世界史上はじめての市民革命はフランスで1789年に起きました。前近代的な社会体制を変革して近代的な市民社会を樹立した革命でした。市民の自由と平等をうたった画期的な革命でした。
そのフランスでイスラム教徒の女性が顔を隠すヴェールを被ってはいけないという法規制が出来たのです。
その事がマスコミで報道されると多くの日本人が、えっ!何故?と不審に思いました。
ヴェールを被った女を差別するフランス人の気持ちを日本人が理解出来なかったのです。
今回の ともえさとこ著の文章で何故、ヴェールを禁止したか、その理由が明快に分かります。
フランスは日本と比べものにならない複雑な事情を抱えているのです。
皆様のフランスへの理解が深まれば嬉しく思います。
===「ともえさとこ著、『フランスあれこれ』、2・・・何故ヴェールを被った女がいけないか?」===
夫は外国から移住して来た友人を何人か持っています。彼等のようにフランスの、あるいは住んでいる地域の文化を完全に吸収し溶けこんでいれば問題はなくなると私は信じている。
私がフランスに来た頃はもちろん、1986年あたりまではイスラム教の女性たちでヴェールを被っているのを見ることは少なかった。しかし、1989年に公立の学校にヴェールを被ってくる女生徒たちが問題となった。そもそも、フランスの公立の学校はLAIC、つまり無宗教を基礎にしている。夫の経験では、小学校の先生からは教会で公教要理(キリスト教の宗教教育)を受ける生徒は嫌味を言われた、という。学校の先生と教会が対立することも昔は多かった。スータン(カトリックの司祭の平服)を着た司祭や修道女たちは、共産党員の多かった時代には嫌がらせを受ける場合もあったらしい。また、首から十字架を掛けて学校に行くのも禁じられていた。
そういうところであるから、イスラムのヴェールが禁止されたのは当然である。
この問題が発生してマスコミを騒がせるようになってから、ヴェールを被る女性たちの数は皮肉にも増えて行った。そのあたりからイスラム教徒へ対する態度が変化してきたように思える。
一昨日まで我々と一緒の恰好をしていた洗濯屋のおばさんが急にヴェールを被り、手首まで隠す洋服を着ていたので誰か分からなかったということもあった。これは個人的に相当ショックだった。今では多くのイスラム教の男性は髭を伸ばし、「信心深くなる」と長い衣服をつけ、女性はヴェールを被って町を歩いている。フランスは建前では自由の国だから仕方ないかもしれない。しかし服装で自分の信じている宗教を他の人に押し付けるようにして着ているのはどうも私には理解できない。そして、何故イスラム教の女性はヴェールを被って手足も隠さなければいけないのかも理解できない。彼らは女性は魔物で、男を誘惑するからだと言う。そうコーランに書いてあるからだとも言う。しかし、コーランを読むとそんなことは一切書いていない… コーランでは、女性も男性も慎ましやかな態度を取るように、と言っているだけである。
中にはとても素晴らしくスカーフをアレンジして、どうやったらこう美しく被れるのだろうと聞きたくなる人たちもいるが。
ヨーロッパでも中世はもちろん、近世に至るまで女性は日常にヴェールを被っていた。教会ではヴェールか帽子を被って女性はミサに行っていた。今では帽子さえ被らない。服装が信仰とつながるというのは変な話だ。ヨーロッパ人がもしもヒンズー教を信じ、苦行をしようと思ってサドゥーになったら、真っ裸で町を歩くだろうか?すぐに警察に捕まるか、精神病院に強制的に入れられてしまうだろう。
