後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

目の覚める写真3枚ご紹介します

2009年04月14日 | 写真

趣味人倶楽部というSNSではブログやHPの内容の交換も出来ます。そこで知り合った泰山堂様という方の、雲南省の農村風景の写真を3枚掲載いたします。転載の御許しは先ほど頂きました。(okatai3のフォトブログ:http://blog.goo.ne.jp/okatai3

世の中には写真の名手がいるものだ、と感動します。そして、写真の上手な方々はそれぞれ個性が違っていて、それが作品の上に表れているのも興味深いと思います。泰山堂さんのブログやHPには他に京都の御所の桜や又兵衛桜の圧倒的な写真もあります。HPには西宮ヨットハーバーの夕暮れの美しい風景写真も御座います。すべて皆様にお楽しみ頂けると信じています。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

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気楽なお遊びへご招待いたします

2009年04月14日 | うんちく・小ネタ

昨日は、「教養としてのキリスト教(10)洗礼を受けると何か良いことありますか?」という題目で、いささか込み入った記事を書きました。読みにくい文章だったので読者の方々はお疲れになったと思います。そこで今日は肩をほぐして頂きたいと思い気楽なクイズをお送りします。色々な水面の風景を写した5枚の写真を掲載いたします。さてこれらの写真は何処の風景写真でしょうか?ヒントとして撮影場所の県名を書きます。順序に関係なく、茨城県、山梨県、奈良県、東京都です。城壁のある風景は金魚に深い関係があります。正解は明日、この記事のコメント欄へ掲載します。5問全てを正解された方々のブログを明日か明後日のこのブログでご賛美・ご紹介したいと思います。クイズをお楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。    藤山杜人

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教養としてのキリスト教(10)洗礼を受けると何か良いことがありますか?

2009年04月13日 | うんちく・小ネタ

日本人は洗礼ということに何かひどく抵抗感を感じるという。毎年ミッションスクールを卒業する人は数十万人いるが、ほとんどの卒業生は洗礼を受けていないという。江戸時代の禁教令が心理の底に残っているのかも知れない。洗礼を受けると仏式や神道のお葬式や結婚式へ出席出来ない。親類同士の付き合いが断絶する。なにか村八分にあうような恐れがある。そして欧米人へ迎合しているようで、純粋の日本人ではなくなる。教養としてキリスト教は勉強するが、洗礼は絶対に受けない。というような気持があるのだろうか?

全て、大変な誤解です。私が1971年にカトリック立川教会の塚本金明神父さまから洗礼を受けたのは神父さんが好きになったからである。いやになったら止めれば良い。信者というコースを卒業すれば良い。と、実に気軽に考えていた。そんな調子なので、洗礼を受けても悪い性格は一向に良くならない。悩みは少なくならない。職場では浅はかな競争心をむき出しにする。酒は飲む。

しかし、洗礼とは、浅い川をジャブジャブ歩いて渡るようなものだ。何も良いことは起きなかったが、川を一旦渡ってしまうと回りの風景が違って見える。キリスト教だけでなく仏教の教えが深く理解できる。なんといってもこれがとても嬉しく思う。仏教を大切にして来た日本人の心が分かる。

キリスト教徒になっても以前通りお葬式があればお経も唱和するし、法事にも出る。親類付き合いはむしろ進んでするようになった。神社へ行ったらお賽銭を律儀に上げるようになった。その結果、神社にお参りに来る人々の気持ちが理解できるようになった。

洗礼を受けたら、何々をしてはいけない。何々を実行すべし。という堅苦しいことを想像するのは間違いだと思う。少なくとも自分の心は自由に、気楽になった。心配ごとが少しだけ減った。

肉体の復活や最後の審判は疑わしいと思うときもある。ところが先週の神父様の説教では「信仰とは、99%の疑いと1%の希望なのだ」、と、言う。1%位の希望なら私も持っている。

