後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

イエスの復活を疑い、指を傷跡に入れて信じたトマス

2017年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム
キリスト教が理解されない理由は幾つかあります。その中で一番判らないのがイエスの復活です。
ローマ総督のピラトによって死刑判決を受けたイエスは十字架の上で絶命します。墓に葬られますが、3日目に生き返って墓を出て来るのです。
そうして弟子たちの前に現れたのです。
その時、その場所に居なかった弟子の一人のトマスはイエスの蘇りを信じませんでした。もう一度、自分の目の前に現れて、自分の目で見ない限り、トマスは絶対に信じないと言ったのです。
イエスはもう一度弟子たちの前に現れてトマスに話しかけます。
イエスは十字架の上でローマ兵の槍で刺された脇腹の傷跡がそのままある姿でトマスの前に立ったのです。
その傷跡に手を差し込んだトマスはこの人物は、一度死んだイエスが生き返ってここに居るのだと、はじめて信じます。
そしてイエスの教えを全て信じ、神を信じますという信仰告白をしたのです。
ここは聖書の中でも重要な部分です。
見ないで信じる者は幸せなのです。全ての宗教では「見ないで信ずる」ことが一番重要なのです。
宗教を理解するためには人間によって再現出来ないことを信じることが必要なのです。信じれば理解されるのです。
この理解しにくい場面をどなたか明快に説明していないかと調べてみました。

そうしたら北海道の砂川市のある教会の牧師の銘形秀則さんが「牧師の書斎」という実に明快なホームページを発表されていたのです。
そのURLは、http://meigata-bokushin.secret.jp/ です。
読めば誰でも判るように書いていらっしゃいます。
そこでそのホームページからトマスの分部を抜粋して以下に転載いたします。

【聖書箇所】ヨハネ20:24~29
復活されたイエスが40日間、地上にとどまられたその第一の目的は、復活の事実を弟子たちに確信させるためでした。しかし、彼らは容易には悟れませんでした。

(1) よみがえられたイエスを見た人たちの言うことを信じなかった使徒たち
弟子の一人、トマスは他の弟子たちからイエスがよみがえられたことを聞かされても信じようとしませんでした。このことはトマスだけが責められることではありません。マルコ16:14では「イエスは、その11人が食卓についているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らか、よみがえられたイエスを見た人たちの言うことを信じなかったからである。」と記されています。イエスはマグダラのマリヤに最初に現われ、彼女を通して使徒たちに話したのですが、彼らは女(たち)を信用しなかったのです。そのことがここでイエスから責められています。
それほどに復活の事実は信じがたいことなのです。しかし、使徒たちはイエスの復活の証人とならなければなりませんでしたから、イエスはすべての使徒たちにご自身を現わす必要がありました。

(2) トマスに対するイエスの顕現とトマスの信仰告白
トマスも他の使徒と同様、よみがえられたイエスを見た人たちの言うことを信じなかったひとりです。しかも彼の場合は自分と立場を同じくする10人の使徒たち全員が、イエスを見て復活されたことを証言しているにもかかわらずです。相当、疑い深いと言われても致し方ありません。なぜなら、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また、私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」 (ヨハネ20:25)。「絶対に信じたりしない」(岩波訳)と言ったのですから。
そんなトマスのもとにもイエスは現われて、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわき(腹)に差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者となりなさい。」とイエスは言われました。このことから最高の信仰告白である「私の主。私の神」という言葉が彼の口から出たのでした。
「私の主、私の神」とは、イエスこそ全き従順をもって服従すべき絶対主権者としての主であり、神であることを認める告白です。

(3) 信仰の本質は、見ずに信じること

イエスはトマスに「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」と言われました。信仰の本質は「見ずして信じること」です。トマスへのイエスの顕現の目的はここにあると信じます。
今日に生きる私たちはイエス・キリストを信じる人たちを通してイエスを信じています。つまり、見ずして信じているわけです。よみがえりのイエスの証人である使徒たちが記した聖書を信じています。イエスが復活されてから昇天されるまでの40日間にイエスと出会った者たち以外のキリスト者はみなイエスを目にしてはいません。しかしイエスがよみがえられたことを聞いて信じているのです。
・・・以下省略します。是非、「牧師の書斎」をご覧下さい。

今日の話はこれだけです。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日撮って来た奥多摩湖の写真です。湖の向こう側の山々に点々と白いソメイヨシノが咲いていることにご注目下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










