後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

自然を愛する人は幸せになる

2018年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム
幸せとは何でしょうか? 幸福とはどういうものなのでしょうか?
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』では、主人公のジョバンニが銀河鉄道から降りて、「ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ」と言います。「本当の幸福」とは何でしょうか?
ベルギーの象徴詩人、メーテルリンクは幸福の象徴の青い鳥を探す童話を書きました。
2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行く物語りです。あちこち遠いところを探しますが結局は自分たちの家に身近にある鳥籠の中にいる鳥だと気がつきます。
人々はみんな幸せになりたいと願っています。
私も若い頃から幸せになろうと努力しました。苦労もしました。若い頃は幸福とは何か分っていなかったのです。それで余計な苦労をしたのです。
しかし老境になると「ほんとうの幸福」とは何か分かるような気分になるものです。
簡単です。自然の風景が好きになれれば幸せになります。自然が生んだ野菜や作物を大切にする心があれば幸せになります。自然のもの全てを愛すと幸福になります。自分では出来ないが自給自足の農業をしている人を尊敬すると幸せな気分になります。
幸せな気分はすぐに消えます。しかし何度もその気分を呼び戻せばよいのです。
一例を示します。5枚の写真に春の陽に輝く海とある漁港の風景写真を示します。
日本全国の何処にでもある海辺の風景です。









このような風景写真を無心に眺めていれば良いのです。風景を愛して眺めているあいだは間違いなく幸福な状態が持続します。そうしてこんな風景の写真を撮っている間も私は幸せです。
私はこの幸せを求めてロウバイや梅の花をおちこちで撮ります。
雑木林の写真も撮りに行きます。庭に咲いている沈丁花の花の香りで幸せな気分になります。
幸福は身近にたくさんころがっています。
これが私の本当の幸福です。メーテルリンクの幸福の象徴の青い鳥は、私にとっては自然の風景です。自然のもの全てです。今日も春のような日和です。自然の風景を求めて田園地帯を車でゆっくり走るつもりです。

しかし宮沢賢治の「ほんとうの幸福」は上に書いた種類の幸福ではないのです。法華経を信じ、他人のために自分を犠牲にすることなのです。その境地が賢治の言う「ほんとうの幸福」なのです。
彼の有名な次の詩を見れば分かります。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ

南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

賢治の幸福とは私が書いたような簡便至極な幸せではありません。
いきなりキリスト教のことを書くと突拍子も無いことになりますが一言書かせて下さい。
イエスの「隣人を愛せ」という言葉は広い意味を持っています。その意味には冷害で苦しむ農民を愛することも含まれています。そして、
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ、・・・・

このような宗教的な幸福も理解することも大切ではないでしょうか。
その上で幸福は身近にたくさんころがっていると信じて、明るい気分で毎日を過ごようにします。
すると明るく楽しくなります。これは若い頃に想像も出来なかったことでした。
皆様は幸せでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)