後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ネットの上での建設的な話し合いの一例」

2009年04月04日 | うんちく・小ネタ

ネットの上で何かさりげない課題を提供する。それを読んだ何人かの読者が意見を出し、話し合う。話し合う人は皆、年齢、性別、職業が違います。これが出来るのがネットの素晴らしさです。その一例を示します。4月2日掲載の「独立運営の貫井南町キリスト教会を訪ねて」へ対してあるSNSの中で頂いたコメントです。お互いの話し合いになっている様子を以下に示します。

(A)よく人はそう言いますが、宗教が戦争を起こすのではありません。人が戦争を起こすのです、宗教も人により発生した現象、根源はすべて人間と云う愚かな動物に依って引き起こされた事象と云うべきでしょう。極論を言えば、人が宗教をもたらさなければ、宗教戦争の言葉も無かったと云えます。

(B)こんにちは。私も(A)さんの意見に賛同です。

(C)宗教対立は人間同士の対立でもあります。異なる宗教を信仰する人間が相手を潰し、自派の宗教拡大を図るのだと思います

(D)日本の中の日本人で見る限り、どの宗教の信者さんも基本に良いひとです。他宗教を排斥するような過激な方には出会ったことがないのです。これはどういう資質からきているのでしょうね。日本人って面白いなぁってこの頃よく思います。

再び(A)から:(D)さん は多分、色々な仏教系の団体の活動をあまりご存じないのでは無いのでしょうか?他を排斥するに宗派もあります。特に新興宗派に時々見られます。

(C)宗教対立には民族問題が絡んでいるケースも見られます。今。中近東で起きている紛争は宗教・民族問題両方が原因だと思います。日本は、一部の民族を除き単一民族ですし、宗教も宗派は色々ありますが仏教民族ですから、この手の争いごとは表立ってはありません。ただ、一部の宗派が行き過ぎた勧誘やお布施を求めるということをやっていることは残念です。

(E)Peace churchをはじめて知りましたが、その崇高な精神と経営姿勢。アメリカが徴兵免除とは、驚きと感服です。話は別ですが洽という字はIMEパットで手書きすることで表すことができます。

(D)新興宗教団体ということでみれば私も知っていました。言葉足らずでした。ただ、その中にいる信者さん個人はみな良い人と思います。

ですから新興宗派の信者は皆悪いと言うのは問題があります。幹部に問題があるのであって一般信者は良い人と思います。

(F)平和主義を貫くためにはずいぶんと苦難の歴史があったのではないでしょうか。おなじキリスト教の中でも、孤立したり、異分子として弾圧を受けたりしたのではないかと想像します。 
街の中の平和の教会として、人々に親しまれながら、長く存在しつづけていただきたいと思います。 そして、こんな教会があることを、もう少し皆が知っててもいいのではないかと思いました。

藤山杜人のコメント:皆様がコメントをお互いに読み、お話合っているご様子を拝見し、本当にうれしく思います。有難うございます。
それぞれのご意見には深く考えさせられます。お陰で私の視野が大変広がりました。
このように複数の読者同士が自由に会話をし合う、これを実現したいと努力して来ました。それが少し成功したような気がして嬉しく思います。
そこで、この会話の内容だけをまとめてブログへ出したいと思っています。お名前は出しません。「ネットの上での建設的な会話の一例」というような題にしたいと考えています。表現は少し変えますが意味は変えないようにします。どうぞご了解、ご了承のほどを御願い申し上げます。有難う御座いました。(終わり)


江戸時代から有名な小金井桜の写真をお送りします

2009年04月04日 | 写真

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江戸時代から有名な桜の名所の小金井の桜が咲きました。昨日の4月3日に撮影した小金井公園の桜の写真を7枚お送りいたします。

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江戸時代の小金井橋の桜は玉川上水の両側にありました。現在もありますが公園の広場に植えた桜の方が勢いが良いのでそちらに人々が集まります。