洗礼を受けて変わったもう一つのことは欧米人の心が以前より深く理解出来るようになったことである。川をジャブジャブ渡って向こう岸からみると、欧米人の悲しみや苦しみがよく分かる。昔から教養としてキリスト教に関する本は随分と読んだ。しかし洗礼を受けて初めてキリスト教のことが少し分かったような気がする。自分が愚かであったのだろう。

最後に洗礼を受ける資格について説明したい。いろいろな国家資格には試験が付き物だ。1971年に塚本金明神父様へ聞いた、「洗礼を受ける資格はなんですか?」と。

その時の塚本神父様の困惑した顔が忘れられない。しばらく考えたあとで答えられた、「資格はなにも要らない。ただ今までの人生が間違っていたと反省していれば良い」、「反省文でも提出するのですか?」「そんな物は不要です」ということなので、試験も受けず、反省文も出さずに洗礼を受けました。数回お話を伺っただけで、とにかく気楽に受けたのです。気楽に川を渡ってしまったので何時でも帰ることが出来ます。

洗礼は身構えて、決心して、まなじりを決して受けるものでは有りません。イエス様がさりげなく誘ってくれたら自然な気持ちで受けてみるのも良いものです。

しかし洗礼を受けてもこの世では何も良いことは起きません。(続く)


心が浮き立つ老境の歓び

2009年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事を止めて老境にはいる。年を重ねてゆくと、祖父母、親、伯父叔母は勿論、お世話になった恩人や友人があの世に旅たって行く。別離の悲しさが多くなる。体力も衰えハイキングもままならない。悲しい。老人は毎日、悲しい日々を生きているのだ。若い頃はそのように思い込んでいた。しかし自分が老境になって見ると悲しいことだけでは無い。歓びも多い時期なのだという大発見をする。

仕事を止めて3年になるこの頃は、心が浮き立つような心境にもなる。しかし、この心境になるのには1、2年の準備期間が必要だった。仕事が好きでそれを生き甲斐にしていた人間にとって、引退後の1、2年は人生観を立て直す準備期間である。

現役のころの以下のような考え方は、愚かな私だけなのかもしれないが。国立大学で働いていた。自分は自由な精神の持ち主で、物事を公平に見ていると自慢に思っていた。そう確信して、公平に判断することの重要性を他人へ説教さえもして来た。

70歳になって仕事を止めると、色々な職業をしてきた人々の幅広い話を聞くチャンスが急に増える。意見の多様性に目が覚める。自分が決して公平な目で物事を見ていなかったことを発見して愕然とする。国立大学で働いている人々は皆国家公務員という官僚なのだ。官僚主義の悪弊に染まりきっている。独立法人に組織変えをしても給料も運営経費も100%文部科学省から出ている。

官僚は自分の属している組織の権益の拡大と少しでも多くの予算の獲得に狂奔する。国立大学の事務局長は必ず文部科学省から派遣される官僚である。予算獲得の力で比較すると学長より偉い。国家公務員である以上、「国益のための教育」をする。国益とは中央省庁や大会社の権益や利潤を最大にすることなのだ。学生個人の人生を物心両面から豊にする教育ではない。私立大学や中小企業は低く見る。官尊民卑の悪弊である。

さて上のような考えを脱却するのに私は2年ほどかかった。人間は急には考えが変わらない。他人の意見をよく聞き、時間をかけて変化する。

特にブログやSNSで頂くコメントの多種多様性が自分の狭い視野を浮彫りにする。そうか、世間はこんなに広く、明るいのでだ、と気がつく。物事を色々な視点から見るようになる。これこそが「心が浮き立つような歓び」なのだ。

老境の歓びとは、「精神の自由の獲得」にある。そんな心境なので趣味が一層楽しくなる。いろいろな人々と友達になれるのも歓びだ。インターネットのお陰で遠方に住んでいる人とも友人になれる。華やかな老境とはこのような日々のことと思う。しかし、それも健康でいられる間の一瞬のことなのかも知れない。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人


危険な目にあい、ますます面白くなる趣味をご紹介いたします

2009年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

楽しくて危険でなく、お金もそれ程かからない。そんな趣味も長続きします。囲碁将棋、絵を描く趣味、音楽鑑賞、読書などなどいろいろあります。

ところが時々危険な目に合い、それを乗り越えるのでますます楽しみが深まる趣味もあります。そのような趣味も長続きするものではないでしょうか?

