後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

我が故郷、仙台の七夕、「青葉城恋歌」、「ブラザー軒」の詩など

2017年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム
故郷の仙台の七夕は今年も8月6日(日)、7日(月)、8日(火)と開催されます。
毎年、夏が来ると、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出します。結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕を見に帰りました。
七夕飾りは私の故郷の光景として心の中に焼き付いています。
それではその七夕飾りの写真をお送りいたします。

1番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/35196915.html です。

2番目の写真の出典は、、http://colocal.jp/news/35321.html です。

3番目の写真の出典は、http://www.hoso0907.com/blog/archives/2007/08/09-021827.php です。

4番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/kokomo21jp/33777367.html です。

5番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/kuwayamatadashi です。

七夕飾りが風に揺れ、その下を家族連れが楽しそうに歩いています。夏ですから東一番丁や大町通りは暑いのです。しかし通りの両側にはかき氷やアイスクリームを売る店があります。
家族連れが座って、団扇であおぎながらかき氷を食べています。

そして何処からともなく、さとう宗幸の「青葉城恋唄」が流れて来ます。

・・・・広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬(はやせ)躍(おど)る光に 揺れていた君の瞳
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都
あの人は もういない

七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁(ささや)き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない

青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
樹(こ)かげこぼれる灯(ともしび)に ぬれていた君の頬
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 通りの角(かど)
吹く風やさしき 杜の都
あの人は もういない

時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都
あの人は もういない・・・・

ご存知のようにこの唄は星間船一が作詞し、さとう宗幸が作曲したのです。仙台在住のさとう宗幸が仙台の広瀬川と七夕飾りを唄ったのです。
さとう宗幸の唄う声は、https://www.youtube.com/watch?v=3VlOygdxoI4 をクリックすると聞くことが出来ます。

もう一度、聞いてみましょう。
・・・七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁(ささや)き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない・・・

さて、七夕飾りにちなんだもう一つの詩と唄をご紹介します。
七夕の夜、亡くなってしまった父と妹に再開したという詩です。

「ブラザー軒」  菅原克己作詞、作曲と歌、高田渡

東一番丁、ブラザー軒
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん
氷を噛む音。

死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。

色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら。

細い脛だして
細い脛だして
椅子にずり上がる
椅子にずり上がる

外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。

妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。

ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。

簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん
氷を噛む音。

死者ふたり、つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。

ふたりには声がない。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
ふたりにはぼくが見えない。

東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の、向うの闇に。

これは昭和二十年七月十日の、仙台空襲の犠牲者を悼む詩とも言われています。
高田渡 の唄声は、https://www.youtube.com/watch?v=dArOtb5V4Nc を聞くことが出来ます。
仙台出身の詩人、菅原克己も、唄った高田渡も既に旅立ってしまいました。

ブラザー軒は仙台市の一番丁に明治35年(1902年)からあった洋食店でした。当時、2階建ての洋風建築と西洋料理というハイカラさが評判で、大変繁盛したのです。長い間営業していたのですが、2011年3月11日の東日本大震災で、レストラン部分が壊れ、2015年5月に廃業しました。
ハイカラな「ブラザー軒」は仙台の人々の憧れでした。
この店は、太宰治の小説「惜別」の中でも名前が出てくるそうです。
「惜別」は、明治37年9月から一年半、東北大学医学部で学んでいた若き日の魯迅(当時23才)の青春を描いた作品です。
もう一度、 菅原克己の詩の最後の部分を読んでみましょう。

・・・・ふたりには声がない。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
ふたりにはぼくが見えない。

東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の、向うの闇に。

今日は仙台の七夕飾りの写真をお送りいたしました。
そして「青葉城恋唄」と「ブラザー軒」をあわせてご紹介しました。
七夕飾りに、人はそれぞれいろいろな想いを浮かべるのですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