平峰 盛敏 著、「ブラジル生活あれこれ(2) ブラジルは左傾反米思想」

2017年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム
まえがきーー後藤和弘ーー
今回の記事は4月22日掲載の「ブラジル生活あれこれ(1)19歳で日本から移民して感じたこと」の続編です。
あわせて読むとブラジルの社会と政治が非常に明快に分かります。生き生きとした活写でです。日本とあまりにも違うのですが、これさえ読めばブラジルが理解出来るようです。是非、お読み下さい。
今日の挿し絵代わりの写真は平峰さんが送って下さったブラジルの花の写真です。
===平峰 盛敏 著、「ブラジル生活あれこれ(2) ブラジルは左傾反米思想」======
(1) ポルトガル語が ブラジルの国語である事に因んで---
19歳で移民したので、世間のことは、知らず、この南米の大国の田舎で、肉体労働のみを、数年味わいました。
町に出て、田舎の野菜を市場で卸売りもしました。そして八百屋を持って野菜や果物の小売をするようにもなりやっと経済的に余裕が出てきました。
生活が安定したので、ポルトガル語 の勉強を する気になったのです。特に日系企業に就職出来てから、通訳の職に磨きをかけたいと思い大学に学びました。

ブラジルの国語は、ポルトガル語ですが、何故か、それを、国語と呼ばず、ポルトガル語と、今でも呼んでいます。まぁ、アメリカその他の多くの国でも、英語を話しているのと同じ事なのだと思います。
ヨーロッパの或る小国の作者に成る、"最後の授業" と云う 一文を 少年時代に読んだ事を、今思い出しました。 その国の言葉は、もう学習出来なくなったんですね、敗戦で! その悲しみを、巧くまとめた一文でした。 日本では、日本語だけが国語と呼ばれ、当然ですけど、 世の中には、色々複雑な事情が沢山あるもですね。

ともあれ、私は、此方の新聞が読める様になることを目指し、 辞典を手放せない日々が、長く続きました。
さて昔のブラジル地方には、三百近い原住民の原語があったと云う記録を最近読みました。日本の大昔の先祖達は、日本国内の戦を繰り返していました。やがて朝鮮半島の国々からの攻撃に備えるためにも、大きな「大和の国」を創り、日本を護りました。
いまだに日本語の中に大和言葉が伝えられている事は、輝く日本の文化です。
ポルトガル語が 此処の国語であることは、原住民全てが蹂躙されたのである という事実を裏付けていると思います。それは悲劇でした。しかし現在のブラジルを愛し、この現状の上に全国民のご幸福を願うのが正しいと思うので、過去の悲劇はむしかえさないのが賢明だと思っています。その事は、残念ながら反古に付して置くよりもう術は 無いと、思っています。

(2) 左傾思想伝播に熱心な教授達---
夜間大学での体験は、きつかったけれど、学問に真剣に精を出している人々と、数年過ごした思い出は、貴重なものとし、大切にしています。
その大学でのことですが、共産主義の正しさを吹聴する為に授業をしているような感じの教授がいました。
アメリカ化された多量生産方式の害、自然の破壊の深刻化、奴隷の歴史、迫害されている大衆の悲惨さ、等々を、巧みな話術で語るのです。すると学生の皆が納得して、推奨される本を読む気になります。 そして、既成の富裕層及び支配階級全ては、全人類の仇敵であるという悪夢の世界に住むようになるようです。
また、職場でも、同じような見解を話題にして、企業の方針に従うべきじゃないと同僚を組合運動に誘う人が数人いました。
虐げられている貧しい人々の人生を、繰り返し強調されて聞いているうちに、怒り心頭に達し、革命の戦士になる決意をしてしまうという 筋書のようです。
押しなべに纏めてしまうと、 ブラジルの 大部分の大学生達は、共産主義に深く感化されています。
就職先では、管理者となって出世する為に、それを隠して、上司および企業の方針に真面目に従っている振りをしています。しかし給料も増え、次第に豊かな生活をするようになると共産主義の実践は、諦めてしまいます。
しかし、選挙運動で演説の上手い候補者が現れると、実現性は問わず、その左傾候補者に投票してしまうというパターンがブラジルにはあります。
私にとっては、左傾政治家を革新系と呼ぶ事が分かりません。共産主義の政治体制は、ソ連を始め東欧の国々の全ての国で失敗している事実があるのです。
共産主義は独裁政権を作ります。大衆の言うこと書く事すべてに規制が有ります。"平等化"とは、国民総貧困化、痴呆化することになるのは明白です。しかしブラジルなど南米の国々では催眠術にかかったように多くの人が共産主義に憧れているのです。これがブラジルの悪い一面です。しかし良いところも沢山ある国です。ブラジルを愛しています。

