後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「人間は悲しみの器」

2017年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
桜の咲く頃になると何故かこの言葉を思い出します。
そこで以下のような2編の悲しい記事を一昨日と昨日掲載しました。

1、「華やかに咲く桜花の向こうに見える淋しい風景」
・・・控え目に咲く花を見ても、あるいは豪華絢爛な桜並木を見てもその向こうには淋しい風景が見えてきます。悲しい思い出が蘇ってきます。それは少年のころよく歌っていた「予科練の歌」を反射的に思い出すからです。その一節に「桜」が歌われていたのです。
若い血潮の予科練の
七つボタンは桜に碇(いかり)
今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ
でかい希望に雲が湧く・・・

2、「しみじみとした人生、そして孤独な旅立ち」
今日はしみじみとした人生を静かに歩み、そして孤独のなかに50歳代で旅立って行ったある男をご紹介したいと思います。瀬戸内海のある島の出身だったようですが、故郷にはなにか深い事情があり生涯一度も帰りませんした。 彼の孤独を想うと粛然たる思いがします。忘れ得ない人でした。・・・

今日も続編を書くつもりで準備していますが、とりあえず昨日撮って来た小金井の桜の写真だけをお送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)