江戸時代後期の浮世絵師の雪旦と広重が小金井橋の桜を描いています。雪旦の絵の中に以下のようなことが書いてあります。(http://otonanonurie.image.coocan.jp/2006/02/0358.html)小金井橋は、小金井邑の地に傍ふて流るるところの玉川上水の素堀(しらほり)に架(わた)すゆゑに、この名あり。岸を挟む桜花は数千株の梢を並べ、落英繽紛(ひんぷん)たり。開花のとき、この橋上より眺望すれば、雪とちり雲とまがひて、一目千里前後尽くる際をしらず。よって都下の騒人遠きを厭はずして、ここに遊賞するもの少なからず。橋頭、酒を煖(あたた)め茶を煮るの両三店あり。遊人あるいは憩ひあるいは宿す。 「春の夜はさくらにあけてしまひけり 芭蕉」

以下に広重の浮世絵を掲載します。昨年、高山さんが出典のURL(http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/wa33-5/wa33-5-005-l.htmlを教えてくれたのです。

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そして昨年3月31日の満開の小金井公園の桜の写真を一枚お送りいたします。

年年歳歳花あいにたり、歳歳年年人おなじからずーー劉庭芝

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陽春の湖と白鳥、そして子供の写真

2009年04月03日 | 写真

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昨日は青空が広がり、写真日和でした。
男の孫が3人います。しかし、学校や習事などで忙しく、なかなか一緒に遊べません。上の男の子は中学生1年生で、もう既に何度か霞が浦のヨットへ連れて行きました。帆走経験もあります。下の弟は双子で今度小学2年生になりますが、まだ一度もヨットへ連れて行けませんでした。
昨日は白鳥と一緒に遊び、ヨットで昼食をとりました。鍋ごと持って行ったビーフ・シチューと野菜サラダでした。

昼食後、ヨットは初めての小学2年の孫へ、船の舵の操作を教えました。ヨットをエンジンで動かし、港の中を行ったり来たりします。手もとの舵棒を見ないで、舳先とその前方をいつも見ていることと厳しく教えます。360度の急回転も何度も教えました。舵棒を少し動かすとどの方向にどれだけ舳先が動くか体で覚えたようです。強風が吹きまくっていたので沖は危険なので帆走は出来ませんでした。
陽春の湖、白鳥、そして子供の写真などを撮って来ました。

撮影場所:茨城県、霞が浦、国民宿舎「水郷」付近の湖岸、撮影日:4月2日(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。      藤山杜人


独立運営の貫井南町キリスト教会を訪ねて

2009年04月02日 | インポート

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貫井南町キリスト教会は1965年、アメリカ人ジョン・グレイビル宣教師によって現在の地に創立されました。源流は1678年アメリカ東部のペンシルバニア州のプロテスタントのメノナイト系兄弟団です。1973年、最初の教会堂が建設され2006年には写真のような立派な教会堂に改築されました。3月30日午前に指導者の橋本ひろ祚牧師様のお話を2時間近く伺って参りました。(お名前の漢字はサンズイに合という字と、祚という2字で、「ひろとし」と読みます。始めの漢字が小生のPCには無いので失礼します。)

メノナイト派の歴史はこのブログの3月30日掲載記事と4月1日掲載記事で説明致しました。この教会の教えの一番重要なことは「平和」です。従って平和の教会(Peace Church)と呼ばれ、この宗派の信者だけは、アメリカでは徴兵を免除されています。

この教会の驚くべきことは信者からの献金のみで完全独立採算の運営がなされていることです。数少ない信者からの献金で年間800万円以上の出費を負担するのです。この厳然たる事実があるにもかかわらず、教会は40年以上、東京の郊外に悠然と存続しているのです。広島のご出身の橋本牧師様は40年以上前の大学生の間この教会へ通っていました。

通っている間に、牧師になってこの教会を守って行くことを勧められました。なんの迷いもなくその職業に入ります。大学卒卒業後改めて神学校に通い、メノナイト派の神学を学び、自分の母教会の牧師になって、結婚し、子供も2人育てています。橋本牧師様のお人柄は素直で明るく竹を割ったように気持ちの良い方です。現在63歳、引退したら広島へ帰って母親の看病をしたいそうです。この教会には2つの驚異的な性質があります。

