最近しきりに84歳の自分が時代遅れになってしまったという想いが湧いてきます。
何故そういういうように思うのか分かりませんが、数日前に 「時代を越えて澄んだ鐘の音を鳴らす宮沢賢治」(2020年05月28日掲載)を書いたときつくづくそんな想いが湧いてきたのです。
一つには「銀河鉄道999」は知っているが「銀河鉄道の夜」は知らない若い人々が多くなってきたからかも知れません。その上、「銀河鉄道の夜」には現在の人々には理解困難な部分が沢山あるのです。そのような作品が好きな自分は間違いなく時代遅れです。
今日は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を例にして何故、老人が時代遅れになって行くかをご説明したいと思います。
まず私は「雨ニモマケズ」の内容のように贅沢を望まず他人のために、そして復興のために尽くす人間になろうと思ったのです。
この私の思いは戦後の中学校の国定教科書にこの詩が掲載されていたからです。
私の中学校では特攻隊帰りの教師が教えていたので「国家の復興のため」を強調して教えていました。
最近考えてみると、私が目標にしていた「自分は質素な生活をして国家の為になる」という考え方が古いようです。
その上、この詩の内容が現在という時代に合わない部分があちこちにあるのです。それではこの詩を読んでみましょう。
「雨ニモマケズ」 宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭の
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
上の詩の終わりの部分の、南無無辺行菩薩・・・以下は普通省略されています。
それはさておき、この詩の中で現在の時代とかけ離れた部分を3ケ所だけ示します。
(1)一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
こんな食生活は現代離れし過ぎています。
(2)ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
この部分は賢治が日照り続きや寒い夏で東北地方は凶作になり農民が困るので、それを憂い悲しんでいる部分です。
しかし現在の米の生産量は年度にもよりますが北海道が1位で、続いて青森県そして秋田県、岩手県、宮城県、新潟県となっています。
東北地方の冷害による米の凶作はあまりにも古い話です。稲の品種改良のお陰です。賢治がサムサノナツハオロオロアルク必要がなくなったのです。それは時代遅れです。
(3) ミンナニデクノボートヨバレ
現在の日本では差別用語廃止で「デクノボー」と呼ぶ人はいません。時代が違うのです。
この詩が好きな私も時代遅れなことは明白です。
何故、この詩が好きなのでしょうか?その理由はこの詩が賢治の祈りの文章だから好きなのです。この詩の内容のような人間になりたいのでお釈迦さま助けて下さいという祈りなのです。
賢治は生涯、法華経の行者でした。24歳のときに国柱会に入信して以来、亡くなるまで法華経を説きます。遺言にも『国訳妙法蓮華経』を千部印刷し、周りに頒布するよう書いています。
このことは、「賢治と法華経」http://matome.naver.jp/odai/2138154465952826401 に説明してあります。
法華経のお釈迦様の教えで無上の道に導かれるようにするのが、賢治の生涯の仕事だったのです。ですから「雨ニモマケズ」は法華経の祈りを描いたものなのです。
そして賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と信じていたのです。この部分は「宮沢賢治生誕百年に寄せる 「雨ニモマケズ」入門」を検索して児玉 正幸さんの説明をお読み頂ければ良いと思います。
今日の結論です。賢治の作品のいろいろな部分は時代遅れですが、その趣旨や精神は決して時代遅れではないのです。
同じように私の知識は時代遅れになってしまいましたが、精神は絶対に時代遅れではないのです。
今日の挿し絵代わりの写真は以前に青梅市の吹上しょうぶ公園で撮って来た写真です。JR青梅駅からタクシーで10分くらいの所です。詳しくは、http://www.city.ome.tokyo.jp/koen/shobu_koen.html をご覧ください。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
何故そういういうように思うのか分かりませんが、数日前に 「時代を越えて澄んだ鐘の音を鳴らす宮沢賢治」(2020年05月28日掲載)を書いたときつくづくそんな想いが湧いてきたのです。
一つには「銀河鉄道999」は知っているが「銀河鉄道の夜」は知らない若い人々が多くなってきたからかも知れません。その上、「銀河鉄道の夜」には現在の人々には理解困難な部分が沢山あるのです。そのような作品が好きな自分は間違いなく時代遅れです。
今日は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を例にして何故、老人が時代遅れになって行くかをご説明したいと思います。
まず私は「雨ニモマケズ」の内容のように贅沢を望まず他人のために、そして復興のために尽くす人間になろうと思ったのです。
この私の思いは戦後の中学校の国定教科書にこの詩が掲載されていたからです。
私の中学校では特攻隊帰りの教師が教えていたので「国家の復興のため」を強調して教えていました。
最近考えてみると、私が目標にしていた「自分は質素な生活をして国家の為になる」という考え方が古いようです。
その上、この詩の内容が現在という時代に合わない部分があちこちにあるのです。それではこの詩を読んでみましょう。
「雨ニモマケズ」 宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭の
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
上の詩の終わりの部分の、南無無辺行菩薩・・・以下は普通省略されています。
それはさておき、この詩の中で現在の時代とかけ離れた部分を3ケ所だけ示します。
(1)一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
こんな食生活は現代離れし過ぎています。
(2)ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
この部分は賢治が日照り続きや寒い夏で東北地方は凶作になり農民が困るので、それを憂い悲しんでいる部分です。
しかし現在の米の生産量は年度にもよりますが北海道が1位で、続いて青森県そして秋田県、岩手県、宮城県、新潟県となっています。
東北地方の冷害による米の凶作はあまりにも古い話です。稲の品種改良のお陰です。賢治がサムサノナツハオロオロアルク必要がなくなったのです。それは時代遅れです。
(3) ミンナニデクノボートヨバレ
現在の日本では差別用語廃止で「デクノボー」と呼ぶ人はいません。時代が違うのです。
この詩が好きな私も時代遅れなことは明白です。
何故、この詩が好きなのでしょうか?その理由はこの詩が賢治の祈りの文章だから好きなのです。この詩の内容のような人間になりたいのでお釈迦さま助けて下さいという祈りなのです。
賢治は生涯、法華経の行者でした。24歳のときに国柱会に入信して以来、亡くなるまで法華経を説きます。遺言にも『国訳妙法蓮華経』を千部印刷し、周りに頒布するよう書いています。
このことは、「賢治と法華経」http://matome.naver.jp/odai/2138154465952826401 に説明してあります。
法華経のお釈迦様の教えで無上の道に導かれるようにするのが、賢治の生涯の仕事だったのです。ですから「雨ニモマケズ」は法華経の祈りを描いたものなのです。
そして賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と信じていたのです。この部分は「宮沢賢治生誕百年に寄せる 「雨ニモマケズ」入門」を検索して児玉 正幸さんの説明をお読み頂ければ良いと思います。
今日の結論です。賢治の作品のいろいろな部分は時代遅れですが、その趣旨や精神は決して時代遅れではないのです。
同じように私の知識は時代遅れになってしまいましたが、精神は絶対に時代遅れではないのです。
今日の挿し絵代わりの写真は以前に青梅市の吹上しょうぶ公園で撮って来た写真です。JR青梅駅からタクシーで10分くらいの所です。詳しくは、http://www.city.ome.tokyo.jp/koen/shobu_koen.html をご覧ください。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)