うちの敷地にキャラバンを置いて住んでいるモロッコからの経済難民がいる。モロッコから出稼ぎに来たのだが、泊る場所もお金もなくて、スクラップできなかった廃車が数台置いてあったのを見て寝泊まりしていたのを、我々がパリにいる間にうちに住んでいた長女が見つけ、どうせだったら小型トラックに泊まれば、と言ったのが始まりだった。長女とは大の仲良しになり、兄妹の誓をしたのだそうで、我々にとっては息子である。その後キャラバンを彼にくれた人がいて、以来そこに住んでいる。夫が電気や水道を彼のところまで引いたので家賃の代わりにと言っていろいろな手伝いをしてくれる貴重な存在である。彼はイスラム教徒ではあるが、うちの町のモスクはイスラム強硬派のモスクだから絶対行かない、祈りもしないと徹底している。4年前にモロッコで結婚して、子供が3人いる今では一年に数回里帰りをする。奥さんには自分がいないときにはお化粧させないというところがイスラムだが、私はよく話しこみに行ってミントティーを御馳走になってくる。とても謙虚で働き者なので、フランス人から仕事を多く貰っている。モスクに行ってイマームに気に入られれば仕事は増えるだろうけれど、そんなことは絶対嫌だという。
彼は彼で、フランスにいても自分なりのモロッコスタイルを守りながら問題なく、差別もされず生活している。そういう人たちも多いのだ。
ところが、娘の会社に新しく入った社員がアルジェリア人で、初日に女社長の握手を「女とは握手しない」と言って断り、即首になった強硬派もいる。
その土地の文化に馴染んで、自分の家では祖国の習慣を守っていればそれでいいのではないかと思う。自分の信仰や考え方を人に押し付けるような態度は私には感心できない。
しかし、救いに思われるのは、「自分は北アフリカ人(フランスではアラブ人と一括して呼んでしまっている)が大嫌いだ」というフランス人たちにも必ず数人の親しい「アラブ人」が必ずいる。ユダヤ人が大嫌い、という人も親しい友人や掛かりつけの医師がユダヤ系だったりもするのである。つまり、・・・人はどう、・・・人はこう、と一まとめにして語ることは不自然なのだと思う次第である。(続く)
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今日の挿し絵代わりの写真はルノアールのムーラン・ド・ラ・ギャレット(1876年 オルセー美術館)です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
そのフランスでイスラム教徒の女性が顔を隠すヴェールを被ってはいけないという法規制が出来たのです。
その事がマスコミで報道されると多くの日本人が、えっ!何故?と不審に思いました。
ヴェールを被った女を差別するフランス人の気持ちを日本人が理解出来なかったのです。
今回の ともえさとこ著の文章で何故、ヴェールを禁止したか、その理由が明快に分かります。
フランスは日本と比べものにならない複雑な事情を抱えているのです。
皆様のフランスへの理解が深まれば嬉しく思います。
===「ともえさとこ著、『フランスあれこれ』、2・・・何故ヴェールを被った女がいけないか?」===
夫は外国から移住して来た友人を何人か持っています。彼等のようにフランスの、あるいは住んでいる地域の文化を完全に吸収し溶けこんでいれば問題はなくなると私は信じている。
私がフランスに来た頃はもちろん、1986年あたりまではイスラム教の女性たちでヴェールを被っているのを見ることは少なかった。しかし、1989年に公立の学校にヴェールを被ってくる女生徒たちが問題となった。そもそも、フランスの公立の学校はLAIC、つまり無宗教を基礎にしている。夫の経験では、小学校の先生からは教会で公教要理(キリスト教の宗教教育)を受ける生徒は嫌味を言われた、という。学校の先生と教会が対立することも昔は多かった。スータン(カトリックの司祭の平服)を着た司祭や修道女たちは、共産党員の多かった時代には嫌がらせを受ける場合もあったらしい。また、首から十字架を掛けて学校に行くのも禁じられていた。
そういうところであるから、イスラムのヴェールが禁止されたのは当然である。
この問題が発生してマスコミを騒がせるようになってから、ヴェールを被る女性たちの数は皮肉にも増えて行った。そのあたりからイスラム教徒へ対する態度が変化してきたように思える。