(1)500年前オランダの農民一揆に端を発するアナバプテスト派が遠くアメリカ経由で第二次大戦後、日本に伝わり、日本人の間に「平和の教会」として根づいているという不思議な事実です。

(2)2つ目の驚きは少ない信者で40年以上、キリスト教の教会を情熱的に保持、運営しているという事実です。日本は仏教国です。数多くのお寺が全国にあります。そのなかで、日本人の信者だけによる独立採算で、キリストの教会がゆうゆうと存続していることに感動させられます。

(1)と(2)を考えると非常に不思議な感慨にとらわれます。小金井市、貫井南町キリスト教会の将来の発展をイエス様へお祈りいたします。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人


人生の哀歓(1)同窓のG君の歓びと悲しみ

2009年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は横浜で仙台の大学の金属工学科を昭和33年に卒業した同級生の会がありました。4ケ月毎にG君が世話人で、昼に集まりビールを飲み合う、趣味の話をする、よくある老人の会です。

昨日は絵画の話をお互いにしました。そして隣のD君は昨年シベリアへ蝶の採集に行った時の話をしてくれました。このブログへシリーズ記事として書いて貰う約束をしてくれました。いずれ掲載することになるでしょう。右隣にはG君がいましたので、少し真面目な質問をしました。今度、「人生の哀歓」というシリーズをはじめます。そこでG君の歓びと悲しみを少しだけ書いてみたいのです。一番嬉しかったかったことと悲しかったことは何ですか?と質問をしました。

G君は卒業と同時に富士製鉄に入社し、広畑製鉄所に配属になりました。一番感動的な体験は入社後すぐに新しい溶鉱炉の建設に参加したことだそうです。溶鉱炉とは高さ30メートル以上の巨大な縦型の炉です。上から原料の鉄鉱石とコークスを入れ、下から熱風を吹き上げます。炉の底には溶けた鉄が溜まります。それを数時間毎に流し出すのです。一旦火をつけたら昼夜通うして20年以上連続操業をします。

溶鉱炉建設は青年技師、G君の憧れでした。男のロマンです。完成して火を入れ、初めて溶けた鉄が溶鉱炉から流れ出た瞬間の歓喜は想像しただけで血が湧きます。

自分が作った溶鉱炉を毎日注意深く操業します。日々2000トンの鉄が流れ出る設計になっていますが操業を失敗すると1600トン以下にもなります。上手に操業すれば毎日2200トンにもなります。技師の腕しだいです。溶鉱炉は生き物です。技師は、夫が妻をいたわる様に溶鉱炉の面倒を見ます。実に楽しい現場です。ところが数年したときG君の運命が暗転します。東京の本社の生産管理へ配置転換になります。溶鉱炉と別れ、現場を離れるときは悲しくて目の前が真っ暗になったようです。現場を愛する技術者の悲しみは想像以上に大きなものです。

数年本社のデスクワークをして今度こそ現場へ配置転換と信じていたら、またまた本社のデスクワークとなったときは本当に悲しかったそうです。その後、G君は名古屋製鉄所、室蘭製鉄所と転勤になり、最後は系列のあるセメント会社の社長になって引退しました。G君は面倒見の良い男です。大学に残った私を勇気づけるために度々夕食へ招んでくれました。名古屋製鉄所の頃、茶室風の料亭でビールを御馳走になりました。洞爺湖温泉にも招待してくれました。講演に来てくれというのですが、後で考えたら、少しは役に立つ研究をしなさいと、勇気づける為だったようです。その友情が引退後に分かりました。引退後、同級会が楽しくなるのはそのせいもあります。

同級生は30人でしたが卒業後、多くは富士製鉄、八幡製鉄、日本鋼管、川崎製鉄、石川島重工、三菱重工、日本原子力研究所、日立製作所、伊藤忠原子力部、日本鉱業、日本製鋼所、ラサ工業、ブロノックス・ジャパンなどなどへ就職して行きました。当時は重厚長大な工業分野が時代の花形でした。同級生は若い技師として、高度成長期の工場現場で、新しい設備の建設と技術開発に人生の全てを捧げていました。それがバブル経済の崩壊で暗転するのです。

