後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

沖縄沖で特攻で大破した空母、駆逐艦など404艦艇と航空機763機に対する評価

2017年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム
『特攻攻撃が与えた意外に大きい連合国側の損害の一覧』という記事を8月14日 に掲載しました。
その記事の中で、連合国側が受けた損害について、アーネスト・キング海軍元帥の次のような報告をご紹介しました。
「4月6日からはじまった沖縄沖での日本機の攻撃は、いままで嘗てなかった激烈なものだった。この特攻戦は凄惨を極めた。(略)海上では戦死行方不明4907名、戦傷4824名であった。 艦船は沈没36隻、損傷368隻であり、飛行機の喪失は763機であった。」
(出典は、 List of United States Navy losses in World War II、https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_United_States_Navy_losses_in_World_War_II です。
日本語は、https://matome.naver.jp/odai/2144809749091311801 にあります。)
この沖縄戦での損害の数字は、マッカーサー太平洋戦域連合軍総司令官と太平洋艦隊司令長官のニミッツ元帥の報告とほぼ同じなので正確な損害数と考えられます。
表題の大破した空母、駆逐艦などの数を404艦艇としているのは、アーネスト・キング海軍元帥の報告の中の沈没36隻と損傷368隻の合計を示した数字です。航空機の763機はアーネスト・キング海軍元帥の報告の中の数字をそのまま示したのです。

その上、日本軍の特攻は1944年10月のフィリピン沖で始まっていますので連合国側の特攻から受けた損害は上の数字より大きなものにまります。
特攻が開始された1944年10月から終戦までのわずか10ヶ月間に、米海軍史上最大の損害を与えたのです。その損害の内訳は次の通りです。
(1)特攻で撃沈された艦船と廃艦、
撃沈・廃艦の総合計 護衛空母4隻 駆逐艦38隻 他28隻 合計70隻
(2)特攻で撃破された艦船
正規(含軽空母)空母20隻 護衛空母13隻 戦艦11隻 巡洋艦12隻 駆逐艦150隻 その他100隻以上 合計300隻以上(撃破の内108隻は戦闘行動が不可能になる深刻な損害)

一方、太平洋戦争中日米水上艦船がいたるところで激しい海上戦を展開しましたが、それで失われた米駆逐艦は16隻、また日独潜水艦が沈めた米駆逐艦15隻で合計31隻にすぎないところを見れば、たった10か月の特攻攻撃期間で駆逐艦38隻を沈めたのは特攻攻撃によるものだったのです。
また特攻で損傷した艦、300隻以上は沈みはしませんでしたが戦闘能力は無くなったのです。
日本軍は大戦中50000機の航空機を損失しましたが、その内のわずか2550機の5%程度の特攻機がこれだけの戦果を挙げたのです。
============================================
以上のように特攻攻撃は大きな戦果を挙げたのですが、占領軍GHQはこの事実の日本における報道を規制したのです。日本の軍国主義が復活する原因になりそうな全ての種類の情報を秘密にしたのです。そして日本人の自信を失わせるために「自虐史観」を教育したのです。
以上の趣旨の記事でした。
それに対して趣味人倶楽部で頂いたコメントは以下のようなものでした。
===趣味人倶楽部で頂いたコメント===========================
つーさんさん 2017年08月15日 21:42
素晴らしい分析だと思います。わたしも特攻はほとんど意味のないものだと考えていました。ほめられた作戦ではないですが、特攻に参加した戦士としてはありがたい評価ではないでしょうか。もっと、おおやけにして欲しいと思います。ただし、「特攻のような作戦は取るべきではない」という文言のもとにです。

MMさん 2017年08月15日 22:26
うーん。興味ある資料です。私も特攻というのは殆ど実質的な意味がない作戦だとばかり思っていました。本日NHKでインパール作戦の番組をやっていたので見てましたが、戦争は極力避けるべき手段です。ただ、戦争経験の年配者がとにかく戦争は嫌だという意見を聞くと、時々疑問は感じます。平和は結局自分だけが戦争をしないというだけでは達成されないのも事実だと感じています。
戦没者のご冥福をお祈り申し上げます。

