後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

国宝・重要文化財,八ツ沢発電所を訪ねる、そのロマンと悲しみ

2017年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム
水力発電にはロマンを感じます。旅すると水力発電所のある風景を長い間眺めます。
小学校の時、遠足で行った仙台の三居沢水力発電所の思い出を連想します。それは1888年、明治21年に日本で一番初めに始まった水力発電所だったのです。
色々な発電所を訪ね歩きましたが、一番近く、何度も行ったのは山梨県上野原市にある八ツ沢発電所です。明治45年に出来、当時は東洋一の発電量を誇っていたのです。
昨日、思い立って、車で60Kmほど走り、久しぶりに訪ねて来ました。昨日、撮った写真をお送りします。

1番目の写真は八ツ沢発電所の頂上部の写真です。この頂上から落差100m余の巨大な鉄管の中を水を落とすのです。

2番目の写真は巨大な鉄管の全体の様子です。発電に用いる水は富士五湖の山中湖から流れる桂川の水です。

3番目の写真は甲州街道から撮った八ツ沢発電所です。昔は家々が小さくて長い巨大な鉄管だけが見えていました。
この発電所は以前に訪問した時はまだ動いていて鉄管の中の水流の音が激しく響いていたのです。
それが昨日は水流が止まっていて、静かな山の斜面からはウグイスの声とミンミン蝉の鳴き声が聞こえるだけです。
気が付いてみると、以前あった発電所の歴史を書いた説明板が無くなっています。そこには明治45年にフランスから発電機を買って据え付けた技師たちの努力と苦労の様子が抒情的に書いてあったのです。
昨日みた発電所には人影が無く、周囲を高い金網で囲った巨大な廃墟になっていたのです。フランスから発電機を買ってきた技師たちも忽然と消えてしまったのです。私の胸には悲しい思いが湧き上がってきました。
夏風がその廃墟の中を吹き抜けて、荒れ果てた風景です。
考えてみると、たった42000KW.しか発電しない巨大な施設を動かすのは、いくら何でも無駄なのでしょう。この発電所の所有は 東京電力です。福島原発の廃炉費用で四苦八苦している東京電力には時代遅れの八ツ沢発電所などにかまっていられないのです。

しかしこの発電所は14Kmの水路と貯水池も含めた施設群は一括されて、国宝の重要文化財に指定されているのです。国の重要文化財において最大の規模です。
調整池として設けられた大野ダムは日本初の本格的発電用アースダムなのです。。

4番目の写真はこの大野ダム貯水池の風景です。写真の出典は、http://www.suiryoku.com/gallery/yamanasi/yatuzawa/yatuzawa.html です。

5番目の写真もこの大野ダム貯水池の風景です。この貯水池の岸辺には桜が植えてあり春に何度も訪れた懐かしい場所です。
この貯水池に水を引いて来る取水施設も示します。

6番目の写真は石積みの取水口施設です。
八ツ沢発電所の14Kmの導水路の始まりです。約14kmとは重要文化財としても最大級の長さです。この取水口は駒橋発電所から流れてきた水を取り入れます。そして桂川の水と混ぜられます。

7番目の写真は沈砂池の写真です。
川の水は砂や泥などが混ざっているので、水路に流す前に、 流れの緩い沈砂池(ちんさち)という池を通す工程が必要になりますい。
この石積みの取水口施設や沈砂池は大月のそばの桂川にありますが、西洋の文化を連想させる場所なので何度も車を谷に入れ、飽かずに眺めた場所でした。
これらの全ての施設は明治期の土木工学と電気工学の遺産として平成17年に、国宝・重要文化財に指定されたことは嬉しいことです。
しかし数年前までは轟音を立てて発電機が100年余も回っていた発電所が止まって、廃墟のようになっている光景は悲しいものです。
時代は流れ、万物流転なのでしょうか。淋しいです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料===================
(1)八ツ沢発電所の歴史
平成17年、国宝・重要文化財に指定。

所有:東京電燈[運開]-日本発送電-東京電力[現在]
明治45(1912)年7月:運用開始(水車2台)
大正 3(1914)年:設備改修(水車6台、35000kW)、大野調整池運用開始
昭和38(1963)年11月~昭和39(1964)年:設備改修(水車4台、42000kW)

国宝・重要文化財(建造物)、登録番号:02475(重要文化財)、名称:八ツ沢発電所施設(大野調整池堰堤/大野調整池制水門/大野調整池余水路)、年代:大正3(1914)年
http://www.suiryoku.com/gallery/yamanasi/yatuzawa/yatuzawa.html

(2)大野調整池堰堤や取水口施設、隧道、水路橋の説明
                           
 八ツ沢発電所は、相模川水系の桂川の水を利用した、日本で初めての大規模な調整池式発電所で、当社の前身である東京電灯株式会社が建設したものです。建設当時は、水力発電所として東洋一の規模を誇り、明治45年に営業運転を開始して以来、約1世紀近くが経過した現在も稼動しております。
 この発電所は、川の上流に小さな堤(取水口)をつくって水を取り入れ、長い水路で落差が得られるところまで水を導き、そこから下流に落ちる力で発電する方法(水路式)を採用しています。
 今回、重要文化財に指定されたものは、取水口施設、隧道、水路橋(谷間などに水路を渡すための橋)、調整池をはじめとする合計20箇所の発電所関連施設と土地で、約14kmの範囲におよび、わが国の重要文化財の中で最大規模となります。
 重要文化財の指定にあたっては、明治後期の水力発電所建設の黎明期における大規模な水力発電所関連施設が水系全体として残っていることに加え、当時の鉄筋コンクリート構造の水路橋としては国内最大級の径間(橋脚の間隔)を実現した第1号水路橋や、ダムの高さとしては国内最大であった大野調整池堰堤など、複数の構造物に高度な土木建設技術が発揮されていることなどが評価されました。

 
(3)『全長14km、取水口から八ツ沢発電所までの水の旅』 http://portal.nifty.com/2008/02/07/c/
 山梨県の東部にある大月市には、たくさんの水力発電所が存在する。 特に桂川(相模川水系)沿いに多く、 付近に行けば水力発電所のパイプをよく目にすることができる。
そんな大月市の水力発電所の一つ、 八ツ沢発電所は明治45年に営業を開始したとても古い発電所。 当時の最先端技術と人海戦術によって作られたその導水路は、 優れた産業遺産として国の重要文化財にも指定されている。
あと数年で営業開始100周年。 そんな歴史ある八ツ沢発電所の導水路を、取水口からたどってみた。
(木村 岳人)