすがしい内容で感銘深いのです。若いのによくぞ司祭になる決心をしたと感心しています。そこで彼の勉強している神学校を訪問しようと思ったのです。このTさんは後に司祭に叙階され、現在は九州のカトリック教会で司祭として働いています。

最後に訪問でお世話になった副院長の松浦信行神父様と山下充志郎さんへ感謝の意を表します。

掲載した写真は神学校の御御堂、中庭、教室、廊下、図書室などの様子です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。

後藤和弘(藤山杜人)

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尚、この神学校の詳細は、http://www.tokyo.catholic.jp/text/welcome/shingakuin.htm に御座います。