一昨日まで我々と一緒の恰好をしていた洗濯屋のおばさんが急にヴェールを被り、手首まで隠す洋服を着ていたので誰か分からなかったということもあった。これは個人的に相当ショックだった。今では多くのイスラム教の男性は髭を伸ばし、「信心深くなる」と長い衣服をつけ、女性はヴェールを被って町を歩いている。フランスは建前では自由の国だから仕方ないかもしれない。しかし服装で自分の信じている宗教を他の人に押し付けるようにして着ているのはどうも私には理解できない。そして、何故イスラム教の女性はヴェールを被って手足も隠さなければいけないのかも理解できない。彼らは女性は魔物で、男を誘惑するからだと言う。そうコーランに書いてあるからだとも言う。しかし、コーランを読むとそんなことは一切書いていない… コーランでは、女性も男性も慎ましやかな態度を取るように、と言っているだけである。
中にはとても素晴らしくスカーフをアレンジして、どうやったらこう美しく被れるのだろうと聞きたくなる人たちもいるが。
ヨーロッパでも中世はもちろん、近世に至るまで女性は日常にヴェールを被っていた。教会ではヴェールか帽子を被って女性はミサに行っていた。今では帽子さえ被らない。服装が信仰とつながるというのは変な話だ。ヨーロッパ人がもしもヒンズー教を信じ、苦行をしようと思ってサドゥーになったら、真っ裸で町を歩くだろうか?すぐに警察に捕まるか、精神病院に強制的に入れられてしまうだろう。
うちの敷地にキャラバンを置いて住んでいるモロッコからの経済難民がいる。モロッコから出稼ぎに来たのだが、泊る場所もお金もなくて、スクラップできなかった廃車が数台置いてあったのを見て寝泊まりしていたのを、我々がパリにいる間にうちに住んでいた長女が見つけ、どうせだったら小型トラックに泊まれば、と言ったのが始まりだった。長女とは大の仲良しになり、兄妹の誓をしたのだそうで、我々にとっては息子である。その後キャラバンを彼にくれた人がいて、以来そこに住んでいる。夫が電気や水道を彼のところまで引いたので家賃の代わりにと言っていろいろな手伝いをしてくれる貴重な存在である。彼はイスラム教徒ではあるが、うちの町のモスクはイスラム強硬派のモスクだから絶対行かない、祈りもしないと徹底している。4年前にモロッコで結婚して、子供が3人いる今では一年に数回里帰りをする。奥さんには自分がいないときにはお化粧させないというところがイスラムだが、私はよく話しこみに行ってミントティーを御馳走になってくる。とても謙虚で働き者なので、フランス人から仕事を多く貰っている。モスクに行ってイマームに気に入られれば仕事は増えるだろうけれど、そんなことは絶対嫌だという。
彼は彼で、フランスにいても自分なりのモロッコスタイルを守りながら問題なく、差別もされず生活している。そういう人たちも多いのだ。
ところが、娘の会社に新しく入った社員がアルジェリア人で、初日に女社長の握手を「女とは握手しない」と言って断り、即首になった強硬派もいる。
その土地の文化に馴染んで、自分の家では祖国の習慣を守っていればそれでいいのではないかと思う。自分の信仰や考え方を人に押し付けるような態度は私には感心できない。
しかし、救いに思われるのは、「自分は北アフリカ人(フランスではアラブ人と一括して呼んでしまっている)が大嫌いだ」というフランス人たちにも必ず数人の親しい「アラブ人」が必ずいる。ユダヤ人が大嫌い、という人も親しい友人や掛かりつけの医師がユダヤ系だったりもするのである。つまり、・・・人はどう、・・・人はこう、と一まとめにして語ることは不自然なのだと思う次第である。(続く)
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今日の挿し絵代わりの写真はルノアールのムーラン・ド・ラ・ギャレット(1876年 オルセー美術館)です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
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