きんときさん 2017年08月15日 10:25
そうだったんですか、彼等が無駄死にをしていなかったことが分かりました。
同年代の私、生きて、昔を偲んで居ますが、段々分かってくるにつれ、若い遺影が安らかに眠ってくれ、と祈るばかり。

リタさん 2017年08月15日 10:50
特攻に参加させられた若者たちのことを思うと本当に哀しくなります。こんな作戦を考え出した当時の軍部の狂気を改めて認識させられます
今回は特攻の戦果について語られていますが、その戦果が日本人の怖さ、狂気を米軍に実感させて本土決戦の困難さを思い起こさせたのではないか。その恐怖心が皮肉にも米軍の損害を減少させるために原爆投下に結び付いた一因ではないかとも思っています。
特攻で亡くなった方々にはつらい言い方ではありますが戦争というものはそういう狂気が狂気の連鎖を起こす残酷なものだと思います。
だからこそ彼らの死を無駄にしないためにも
現代の我々日本人は不戦の誓いを持ち続けなければならないと思います。

でいしゅうさん 2017年08月15日 10:07
2005年8月31日に知覧へ行きました。壁の写真で探すと、地元出身の特攻隊員もいました。童顔の隊員がほとんどでした。
城山三郎著の指揮官たちの特攻には「花びらのような幸福は、花びらよりも早く散り、枯れ枝の悲しみだけが永く残る」とあります。  
     おどけ顔写して逝きし雲の峰    蛍となりて帰らむ母のもと

===FaceBookで頂いたコメント===============
Moritoshi Hiramine
ありがとうございます。今、好戦的過ぎる発言に 世界の注目が 極東と 二人の 指導者 に注がれています。 この戦争は始めては、いけません! 祈るのみ!
8月15日 9:03

Moritoshi Hiramine 理路 と言うものは、そのような発言に 在るのだと考えて共鳴します! その うえで、 愛国精神で 特攻した青年のみたまには、礼と感謝を 捧げる 人々に 共鳴し、私も 実践します。
8月16日 19:59

矢野 信保
戦争というものは、どちらかがよほど一方的に理不尽にしかけたのでなければ、どちらが悪いと一方的に決めつけることは出来ません。前の戦争についても、一方的に日本だけの責任にするのは間違っています。しかし、戦争は、どちらも人間を獣にしてしまい、多くの犠牲なしではすみません。戦争にならない様に政府は最大限の努力をしなければなりませんが、一方あらゆる事態に備えて国民を守る方策をとる責任があります。災害に対してあらゆる備えをせず、そういうことは起こらないだろうから、備えをしない、というのは怠慢です。戦争に対しても同じことがいえます。私達は、その上で戦争にならないよう祈りたいと思います。
8月15日 12:34

高間 一平
自殺を罪と取る西洋の宗教 英雄とみなす東洋の宗教 この差が 今のテロにつながってその現実に出ています、亡くなられた方には失礼ですが 特攻とは自殺をとか書き換えれば 例え家族のため でも 馬鹿げた行動なのですね 家族も生きていてくれた方が良かったに違いない。戦争を美化する事自体が特攻になっていく、今の北朝鮮については 戦争にはならないでしょう、彼が隠れ始めているのは 戦争より 暗殺が唯一の平和対策だから 世界はそこに行くのを彼も知っているからでしょう、しかし 洗脳されてしまった 軍部が 特攻精神で 馬鹿をする可能性は十分あり得ることです。
8月15日 14:01

矢野 信保
一旦戦争が起きたら、国民として自分の国の為に戦争に出向くか、反対して刑務所に行くか、選ばねばなりません。戦争美化とか言う前に、特攻で出撃した人たちがどの様な思いで出撃されたか、遺された遺書をじっくり読んで考える時をもちたいと思います。
8月15日 21:07

