昨日は終戦記念日でした。平和というものの大切さをあらためて心に刻む日です。
昭和という時代には日中戦争や太平洋戦争があり、数多くの大きな悲劇がありました。
2度と戦争をすべきでないという思いが胸に湧きおこります。
戦争に巻き込まれ命を落とした数千万人の人の冥福を祈る日々が続きます。
テレビでは連日のように悲しく、暗い映像が流れています。
そこで今日は、ホッとするような中国の今昔の街の平和な風景写真をお送りいたします。
中国の瀋陽と大連の平和な風景です。戦前と戦後の風景です。
1番目の写真は瀋陽駅前の昔の写真です。
写真の出典は、http://www.geocities.jp/ramopcommand/page035.html です。
私は1981年に瀋陽に3週間ほど滞在しました。東北学院の金応培教授に呼ばれ講義をしたのでした。北京から列車で行き、下り立った瀋陽駅の前はこの写真のようでした。建物は流石に少し綺麗になっていましたが風景の感じは同じでした。
2番目の写真は現在の瀋陽駅前の風景です。写真の出典は、http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotos-g297452-Dalian_Liaoning.html#26043437 です。
現在の写真は鄧小平の市場経済政策による経済発展の成果を如実に示す風景ではありませんか。そして街の風景が平和で楽しそうに見えるのです。
3番目の写真は瀋陽の繁華街の昔の風景です。出典は1番目の写真と同じです。
東北工学院で私が働いている間、家内は外事課の職員の孫麗娟さんに瀋陽の繁華街などを案内してもらいました。その話によると表通りは綺麗になっていたが、横道や路地には露店があり日本の戦後のようだったと言います。
1976年にやっと終息した文化大革命の内戦からの復興がまだだったのです。
4番目の写真は現在の信用の繁華街の風景です。祭のように歩行者天国になっていて、人々が楽しげに歩いています。
私は1981年に金応培教授の案内で瀋陽のカトリック教会のミサに行きました。文化大革命で紅衛兵が教会を破壊し、椅子を薪にしたそうです。信者は荒れた石畳の床に膝まづいて祈っていました。
その1981年はヨハネ・パウロ2世が日本を訪れ、長崎まで巡礼したのです。
瀋陽の教会の人々はヨハネ・パウロ2世の日本訪問の様子を知っていました。口コミで知っていたのです。
それはそれとして、ついでに大連市の今昔の街の平和な風景を示します。出典は上記と同じです。
上で示した昔の写真と現在の写真の間には90年くらいの時が流れているのです。
沢山の戦争がありました。満州事変、日中戦争、ソ連軍の侵入、中国共産党軍と国民党軍の戦争、文化大革命という戦争などです。
それを想うと、現在の瀋陽や大連の平和で美しいい街の風景を見ると感慨無量です。
この平和の有難さと改めて心に刻みます。
日本も中国も北朝鮮も韓国も台湾も、そして全世界が平和であるように心から祈ります。
そして皆様のご健康もお祈りいたします。
昭和という時代には日中戦争や太平洋戦争があり、数多くの大きな悲劇がありました。
2度と戦争をすべきでないという思いが胸に湧きおこります。
戦争に巻き込まれ命を落とした数千万人の人の冥福を祈る日々が続きます。
テレビでは連日のように悲しく、暗い映像が流れています。
そこで今日は、ホッとするような中国の今昔の街の平和な風景写真をお送りいたします。
中国の瀋陽と大連の平和な風景です。戦前と戦後の風景です。
1番目の写真は瀋陽駅前の昔の写真です。
写真の出典は、http://www.geocities.jp/ramopcommand/page035.html です。
私は1981年に瀋陽に3週間ほど滞在しました。東北学院の金応培教授に呼ばれ講義をしたのでした。北京から列車で行き、下り立った瀋陽駅の前はこの写真のようでした。建物は流石に少し綺麗になっていましたが風景の感じは同じでした。
2番目の写真は現在の瀋陽駅前の風景です。写真の出典は、http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotos-g297452-Dalian_Liaoning.html#26043437 です。
現在の写真は鄧小平の市場経済政策による経済発展の成果を如実に示す風景ではありませんか。そして街の風景が平和で楽しそうに見えるのです。
3番目の写真は瀋陽の繁華街の昔の風景です。出典は1番目の写真と同じです。
東北工学院で私が働いている間、家内は外事課の職員の孫麗娟さんに瀋陽の繁華街などを案内してもらいました。その話によると表通りは綺麗になっていたが、横道や路地には露店があり日本の戦後のようだったと言います。
1976年にやっと終息した文化大革命の内戦からの復興がまだだったのです。
4番目の写真は現在の信用の繁華街の風景です。祭のように歩行者天国になっていて、人々が楽しげに歩いています。
私は1981年に金応培教授の案内で瀋陽のカトリック教会のミサに行きました。文化大革命で紅衛兵が教会を破壊し、椅子を薪にしたそうです。信者は荒れた石畳の床に膝まづいて祈っていました。
その1981年はヨハネ・パウロ2世が日本を訪れ、長崎まで巡礼したのです。
瀋陽の教会の人々はヨハネ・パウロ2世の日本訪問の様子を知っていました。口コミで知っていたのです。
それはそれとして、ついでに大連市の今昔の街の平和な風景を示します。出典は上記と同じです。
上で示した昔の写真と現在の写真の間には90年くらいの時が流れているのです。
沢山の戦争がありました。満州事変、日中戦争、ソ連軍の侵入、中国共産党軍と国民党軍の戦争、文化大革命という戦争などです。
それを想うと、現在の瀋陽や大連の平和で美しいい街の風景を見ると感慨無量です。
この平和の有難さと改めて心に刻みます。
日本も中国も北朝鮮も韓国も台湾も、そして全世界が平和であるように心から祈ります。
そして皆様のご健康もお祈りいたします。