(3) 私は、共産主義の教授達、仕事場の共産主義者達へいつも反論していました---
大学の教室で、手を挙げて"質問よろしいでしょうか?" と云うと、許可されます。
そこで自由競争が、コストダウン、品質改善に繋がっていて、大衆の生活を 潤している事実を明快に説明します。共産圏には、表現や報道の自由がない事実、そして独裁的な政府は、国民の意見を 聞かない事実を説明します。
その上、神を否定する事実、支配階級が 無くならない事実 等を挙げて、質問します。
すると教授は、"理想実現途上の、一期間は、君の指摘するような 現象が現れるのだ。" などと応えます。
この教授は、最後の授業の時、"このクラスだけは、何故か、意識統一が出来ず、一年が過ぎた事が遺憾である。" と語られました 。

就職した会社では私は共産主義の同僚達へ言いました。
「20人位有志を集め、共産会を作って下さい。その共産会では、家計なども全てを共有し、息子たちにも、着物、玩具、全てを共有し合って、平等な誰にも虐げられない状態を現出させて見せて下さい。そんなことは出来ないでしょう! 考え直してください。そんなことは出来っこないのです。 もしそれが出来たなら、 世界中が、 君達に従うと思うよ」
このように言って、共産主義の同僚達へ反省を促したりしていました。

(4) 緩やか過ぎる反応の中、幸いにして、立憲主義の実力が輝き始めました ー
私が移民してから二年後、 1964年に、共産化防止を建前に、軍部独裁政治が 出来、20年間続きました。
教育面、経済面、 保安面、上手く管理されましたが、地方の田舎の生活は、少しも変化しませんでした。
規律が徹底したところで、軍部独裁政治が民主政治に戻されました。
そうしたら瞬く間に、規律が乱れました。 命の尊厳や社会正義等は、建前だけになったのです。そんな社会では本音の利己主義だけがまかりとうります。
善い政治をすれば全体的な改善が出来るという信念は、選挙運動の時以外では何処からも聞こえて来ない風潮になってしまいました。
ここ数年、左傾為政者の不正、汚職蔓延が、国際評価のトップレベルに達し、正々堂々と、"汚職イコール善政也" と、言わんばかりの振る舞いをしている事すら見え過ぎるのです。 その鉄面皮の態度に、腹の立つ事かぎりない日々が続きました。
それに加えて暴力犯罪もひどくなりました。
従って、この悪い現象を理由に、53年前のように、軍部独裁国に戻す事を唱える人が増えています。
嗚呼! この国は、自由の女神の愛を受け入れられないのか? ! 自由は、民衆自ら取りに行くべきものと、言う認識が無い事が、 嘆かれます! 汚職の汚名を着ていても、訴訟数件進行中でも、少しもおじけず、立候補する人も多いです。 これまでも理解に苦しむ事、多々あります。

でも、幸いにして、立憲主義の力が表面に現れ、五年程前から、これまでの慣習に逆らって、 汚職高官の逮捕が実現し、最近、有名な政治家、大型下請け業の社長等逮捕があい継ぎ逮捕されています。数十億ドルの不正金の回収が達成されています。
それは、ある国営油田開発会社に関わる汚職に 限定された捜査の結果です!一社で数十億ドルの不正金の回収なのですから驚きです。
前大統領四人、現大統領、現連邦上院下院為政者の大半の上に、汚職嫌疑がかかっているレポートが、今月 (2017年四月)、正式公表されました! 胸のつかえが やっと降りましたが、一方で国政不安定の心配が募ります。
こんな状態でも、左傾鉄面皮政治家の人気が、思うほど下がらないのが、分かりません。
全てに、鈍牛の様に 緩やかな反応をする国民性の事を忘れて、慨嘆し、気にし過ぎる自分を笑うばかりです。

現在、神奈川に勤務している長女は、若い頃、身を削る様な努力を払って早稲田大学に留学しました。経営学を、ブラジルで学んだ 頃は、私の説得にもかかわらず極端な右翼思想の感化されていました。
しかし日本の教授達から、生命尊重が、全ての学問に優先することを教えられ、又、極右、極左は、主義に囚われて、人間性を見失った唯物思想であるから、注意すべきことを、教えられて、大変幸運だったと言っています。(続く)

では、皆様のご健康と平安を遠くからお祈りさせていただきます。
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