高間 一平
戦争時の行動を美しくいうことも犯罪に近いと思っています 事実を正確に伝えてこそ 平和に貢献します
8月16日 6:42

浦野 明人
特攻隊でこの様な卑怯な指揮官もいたのです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/.../q12106139537...
もっと見る
特攻隊指示者で戦後逃げて生き延びたのは誰?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
8月16日 9:53

中村 正彦
昨日のN H K スペシャル でもインパール作戦を報道していましたが、人命軽視の参謀による強行的な行軍と 死ぬ事を目的とするその思想が多くの犠牲者を出した原因である事は明白です。
8月16日 17:30

その他、多数。
=========================================
以上のように特攻隊が連合国側に大きな損害を与えた事実を知らなかった日本人が多かったのです。
このような事実は正しい歴史的実として再度、掲載すべきと思い、ここに掲載します。
誤解の無いように書き加えておきます。特攻隊の与えた損害がどんなに大きくても、このような非人間的な攻撃方法は未来永劫に厳禁すべきです。



排他的な感じを与えている東京の教会の建てもの

2017年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム
教会に関心はあるけれど入りづらいという話をよく聞きます。そして試しに入ってみるとミサや礼拝から、何か異様な雰囲気が感じられて困ったという話も聞きます。
京都にある神社仏閣のように拝観料を払って気軽に観光気分で行ければ良いのですがという意見も聞きます。
そこで2、3日前から東京にある教会の写真をあれこれ見てみました。
適当に選んで、それらの教会の写真を示します。
私もしげしげ写真を見ました。そうしたら確かに教会の建物は異国的な上に、排他的な印象を与えていると私も感じました。
そうですね。日曜日の朝に、教会に入って見物するためには少し勇気が必要ですね。
しかし平日は誰もいなくて出入り自由です。自由に入ってステンドグラスの美しさや聖画などを楽しめます。全世界のカトリック教会の扉には24時間、鍵がかかっていません。まったく出入り自由なのです。ですから平日は平気に入れます。でも日曜日の朝は少し勇気がいります。
ある日曜日の朝、私はお茶の水のニコライ堂に勇気を持って入りました。確かに異様な雰囲気です。
しかし入り口の受付で少し太いローソクを300円くらいで買いましたらもう楽しくなりました。それを拝観料のようなものと思い、内部の壁にあるマリア様の聖画の前に立てました。すでに数本のローソクに炎が揺れていたので火を分けて貰いました。
礼拝は全てロシアの聖歌を和音美しく唄いながら進んでいきます。いわゆる歌ミサなのです。
その合唱が非常に芸術的で感動しました。少し不謹慎な書き方をすれば、それは質の高いミュージカルのように楽しいのです。
他の教会でも日曜日の午前中に入ると聖歌の合唱がありますので楽しいのです。聖歌はよく練習していますので聞いて楽しめるのです。
その音楽を一度聞いてしまうと教会の建物は排他的な印象を与えていると感じなくなります。自分の世界が少し広がるのです。
その上、何度か教会の礼拝を見物に行くと、キリスト教を理屈ではなく心で、魂で理解出来ることがあります。
聖書には分かり難い部分が沢山あります。私も理解できない個所が多くて困っています。しかし上に書いたように教会に日曜日の朝に行くとキリスト教を理屈ではなく心で、魂で理解出来るのです。私は間違っているでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

写真とその説明の出典は、https://matome.naver.jp/odai/2140126579258482201 です。

1番目の写真は1891年(明治24年)に竣工したニコライ堂です。、様式はロシヤビザンチン風、構造は煉瓦造です。
http://www.orthodoxjapan.jp/
ニコライが文久元年(一八六一)、ロシヤより来日し建てた正教会の聖堂です。
正式には日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(ニコライ堂)と言います。
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台4丁目4−1−3 東京復活大聖堂

