3月17日に『老人と孤独(1)インターネットを用いて新しい友人を作ろう』という記事を掲載しました。
こんな書き出しでした。・・・人間は高齢になると祖父母や両親が旅立って行ってしまいます。それまで目をかけて励ましてくれた恩人や友人達も何時の間にかいなくなってしまいます。自分を昔から知っている人々がみな消えてしまうのです。気が付いてみると周りには知っている人がいなくなってしまいます。老人の宿命です。老人の孤独です。・・・
この記事を見た老妻がケラケラ笑うのです。私は孤独なんて一度も感じたことがありませんと言うのです。
吃驚しました。そこでいつも通っているリハビリ施設で知り合った数人の高齢の男性と女性に、「あなたは孤独ですか?」と聞いて見ました。夫に先立たれた女性が笑いながら「全然、感じません」と答えます。その他の女性も孤独なんて一切考えたことがありませんと答えます。一方男性は、「やっぱり淋しいです。孤独です」と答えます。
たった数人の答から結論を出すのは乱暴過ぎますが、女性はいくら年を取っても孤独を感じないのです。この結論は長年に渡って知り合った男女を観察してきた結果も勘案した結論です。
その上、時々、男性は「孤独でなければ独創的なものは造れない!」と真顔で言います。男性は孤独の淋しさに耐えなければ大きな仕事が出来ないと信じているのです。この考え方には疑問を感じますが、今日はそのことを書きません。
さて本題に戻って、何故、女性は孤独を感じないのでしょうか?
その原因は幾つかあります。
一番大きな原因は女性は苦しい思いをして子供を生みます。育てます。それだけに子供との絆が男性よりも圧倒的に強いのです。
子供が成長して母親のもとを離れてもこの強い絆がしっかり心の中に焼き付いているのです。ですから女性は年をとって一人暮らしになっても孤独を感じないのです。そのうち孫の出来ます。孫が遠方に住んでいてもその絆を強く感じるのです。
特に自分が生んだ子に障害があったりすると、子育てにはかり知れない苦労をします。しかしその苦労の思い出が女性の老境の支えになるのです。孤独など感じません。
もう一つの理由は女性は周囲に人々とすぐ仲良くなり愛することが出来るからです。勿論例外もありますが、この傾向は男性よりも圧倒的に強いのです。昔から、女は愛嬌と言います。ですから女性は気軽に知らない人にも話しかけます。これは自然の法則です。女性はこの自然の法則を本能的に知っているのです。ですから孤独なんて感じないのです。
さてそれでは一生独身で、子供を産んだ経験の無い女性は孤独を感じないのでしょうか?
孤独を感じないから結婚しなかったのでしょう。だから孤独を一切感じない存在なのです。こういうのを詭弁と言います。
独身の女性が孤独を感じないのは自分が子供を生める潜在的な能力があると確信しているからです。そして母や兄弟姉妹との血のつながりを強く感じているからです。孤独を感じません。
それが普通です。しかしこういう場合もあります。見かけは美しい女性ですが男性的な精神の持ち主もいます。黒柳徹子さんや兼高かおるさんなどがその例かも知れません。
ここで一休みして私が孤独を感じる風景写真を3枚示します。河口湖に何十年も変わらず係留されている孤独なヨットの風景です。
1番目の写真は広い河口湖にこのヨットだけポツンと係留されている風景です。
2番目の写真はこのヨットの係留されている桟橋から船体と富士山を写した写真です。
3番目の写真はヨットを大写しにした写真です。何時でも帆走出来るようにメインセールがとり付けてあり、青い布のカバーが掛けてあります。何十年もこのヨットの写真を撮っていますが、持主の姿を一度も見たことがありません。たまに来て一人で帆走を静かに楽しんでいるのでしょう。独りで帆走出来るような小さなジブとメインセールがついた小型のヨットです。
雄大な富士山を前にして、このヨットの小ささから何故か人間の無力さを感じます。そして人間の孤独を感じます。
さてそれはそれとして、一生結婚しない人の例をもっとあげます。
それはカトリックの神父さん達です。いろいろな修道院の修道士達です。いろいろな修道会のシスター達です。
神様とイエス様が彼等を愛しています。その愛の絆があるから孤独でありません。
佛教の僧侶も一生独身を通す人もいます。お釈迦様との絆があれば淋しくないのです。
孤独感について雑駁な文章を書いてしまいました。皆様からのご意見を頂けたら幸せです。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)