後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

戦前の軍人教育の問題点(1)何故、今頃考えるか?

2018年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム
現在の日本人は穏やかで優しい性格の人が大部分です。毎年、外国からたくさんの観光客が来て、日本人の親切に心を打たれたと言って帰って行きます。
しかし第二次大戦の前後の時代の日本人はそうではなかったのです。時代が変われば民族の性格が変わるのでしょうか?
今日から数回の連載記事でこの問題を考えてみたいと思います。
まず第二次大戦の前後の時代を思い出して頂くために2枚の写真を示します。

1番目の写真は戦争中の写真です。白馬に乗った昭和天皇の姿です。昭和天皇は大元帥として全軍の最高指揮官でした。それと同時に現人神(あらひとがみ)という神様だったのです。

2番目の写真は敗戦後、荒廃した全国を巡り、打ちひしがれた国民を激励している場面です。敗戦で急に現人神から人間になった昭和天皇を、まだ神として見ている人々の表情をご覧下さい。
戦中、戦後の時代がどのようなものだったかをこの2枚の写真が雄弁に物語っています。
日本が敗戦したのは73年前の1945年です。そんな昔のことを今更考えても仕方が無いと言う方もいるでしょう。
しかし安倍政権になってから急に憲法改正と軍備強化が進められているのです。
こんな時代に何故、日本が戦争へ突き進んで行ったかを再度考えるのは決して無駄ではないと考えます。

その上、この戦前の軍人教育の問題点を取り上げたのは次のような個人的な理由があったのです。
私は次第に歩くのが困難になる難病になり介護保険の支援で、3年前から毎週一回、リハリビ施設に通っています。
そこで2年前に知り合い、大変親しくなった2人の紳士がいたのです。陸軍士官学校の第57期生、95歳の田中和彦さんと第59期生、92歳の立石 恒さんです。お互いに家を訪問するような仲になりました。
するとお二人とも実に穏やかな性格でとても帝国陸軍の中尉や少尉だったとは想像もつかない紳士なのです。その上、約束は守り、礼儀正しく、行動は迅速で、感心するような人なのです。
そこで長い間、何故このような温厚な人が陸軍士官学校へ入学したのだろうか不思議に思っていたのです。
そしてこのように平和的な2人が補給も出来ないほど戦線を拡大した戦に参加しようとしたのか疑問に思っていました。
何故、日本軍人は国際法を無視し、捕虜の虐待をしたのでしょうか?
何故、満州に侵入したロシア軍に抵抗しなかったかのでしょうか?いろいろ疑問に思っていました。

やがて私はこれらの疑問を解く一つの鍵は戦前の軍人教育に欠陥があったのではないかと考えるようになったのです。
戦前の軍人教育のための学校は実に数多く、その全てを紹介するわけにはいきません。
しかし陸軍関係の数校だけを次に示します。
 ・陸軍士官学校(本科)
 ・陸軍予科士官学校
 ・陸軍幼年学校


  ・陸軍歩兵学校
   ・陸軍騎兵学校
   ・陸軍野戦砲兵学校

参謀本部所管学校
  ・陸軍大学校
  ・陸軍中野学校
陸軍航空総監部所管学校、陸軍航空士官学校

以下省略しますが詳しくは下記をご覧下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%A3%AB%E5%AE%98%E5%AD%A6%E6%A0%A1

陸軍の軍人を教育する学校は沢山ありました。しかしその中核をなすのは陸軍士官学校と陸軍大学校と考えても大きな間違いは無いと思います。
特に陸軍士官学校は戦争を実施する部隊の指揮をとる将校の養成機関なので一番重要な学校だったのです。
この学校の修了には約2年の予科と同じく約2年の本科を卒業しなければなりませんでした。この修了年限は戦況の逼迫により次第に短縮されたのです。入学には最短で旧制中学校5年で入学しますから、19歳や20歳で卒業し、天皇陛下からの命令で少尉に任官したのです。
この約4年間の教育カリキュラムは調べれば分かります。連載の次回でご紹介したいと思います。
それを知った上で私は次のような疑問を感じざるを得なかったのです。
(1)教室での講義では仮想敵国の兵器、戦車、戦闘機、爆撃機の性能を教える講義が充分ありましたか?
(2)野外における指揮や兵器の取り扱いの教育は毎週、何日ありましたか?
教室での戦術や兵器に関する講義は毎週、何日ありましたか?
(3)仮想敵国との戦争にあたっての戦場における指揮方法や戦術の講義が充分ありましたか?
中国軍の兵器の数量や性能に関する講義はありましたか?
特にアメリカの航空母艦や艦載機の性能に関する講義はありましたか?
(4)敵の軍隊の配置と日本軍の戦略に関する講義はありましたか?
(5)海外に展開した日本軍の弾薬と食料の補給方法についての講義はありましたか?
(6)敵兵の捕虜の取り扱いに関する講義はありましたか?

以上の疑問を紙に印刷して陸軍士官学校の第57期生の田中和彦さんと第59期生の立石 恒さんへお渡ししたのです。暫くたってから訪問していろいろ教えて頂きました。
お答えの内容も含めて次回から戦前の軍人教育の問題点をいろいろ考えて行きたいと思います。
今日は問題提起にとどめておきたいと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今日の多摩湖周辺の紅梅、白梅の写真

2018年03月04日 | 写真
今日は庭の最高気温が22度になりました。
春です。暖かい風に誘われて多摩湖一周のドライブに行って来ました。
農家の庭先に紅梅、白梅が咲いていました。
その写真と今日の多摩湖の写真をお送りいたします。梅は1月の末から3月いっぱいと長い間楽しめますね。
皆様のお住まいの地方の今年の紅梅や白梅はいかがでしょうか?