一つの例としてヨットの趣味をご紹介いたします。昨日、のどかに出港したのに、沖で突風に吹かれ命の危険を感じながら港に逃げ帰りました。沖から港まではエンジンで帰りましたが、その間の30分ほどが怖かったのです。沖で傾く船の上で、マストにしがみつきながらメインセイルをやみくもに引きずり降ろしました。安全に係留してから、「ああ、怖い思いをするからヨットは面白い。とても止められない!」、と同行した家内とうなずき合いました。

とにかく出港時は風が無かったので、下の写真のようにセイルを上げてから舫い綱をときました。これは風が少しでもあったら、やってはいけない禁じ手です。でもそれ程、風が無かったのです。

港の外でも暖かい陽が射し、静かな東風が一定の速度で吹いています。素晴らしいセイリングをのんびりと楽しみました。艇速は4ノット(時速7Km)前後です。近くを小型ヨットが追い抜いて行きます。

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とにかく、のどかなセイリングが2時間続き、沖から帰り始めました。返り始めてしばらくして、追い風が強くなってきました。そこでジブを巻取り、メインだけで追い風を受けて帰ります。

次第に波も立ち始めました。落水が怖いので家内にキャビンに入って貰いました。

と、その直後物凄い突風が後ろから吹きはじめたのです。艇速が7ノット以上になります。これは危険信号です。すかさず360度回頭し、船首を風に立て、マストにしがみ付きながらメイン・セールを下します。ところが強風でセイルが引っ張られマストから降りません。半分くらい降ろしてから、諦め、そのまま、エンジンで帰港します。

半分下がったセイルがマストやサイドステイに絡みながら風を受けて船が大きく傾きます。

物凄く恥ずかしい姿です。他のヨットマンが見たら笑うでしょう。

横転する恐怖で手がこわばります。でもメインシートをくり出しながら風を流し、風をだましながら帰港を急ぎます。7ノットで走りますが、遅遅として港へなかなか近付きません。

こういう時は写真も撮れません。荒れる水面と強風。帆がマストにからまりヨタヨタ走っているので写真を撮る余裕も有りません。ご想像にお任せいたします。

こんな怖い思いは時々いたします。それをしのいで港へ帰った時は、「ああ、生還した!」という歓びが全身を満たすのです。これがあるからヨットが止められないのです。

皆様はどのようなご趣味を楽しんでいらっしゃるでしょうか。(終わり)

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満開の桜川堤と友人との惜別

2009年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

桜花を見て気持が華やぐ。でも悲しいことも想う。ヨットを係留してある土浦の桜川の堤の桜花を見ると病で会えなくたった友人のことを。

20年近く並んで係留してしていた「山吹号」の船長のYさんから昨年の暮れ突然ハガキが来た。ある難病と仲良くなった。もうヨットはKさんへ譲ってしまった。Kさんを宜しく頼みます。そんな文面である。ヨットのマストを倒して橋の下をくぐり、利根川を出て、大島や九州まで帆走するほど元気だった。そんな経験の無い私へ外洋の帆走の話を聞かせてくれた。係留している船のキャビンの中でコーヒーを飲みながら。ヨットのエンジンを修理したり、漏水を止めてくれた。

毎年、桜川の両岸の桜が満開になる。ある年、Yさんと自分のヨットの2隻で桜川へ入り船の上から桜を観賞したことがあった。そのときYさんが、船上に並んだ家内と私の写真を撮ってくれた。満開の堤の桜を背景にして。