2番目の写真はカトリック神田教会です。
鉄骨・鉄筋コンクリート造、ルネッサンス・ロマネスク様式で1928年 (昭和3年)竣工 しました。
http://catholickandachurch.org/
カトリック神田教会は1874年(明治7年)1月に創建され東京の教会でも有数の歴史を持つ教会です。

3番目の写真はカトリック築地教会です。1927年 (昭和2年)竣工しました。
http://tsukijicatholic.jp/
もとは1874年 (明治7年)東京で最初に建てられた教会で、東京市から居留地の一部を借り入れパリ・ミッション会が仮聖堂を建てた。

4番目の写真はカトリック碑文谷教会(サレジオ教会)です。1954年(昭和29年)竣工です。鉄筋コンクリート造、ロマネスク様式 です。http://home.m06.itscom.net/salesio2/side_a/salesio.html
1948年にサレジオ修道会がこの地に宣教拠点を置き、翌年に幼稚園が併設され、1954年 現在の教会堂が建設されました。

5番目の写真はカトリック東京カテドラルです。
現代的な技術を用いた鉄筋コンクリート造で1964年(昭和39年)に竣工 しました。http://cathedral-sekiguchi.jp/
カトリック東京大司教区の本部のある教会です。文京区関町3丁目にあります。
===貴重なコメントをFace Bookで頂きましたので追加します========
本田 伸樹さんより、
日本の神社・仏閣は、参道から山門(鳥居)をくぐり、境内には日本人ならなんら心の抵抗なく入れます。けれどその建物・・・本堂やお宮の中にはそう簡単には入れません。またカトリックやオーソドックスのように聖画像を「ちょっと見」気分で拝観するような気安さはなく、ご本尊を拝むのは本堂の奥に鎮座しているそれを、覗き込むように見ることしかできないのです。またご本尊を秘仏として公開していない寺院もあります。一方で日本の寺社には庭園の美を楽しむことができます。私は常々思うのですが、建物のみならず日本の教会に寺社のような美しい庭園を備えている教会があればいいのになあ、と思います。日本の教会は歴史が新しく、そんなに広い敷地を入手することができないのは解っていますが、もし可能ならカトリックの御聖堂の荘厳さが与える印象と同様に、日本人の心性に訴えられるのでは、と考えることがあります。ところで、カトリックは聖堂自体が聖別されたものと考える一方で、プロテスタントは建物について、そういった考えはありません。あくまで「幕屋」の延長で、機能本位です。それはヨーロッパの荘厳なカトリックの聖堂を観た経験のある私としては、味気ない気もします。またヨーロッパのカトリック教会では、平日の昼間でも、副祭壇の聖画像に向かって祈りを捧げている信徒の姿を見受けます。こうした点はカトリックに一日の長があるようです。ともあれ、キリスト教信仰の本質は建物にあるのではなく、その中心となるのは神様を愛し、神様から愛され神様に従っていく信徒の信仰です。しかし、こうした「クリスチャン」の姿が一方では、一般の日本人の方には「特殊」なものと映り教会の敷居を高くしているのかもしれません。クリスチャンと言えどもそこら辺のオイチャン、オバチャンと同じだよ、と一般の方に理解してもらう必要があるのではないでしょうか?そういえば、「寅さん」は亡くなる前、病床洗礼をお受けになったそうです。誠に尊いことだと思います。

矢野 信保 さんより、
私が長崎にいました頃、文化財保護指導員として担当していました地域に大浦天主堂が在りました関係から、何度も大浦天主堂を訪れる機会がありました。教会は天主堂を一般に公開しておられましたが、信者の方々が静かにお祈りをしておられる所に、場所をわきまえない観光客が天主堂に入り、大声で話ながら中を行き来する姿を見て、信者の方をお気の毒に思いました。その様な光景を何度も見ました。その後、信者の為の天主堂が近くに建てられ、歴史的建造物である大浦天主堂は、今まで通り一般に公開されるようになり、ホッとしたのを覚えています。