いよいよ今年も桜の花が咲き出しました。
絢爛豪華に咲き乱れる桜並木も良いものです。そして山里の川辺に咲く一本桜も良いものです。川面に延びた枝の桜花の下に青い流れが見える光景も良いものです。
そんな光景を想いつつ近所の野川に差し掛かる枝の写真を撮ってきました。
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写真のように美しい花と楽し気に遊ぶ子供達の風景は心を和ませてくれます。
戦中、戦後に育った私は陳腐な言い方ですが、「嗚呼、平和って何と良いものか!」としばし立ち尽くしてしまいます。
戦争の記憶のある高齢者なら同じような感慨を覚えることと存じます。
しかしこのような控え目に咲く花を見ても、あるいは豪華絢爛な桜並木を見てもその向こうには淋しい風景が見えてきます。悲しい思い出が蘇ってきます。それは少年のころよく歌っていた「予科練の歌」を反射的に思い出すからです。その一節に「桜」が歌われていたのです。
若い血潮の予科練の
七つボタンは
桜に碇(いかり)
今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ
でかい希望に雲が湧く
昭和18年、小関祐而作曲、西條八十作詞の歌です。戦争のさなかラジオが毎日毎夜 霧島昇の歌声を放送していました。
そして霞ヶ浦で訓練を終えた戦闘機が特攻機として敵艦に突っ込んでいったのです。特攻で殉死した若者が6500人ほどもいたのです。
その上桜の名前をつけた特攻専門の「桜花」という飛行機も沖縄戦に投入されたのです。
桜花(おうか)は、日本海軍が太平洋戦争中にゼロ戦の後に開発した特攻専門機でした。
桜の花を見て暫くするとこのような悲しい風景が見えてくるのです。
そしてその延長で、今は亡き親や親類、恩人や友人の顔や姿が浮かんでくるのです。それはもう二度と会えない人々です。
桜の花を見て何を考えるかは人それぞれです。私の個人的な櫻花との想いを書いてみました。
皆様は何を考えられますか? どんな感興をお持ちでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)