後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「東京から消えて行く稲田の写真を撮りに行く」

2017年08月19日 | 写真
東京都の昔の西多摩郡、北多摩郡、南多摩郡には、1970年頃まで、あちこちに稲田が広がっていたものです。日野、八王子、青梅などには稲田が一面にあったのです。
しかし高度成長とともに次第に姿を消しました。田畑は宅地に変わってしまいます。現在は町田市の都立小山田緑地公園のそばの谷地に稲田が少しあるばかりです。
少し遠方ですが、多摩丘陵幹線道路を根気よく走り、稲田の写真を撮ってきました。
青田を見ると幸せな気持ちになります。昔、疎開した東北の農村の夏や、生まれ育った仙台市の郊外の稲の香りなどを思い出します。
緑の葉が繁っている田、白い花をつけた田、小さな稲穂を付けた田を探しました。

地方にお住まいの方にとっては珍しくないと存じますが今しがた撮って来た写真をお送りいたします。







10年で消えてしまった儚いもの

2017年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム
文明がどんどん発達すると便利なものが次々に現れて、それまで愛用していたものが消えて行きます。人々に忘れられ、それが存在していたことすら誰も知らなくなります。博物館や文献に残っているだけです。
その一つの例が「ガス燈」です。
明治30年代、1907年から1915年頃までのほぼ10年間くらいだけ存在していました。
それまではロウソクや菜種油の行灯や石油ランプでしたが、イギリスで発明されたガス燈が日本にも輸入され明治30年以降、日本の夜の照明として普及しました。街や建物にガス灯が灯った時、当時の人々はその明るさにどんなに驚き、喜んだことでしょう。
さて日本でロウソクが最初に登場したのは奈良時代だそうです。当時のロウソクは中国から輸入された蜜蝋蝋燭と考えられています。恐らく、仏教の伝来と共に伝わったのでしょう。
ロウソクは現在でも使われていますが、「ガス燈」は完全に忘れられてしまいました。
ガス燈が10年間しか命のなかったのは1913年にタングステン電球が量産されるようになったからです。そして電燈は電線さえ引けば何処でも灯るのです。
そのような「ガス燈」の展覧会が小平市の「ガス・ミュージアム」でありましたので先日行って来ました。「ガス・ミュージアム」とは東京ガスが運営しているガスに関連したものの展示館です。
ガス燈とは吊り下げたり、壁に固定したり床に立てたりした燈火で、ガス管で常に都市ガスを供給する照明器具です。
それでは撮ってきた写真を示します。

1番目の写真は天上から吊り下げたり、卓上のに置いて用いるガス燈です。

2番目の写真は畳の上の置いて針仕事や読書をするためのガス燈です。

3番目の写真は玄関や廊下の壁に固定して用いるガス燈です。

4番目の写真は宴会場の壁際の机の上に置いて華やかな雰囲気を作っていたガス燈です。

5番目の写真は明治時代のガス会社の建物で、ガス・ミュージアムの主棟です。もう一つこのような建物が並んでいます。

6番目の写真は今回の企画展の趣意書です。
この展覧会はガス燈の装飾のためのガラスや支持金具の美しさを楽しんでもらうとするものです。しかし同時に、昔の燈火の発展に歴史を考えさせ、そして昔の夜の暗さを想像させるのです。昔は現在より月の光が大切でした。星空が輝いていました。
そんなことを想像させる楽しい展示会でした。10月9日まで展示しています。
それにしてもたった10年の命とは儚いものですね。ガス燈とは。
このよう生活用具は他にもたくさんあります。皆様はどのような例をご存知でしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)