後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「初夏の風物詩、入谷の朝顔市と下町情緒への憧れ」

2020年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は初夏の風物詩、入谷の朝顔市をご紹介したいと思います。そして私の下町情緒への憧れを少し書いてみたいと存じます。
さて入谷朝顔まつりです。
この朝顔市は今年は中止ですが、去年までは毎年7月6日から8日まで開催され、日本最大の朝顔市でした。この三日間は入谷鬼子母神や言問通りに120軒の朝顔業者と100の露店が並び、毎年約40万人もの人出で賑わっていたそうです。
入谷の朝顔が世に知られるようになったのは、江戸時代末期の頃といわれています。最初は御徒町で栽培されていたものが、時代の変遷とともに入谷の植木屋が造るようになったそうです。明治中期になるとその出来栄えの素晴らしさから、鑑賞用として広く知られるようになりました。
最盛期の頃は、花粉の交配によって一千種類もの朝顔が花を咲かせたといいます。その後、大正の時代に一度入谷の地から姿を消した朝顔ですが、戦後に朝顔同好会により、再び朝顔市として今の姿を取り戻すこととなりました。
江戸時代から夏の風物詩として江戸っ子に親しまれてきた朝顔。時代を超えて、江戸の夏が感じられる三日間です。
詳しくは、入谷朝顔市;http://www.gotokyo.org/jp/kanko/taito/event/iriya_asagao.htm をご覧下さい。
5枚の写真にこの朝顔市の朝顔の花の写真をお送りいたします。









朝顔市と言えば入谷は下町なので下町情緒があふれているに違いありません。
私は下町に住んだことがありません。そのせいか私は下町情緒に強い憧れを持っています。
そこで東京の下町について書いてみます。出典は、「下町情緒あふれるエリア」、https://rtrp.jp/articles/84951/ です。
これは人情味あふれる東京の下町をまとめて紹介した資料です。
江戸時代のはじめは、下町とよばれていた地域は神田のあたりでした。ですが、時代が経過していくとともに下町は拡大していきます。現在の東京の代表的な下町は日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川と言われています。
さて入谷の歴史です。
入谷は昔、豊島郡坂本村の一部でした。江戸時代には正式な行政地名ではなかったのです。
室町時代までは入谷一帯は千束池の底にありましたが、戦国時代に埋め立てられて開墾されたのです。その後目立った開発はされず、入谷土器という焼き物が生産されていたことが知られているだけです。
江戸時代末期から明治時代に入って、朝顔栽培が盛んになり、やがて入谷朝顔市が開かれる場所として有名になりました。
また「恐れ入谷の鬼子母神」と謳われた入谷鬼子母神も旧入谷町内にあります。
このような下町の日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川には人情篤い江戸の町人文化が残っているのです。
それは江戸城の近所や山の手の武士階級の文化とは違います。
江戸の町人文化を言葉で説明するのは難しいのですが、江戸落語の世界と言えばお分かりと思います。
義理人情に篤いがどこか抜けている親しみ易い長屋の住人の持っている文化です。武士の格式ばった文化とは違います。
私が下町情緒に強い憧れを持っているのは江戸落語の世界が好きなせいだからと思います。

これは全くの余談ですが、長年一緒に住んでいる家内は下町文化よりも山の手文化を背負っています。それも私が下町情緒に憧れている理由の一つです。つまらぬことで失礼しました。

それにしても初夏の風物詩、入谷の朝顔は本当に美しいですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)