新刊紹介、白崎謙太郎著、「小網代ヨット史」

2017年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム
白崎謙太郎さんから連絡がありました。「小網代ヨット史」を小網代ヨットクラブから刊行したというお知らせです。
この新刊の「小網代ヨット史」は一般の方でも2000円で容易に買っていただけます。お問合わせは「小網代ヨットクラブ」http://koajiroyc.jp/ へなさって下さい。
日本で外洋ヨットをなさっている方々は「舵」誌に渡辺修治さんが連載していた「ドン亀ものがたり」をご記憶のことと思います。白崎謙太郎さんはその渡辺修治さんのヨットの弟子でした。
今回出版された『小網代ヨット史』は戦後から現在までの日本のヨットの広範な記録が整然と紹介してあります。
この本は小網代ヨットクラブの 創立60周年記念誌として出版されたのです。
 白崎謙太郎さんの以前の著述の「日本ヨット史」には草創期の頃から第二次大戦までのまでの日本の外洋ヨットの歴史が詳しく書いてありました。
今回の本はその続編で戦後から現在の外洋ヨットのことすべてを網羅して書きあげた力作です。わが国の外洋ヨットの歴史を調べようとする人にとっては絶対に貴重な資料となると信じています。
1番目の写真は今回出版された『小網代ヨット史』の表紙の写真です。

白崎謙太郎さんは「小網代ヨットクラブ」の会員です。
小網代湾は三浦半島の先端近くにあるヨットの泊地です。
2番目と3番目と4番目の写真にその風景を示します。





今回の『小網代ヨット史』は決して小網代湾のヨットだけではなく、全国の外洋ヨットの戦後の歴史が網羅されています。

さてここで白崎謙太郎さんの1988年舵社から出版の「日本ヨット史」の内容を簡単にご紹介します。
この本の全体の構成は以下のようになっています。
1章 横浜浮世絵と古写真
第2章 最初期のヨット
第3章 横浜ヨットクラブの誕生
第4章 T.M.ラフィンと幻のアルバム
第5章 日本人ヨットの胎動・大正時代
第6章 日本ヨット協会設立のころ
第7章 ヨットレースの幕あけ
第8章 Lクラスと外人クラブ
第9章 国内5メーターと設計の発展
第10章 ブルーウォーター派の台頭
第11章 戦前の外洋ヨットレース
第12章 知られざる野尻湖のヨット
第13章 戦前のオリンピックとヨット
第14章 もう一つの伝統・九州のヨット
第15紹 軍国主義下のヨット
私は2011年の12月に以下のような記事を掲載して、この1988年舵社から出版の「日本ヨット史」の内容をご紹介しています。
白崎謙太郎著、「日本ヨット史」の紹介と抜粋、要約(1)全体の構成、そして渡辺修治さんとの絆
白崎謙太郎著、「日本ヨット史」の紹介と抜粋、要約(2)明治時代、横濱に在住した外人のヨット
白崎謙太郎著、「日本ヨット史」の紹介と抜粋、要約(3)明治20年代の横濱にあったヨットの写真集の発見
白崎謙太郎著、「日本ヨット史」の紹介と抜粋、要約(4)ベルリンオリンピックへの参加と戦前の外洋レース、2011年12月24日 掲載

この「日本ヨット史」では日本へヨットというスポーツがどのように入って来たかという歴史を文献で調べ、数多くの関係者を訪問し、昔のヨット事情を聞き、出来あがった本なのです。
それによると明治20年頃から大正12年の関東大震災まで横浜港では在住外国人が盛んにヨットレースを繰り広げていました。外国人在住者の多かった神戸港や長崎でも同じような光景があったと想像できます。
明治維新で横濱や神戸に在住するようになった欧米人の趣味としてヨットが日本で製造されたのが日本の外洋ヨットの始まりでした。
それが日本人の趣味として普及し始めたのは大正時代になってからです。
ヨットは明治時代の富国強兵策に合致しない役立たず船だったのです。日本帝国の海軍の拡張や整備の途上でヨットは全く無視されていたのです。
今回の『小網代ヨット史』も白崎謙太郎さんが戦後の日本の外洋ヨットに関して文献で調べ、数多くの関係者を訪問し書き上げたものです。
外洋ヨットに興味のある方々にとっては必見の書です。
ついでに関連の写真をもう少し示します。

5番目の写真は横浜港の明治時代の外人の帆走風景です。

6番目の写真は日本のヨット発祥の地の神奈川県葉山市の鐙摺港の写真です。

7番目の写真は現在でも外洋ヨットが係留されている鐙摺港の風景です。現在、鐙摺港は葉山湊と名前を変えています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)