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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「曾遊の地の雪景色(5)大浦天主堂とグラバー邸の雪景色」 

2020年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム
長崎へ観光旅行に行った方々は国宝の大浦天主堂とグラバー邸を訪れたことと思います。私どもも何度も訪れました。大浦天主堂とグラバー邸は曾遊の地です。
そこで今日は大浦天主堂とグラバー邸の雪景色の写真をお送りいたします。

1番目の写真は雪の大浦天主堂です。写真の出典は、https://qt-yoshimoto.ai-plus.com/blog/archives/13612 です。

2番目の写真は大浦天主堂の裏から見た雪景色です。
写真の出典は、https://twitter.com/tsukuru_tei/status/691158260368351232 です。

3番目の写真はグラバー邸の雪景色です。写真の出典は、http://nagasaki-r.seesaa.net/article/138192390.htmlです。
今日は日曜日なので少しキリスト教のお話をいたします。江戸時代の禁教の歴史をかいつまんでご紹介したいと思います。
江戸幕府が出来て、1615年からキリシタンの禁教が一層厳しくなりました。日本ではキリシタンの信者は絶滅したと誰でも思っていました。ローマ法王も江戸幕府の人々もそのように考えていました、ところが九州では多数の信者が代々キリスト教の信仰を密かに受け継いでいたのです。
そして、それから250年後の江戸時代末期の1865年3月17日、15人ほどの人々が、フランス人神父が作った大浦天主堂の門の前にやってきました。
プチジャン神父は、いそいで門を開けました。
彼らは浦上村の信徒たちでした。聖堂の中をめずらしそうに見ていましたが、祭壇の前で祈っているプチジャン神父のそばに、一人の中年の女性がやってきてささやきました。
「ワタシノムネ、アナタトオナジ」と伝えました。さらに、「サンタ・マリアのご像はどこ?」と尋ねました。プチジャン神父は、彼らを聖堂内のマリア像の前に導きました。
それ以来この日は、「長崎の信徒発見記念日」として祝われてきました。2015年からは、「日本の信徒発見記念日」として祝われます。
そこで、大浦天主堂にある信徒発見の碑の写真をご紹介いたします。

4番目の写真は、http://laudate.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/150-5e5e.html から転載させて頂きました。
カトリックの総本山バチカンでは日本の「隠れキリシタン」が近年、脚光を浴びているそうです。
日本に強い関心を持つフランシスコ法王が、弾圧に耐えた歴史を「信徒の模範」とたたえ、長く保管されてきた史料について日本側との共同研究をしています。
江戸時代末期の「信徒発見」から150周年になる2015年3月17日には「信徒発見150年」を祝い、長崎・大浦天主堂で記念ミサがとり行われました。

このミサには教皇フランシスコの特使として、フィリピン・コタバト大司教のオルランド・ケベド枢機卿が出席しました。
教皇はこの機会に、特使のケベド枢機卿に書簡を託しました。ラテン語の書簡で、2015年2月15日付となっているそうです。
書簡の中で教皇は、このミサへ日本中の教会から信者らを招くと共に、信仰のために自らの命を捧げた多くの殉教者たちに思いをはせているそうです。

そして前のローマ法王のヨハネ・パウロ2世も長崎まで巡礼の旅をしたのです。
このようなことはカトリックの信者にとっては重要なことですが、一般の日本人にとっては関係が無いことと考えられがちです。
しかしこの日本の歴史は日本人の精神の強さと美しさを証明していて、世界中によく知られているのです。
私はこのような日本の歴史や伝統文化を誇りに思っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)