後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の年間第13主日のミサも動画配信で与りました」

2020年06月28日 | インポート
今日は年間第13の主日です。ミサを動画配信であずかりました。
日本の全てのカトリック教会はコロナ感染予防のためにミサを止めています。
しかし制限しながら教会でのミサが始まりました。けれども高齢者は出席はしません。
東京大司教区では土曜日の夜に行う主日のミサを動画配信しています。
古い伝統では土曜日の夜に日曜日が始まるのです。ですから土曜日の夜に日曜日の主日のミサも行えるのです。
私どもは何時ものように今日の午前中に昨日の土曜日の夜の主日のミサにあずかりました。
今日のミサの写真を2枚お送りします。そして長崎の隠れキリシタンの里、外海町のカトリック黒崎教会の写真を1枚ご紹介いたしたいと思います。





フランシスコ・ザビエルの紹介:
ローマ法王の使節、イエズス会の東インド管区長の資格をもって、彼はコモリン岬をはじめインド各地を巡り、さらに1545年から47年にかけて、マラッカからモルッカ諸島まで布教に従事した。その間、マラッカの教会で最初の日本人として鹿児島出身のヤジロウ(アンジロウ)らに会い、彼らの母国日本にキリシタン宗門を広める大いなる熱意を抱いた。
1549年(天文18)8月15日にザビエルは鹿児島に第一歩を印した。

薩摩、平戸を経、周防でも同僚フェルナンデス修道士らと伝道したのち、1551年の初めに堺に達し、ついで京都に赴いたが、戦乱のために天皇も将軍も権威がないのを悟る。
落胆のうちに西下した彼は、周防の大内義隆を再度訪れ、数々の珍奇な品を献上してその好意のもとに山口で布教した。ついで豊後にポルトガル船が入港したとの知らせでその地に移り、大友宗麟に謁したのち、1551年ひとまず離日してインドに帰った。

翌年中国布教を志してゴアから旅立ったが、広東沖のサンショアン島で病死した。ときに1552年12月2日。遺骸は現在ゴアのボン・ジェズ教会にあり、右腕だけはローマのジェズ教会に安置されている。1622年、聖人の位に列せられた。

「日本人と神社とのかかわり」

2020年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。みなさまお元気でしょうか。日曜日には宗教に関する記事を書くことにしています。
そこで今日は日本人と神社とのかかわりについてスケッチ風に描いてみたいと思っています。
日本人なら幼少の頃、神社の境内で遊んだ事があると思います。そこはいつ行っても清潔で、子供が遊び回っても叱られない自由な空間です。特に神主さんが住んで居ない神社は蝉取りをしようが、野球をしようが誰にも叱られません。
祭礼の日になると日頃の腕白ぶりをやめ、何事も無かったように楽しく出店を見て楽しみました。その恩返しに元旦にお賽銭を持ってお参りに行ったものです。
老年になった現在でも神社を見ると入って行ってお賽銭を上げます。幼少の頃に遊ばせてくれた恩返しのつもりです。
神社や神道は日本古来の宗教です。山や木や、もろもろの神様や偉い人達がご神体として祀ってあります。家内安全や五穀豊穣を願ってお祈りします。
多くの日本人は神社を遊び場にして育ったと思います。家内安全を祈った場所でした。この様な場所を持っている日本人は幸せだと思います。
このように日本人と神社や神道とのかかわりは軽やかで一見重要でないようにも見えます。
しかし神社や神道は日本民族の基底にある重要な文化の一部なのです。
以下では3つの神社の写真と富士山信仰の宗教的な登山の風景写真2枚を掲載します。
神社の写真は九州の祐徳稲荷神社と京都の賀茂別雷神社と北海道の札幌稲荷神社の写真です。
祐徳稲荷神社は何年か以前に行きましたが日本一豪華な神社です。神主さんたちが沢山いました。とても子供が境内で野球をして遊べるような雰囲気ではありませんでした。故郷の神主さんがいない質素な神社を懐かしく思い出しました。

1番目の写真は日本一豪華な九州の祐徳稲荷神社です。

2番目の写真は京都の賀茂別雷神社です。賀茂別雷神社の写真の出典は、http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005602.html です。

3番目の写真は北海道の札幌の伏見稲荷神社です。

4番目の写真は富士山の宗教的登山の風景写真です。出典は、http://www.fusokyo.org/activity.html です。

5番目の写真も富士山の宗教的登山の風景写真です。
さて4番目と5番目の写真の富士山の宗教的登山の風景は珍しいと思いますので、少し説明を加えておきます。
富士山の宗教的登山とは富士山を神と信じ、富士山へ登ることです。登れば神のふところに抱かれて、神と自分が一体になるのです。神様が自分の体に乗り移ってくれるのです。自分の人間としての汚さを洗い流してくれるのです。「六根清浄、お山は晴天」と唱えながら杖をつき、白い装束で一列になって登るのです。
それは深い、深い宗教的な境地なのです。キリスト教でもイエス様が自分の身の中に居るという表現を使う時があります。何か勇気がいる事を行う時、自分が行うのではなくイエス様が行ってくれるのだと意識します。そうすると不思議に心配が無くなり正しい事が出来るようになるのです。
このように神と自分の合体感を得る体験はどんな宗教でも重要な事としています。その為の修業の方法がいろいろ決まっているのです。
富士山の宗教的登山は修験道の一つです。神道と仏教とが習合して出来た修験道です。
宗教のことをあまり知らない人は、「修業すれば人は誰でも良い人間になれる」と言います。それは半分嘘で、半分しか正しくありません。いくら修業を積んでも良い人間になれない多くの人間が居ます。その一方で、修業を積んで良い人間になれる人もいます。
ここで重要な事は結果でなく、修業中の人間はその間だけでも善人になれる事なのです。
間違いを恐れずに書けば、いかなる悪人でも善人になれるとはこういう意味なのです。
修験道にもそのように深い宗教性があるのです。写真からご想像頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)