人生を捧げた会社の業績は悪化し、社名も合併で変わってしまいました。何よりも、青年技師が徹夜も辞さない情熱で技術開発に挑んでいた活き活きとした文化が日本から消滅したのです。それが一番悲しいのです。皆んなが深いため息をつくのはこの為です。

しかし時代とともに変わらないものなど存在しません。製造業で世界を制した日本がアメリカの金融業に痛手を受け劣勢になったと思っていたら、金融業が破産しました。経済界はグローバル化してしまったのでアメリカの破綻は日本への及びます。お釈迦さまのおっしゃる通り「この世にあるものは全て変わる」のです。引退後の同級生は人生の歓びも悲しみも、あるがままに受け入れているようです。それで引退後の同級会が一層楽しくなるのです。(続く)


教養としてのキリスト教(8)宗教改革は皆様のすぐ側に

2009年04月01日 | うんちく・小ネタ

ルターの宗教改革は1517年と記憶している人は多いと思います。免罪符を買えば天国へ行けるのは嘘です。95項目の反駁論を発表したのが1517年で、当時のグーテンベルク印刷機のお陰で反駁論が広範に読まれ、燎原の火のように燃え広がります。ドイツ、スイス、イギリスなどにルーテル教会、長老派教会、ピューリタン教会、聖公会、などなどが出来ました。特に注目すべきはオランダの農奴制へ反対する激しい農民一揆から生まれたスイス兄弟団、メノナイト、アーミッシュ、フッター派などの宗派グループです。これらは後に絶対平和主義の教会を作りました。

ザビエルが日本にカトリックを伝えたのは1549年。しかし宗教改革で出来あがったプロテスタント諸宗派は明治維新まで日本には上陸していません。

教養としてのキリスト教では1517年にルターがキリスト教の腐敗を正し、プロテスタント諸宗派が生まれたと暗記していれば十分なのです。ですから日本人にとっては、ルターの宗教改革は遠方のヨーロッパで起きた昔のことです。日本人の我々にはなんの関わりも無い異国の昔の出来事なのです。カトリックの私はそう思っていました。旧カトリックの腐敗を忘れたいという利己的な感情も心の底に流れているのです。

アメリカでメノナイトの親類のアーミッシュ村を旅した時も、まさか日本にその一派が居るとは想像もしていませんでした。ところが、驚いたことに自宅の近所にメノナイトの教会があったのです。先日お邪魔した独立運営の貫井南町キリスト教会の橋本ひろとし牧師様から詳しく教わりました。その後さらに詳細な歴史的資料を郵送して下さいました。

遠方のヨーロッパで500年も前に起きたキリスト教の考え方がこの小金井市の貫井南町に生き、呼吸をしているのです。そしてメノナイト派教会は全国にあります。きっと皆様のご近所にも有るでしょう。栃木県には私有財産を否定して多くの家族が共同生活をしているフッター派の教会も有るそうです。

知識としては知っていた宗教改革が急に身近に感じます。橋本牧師様のお話を聞いていると宗教改革の一部を体験したような錯覚に襲われます。

宗教改革で生まれた諸宗派の違いを調べたり暗記する必要はありません。私が強調したいことは人間は同じ程度に愚かだということです。日本の仏教でも宗派が分かれ、互いに争いあった悲しい歴史がありまいした。それと同じように遠方のヨーロッパでも宗教のために悲惨な歴史があったのです。

宗教や宗派の違いで人間は争いを起こすのです。ですからこそ宗教を信じている人々にとって一番重要なことは争いを起こさないことです。寛容の精神こそが大切なのです。

メノナイト教会は平和を強調する特別な一派です。アメリカ合衆国で唯一徴兵を断ってよい宗派として政府に正式に認められている宗派です。

広島や長崎に原爆を落とされた日本人の心情になにか響くものがあるとお思いになりませんでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。    藤山杜人