これは私の個人的な感情です。中国が西洋の植民地主義で侵食されたことに怒りを感じていました。東洋人としての怒りです。
清朝の終わりころから英領の香港やポルトガル領の厦門が作られ、いろいろな大都市に西洋諸国の租界という治外法権の区画が作られたのです。このことに私は怒りを感じていました。
それはさておき私は1979年に初めて中国大陸の人々に会いました。
1979年、ベルサイユ宮殿前の国際会議場で北京鉄鋼学高学院の周栄章教授たちに会ったのです。私は彼に西洋の植民地主義に対する怒りを話しました。英語で話し合ったのです。
周栄章教授は共産軍とともに天津市を占領し、民生行政に参加した人でした。毛沢東による中国革命に参加した共産党員でした。
周氏は日本軍が真珠湾で米太平洋艦隊を攻撃した時、ものすごくうれしかったそうです。日本は太平洋へ軍事作戦を拡大するので、中国本土の戦争は中国にとって楽になると考えたからです。実はこれだけではないようでした。西洋植民地主義で清朝以来痛めつけられた中国人にとって、兄弟分の日本が西洋人に痛撃を与えたからです。
さてベルサイユ宮殿前の国際会議場で会った人によって私は北京鋼鉄学院と瀋陽にある東北工学院へ招待されました。
1981年に北京鋼鉄学院の周栄章教授が私をある秘密の部屋に案内したのです。彼が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言いました。
暗夜に紛れて連れて行かれた所は、深い地下に埋め込んだ大學の地下室でした。明るい照明がついた大きな部屋の壁一面に、周恩来の写真、詩文、花束などが飾られていました。彼は「中国人が一番好きな人は毛沢東ではなく周恩来ですよ。中央政府が禁止しても、周恩来の追悼はちゃんとやるよ。それが中国人の根性なのです」と言い切りました。
中国の首相、周恩来が死んだ時、中央政府は公的葬式以外の一切の私的な追悼会のような集会を禁止していたのです。
外国人の私が政府側へ密告しないとどうして信用できたのでしょうか。このような体験は、中国も日本も権力者と一般の人々との考えが違うことを教えてくれました。
旧満州の中国東北部の瀋陽に行った時、東北工學院の陸学長がニコニコして「私は日本人の作った旅順工大の卒業です」ときれいな日本語で言いました。そこで、東北大学金属工学科で私が電気冶金学を習った森岡先生が旅順工大にいたことを話しましたら、「悪い先生もいましたが、大変お世話になった素晴らしい日本の先生もいました。ご恩は忘れません」と懐かしそうでした。中国人は個人の付き合いと国家同士の論争とは分離して考えているようです。
また北京鉄鋼学院での話に戻ります。周栄章教授から「1959年にソ連と中国が大喧嘩をした理由を知っていますか」と聞かれたことがありました。「日本の新聞では、イデオロギー路線の論争でソ連が絶交して出て行ったことになっている」と私。
周栄章教授は苦笑いして、「イデオロギー論議なんて高尚な話ではない。ソ連の空軍と海軍が中国全土の空港と港湾を自由に使い、すべての軍事作戦の指揮権をソ連に与えよと要求したからである。簡単に言うと、中国全土がソ連の植民地になるということだ」
「それは知らなかった」と私。
「毛沢東は断固拒絶した。ソ連は中国全土から引き揚げる時、無償供与した工業設備をネジ一本まで貨車に積んでシベリア鉄道で撤収した。私の大學でもすべての実験装置が持って行かれ、ガランとした建物だけが残った」。
昔、上海の英国租界の公園に「中国人と犬は入るべからず」という看板があった。この看板を中国人は絶対に忘れないのです。
以上のようないきさつで私は中国共産党の党員の周栄章さんと非常に親しくなったのです。私の西洋植民地主義への怒りが中国人の怒りと共鳴したのです。
最近欧米でも植民地主義への反省が起こり、各地で植民地主義へ加担した英雄たちの銅像が撤去されるようになりました。2004年に旅立ってしまった周栄章さんもあの世で喜んでいる筈です。
今日の挿絵代わりの写真は西安の写真です。私が周栄章さんのお陰で見た西安の風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

1番目の写真は西安の大慈恩寺の境内にある大雅塔です。ここに玄奘三蔵法師の持ち帰った経典が保管されていました。
私は1981年に許可を貰ってこの大雅塔の最上階まで登ったことがあります。当時は文化大革命の後だったので大雅塔の土の階段が崩れていたことに心が痛みました。現在は綺麗に修復され立ち入り禁止になっていると聞きました。

2番目の写真は大慈恩寺の境内にある玄奘三蔵法師の記念堂です。
写真の出典は、http://www.e-asianmarket.com/xian/xiantemple01.html です。

3番目の写真は西安の青龍寺にある空海の記念碑です。青龍寺は隋の時代、582年に創建されました。空海は、ここで恵果和尚から密教の教義を学びました。写真の出典は、https://bluebird-story.com/qinglongsi/ です。

4番目の写真は西安にある兵馬俑です。
西安の兵馬俑の写真の出典は、https://nanimonio.com/day20-xian-china-emperor-qinshihuangs-mausoleum-site-museum-huaqing-palace-huimin-street/ です。

5番目の写真は巨大な兵馬俑博物館の全体の光景です。