今年も桜川へヨットを入れ、Yさんを偲ぼうとしたが、川口が浅くなってしまってキールがつかえてしまう。仕方がないので陸上をまわって満開の桜を観賞してきた。Yさんの病気がはやく治るように祈りながら。桜花を見て悲しい想いをする人も世の中にはたくさん居ると思う。

桜花の華やかさのかげには悲しみもある。特に花吹雪のころには淋しさが湧いてくる。

今週の7日に撮ってきた桜川の写真を数枚出します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします   藤山杜人

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ラオスからブータンの手織・自然染色布の即売会のごあんあい

2009年04月10日 | インポート

あるSNSで友人になった ひかるのさんが昨年12月のインド刺繍とサリーの展示・即売会に続いて、「ラオスからブータンの手織・自然染色布の展示・即売会」を下記のご案内通り、神田で開催いたします。ひかるのさんは大変心が素晴らしい方で、アジアの国々に25年以上も住み着いている方です。あるSNSで友人になり、お会いし、お話をお聞きし、感動しています。彼のブログ、http://asiancloth.blog69.fc2.com/ をご覧の上、是非ご出かけ下さいますようにお願い申し上げます。敬具、藤山杜人

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室町時代初期の美しいお寺をご紹介します

2009年04月10日 | 写真

昨日は高齢で亡くなった義弟の母のお葬式があり八王子市西郊にある広園寺へ行きました。静かです。品のある美しさです。勅使門、山門、仏殿、本堂、が一直線に配置され、右脇に鐘楼があります。自然に育ったような古木の中に溶け込んで屋根屋根が美しい影をつくっています。ああ、こんな古刹があることを知らなかった。聞けば室町時代初期の1389年に開山したそうです。京都の臨済宗、南禅寺派のお寺です。しかし天正18年の秀吉の関東地方統一の戦いで全焼しました。現在の建物は江戸時代中期に昔の様式で再建されたものです。勅使門、山門、仏殿、鐘楼は建築美の故に東京都の重要文化財に指定されています。

臨済宗では亡くなった義弟の母の髪をそる仕草をして故人を出家させます。出家してお釈迦様の弟子になるのです。この世と別れ、お釈迦様の弟子になる引導をわたします。お葬式にはそのような意味があるそうです。数人のお坊さんの読経の声が春風の吹き込んでいる本堂に響いています。唐の玄蔵三蔵法師が遠くインドから持ち帰ったお経です。お釈迦様が生きていたころの古代インド語を漢字の発音に移したナムカラタンノートラヤーヤーというお経は覚えていましたので小声で唱和しました。古代インド語を漢文へ翻訳した「観音経」は意味が分かります。昔、本で翻訳・解説を読んだことを思い出しました。日本語の臨済宗のお経もありました。

このようなお坊さんの読経の声に送られて故人は少しずつこの世を離れて行きます。でも49日の間は自宅へ帰ってきたりするようです。優しい、穏やかな故人にふさわしいお寺のたたずまいでした。

皆様へも、訪問し、境内の中を散策されることをお勧めいたします。静かで感じの良い伽藍配置です。樹木も古いです。下に境内の写真を数枚掲載いたします。(終わり)

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静謐、繊細な息づかい、引きこまれる美、そんな写真をご紹介します

2009年04月10日 | 写真

他の方々のブログを見て写真の撮り方の勉強しようと思っています。多くの方が素晴らしい写真を掲載しています。今までも数人の方の写真をご紹介して来ましたが、今日は滋賀県にお住まいの墜石さんの写真をご紹介します。転載の許可は頂いております。(墜石の旅日記http://tsuiseki.blogspot.com/

奈良へ旅したときの桜の写真です。繊細な息づかいを感じて、スーッと心が引きこまれる写真です。そして静かな美しさに体中の血が浄化されるようです。同じ桜花の写真でも撮り方によってこんなにも違うものと感動致しました。皆様も墜石さんの写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人

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盧舎那仏へ供えた櫻花の風景

2009年04月09日 | 写真

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奈良の東大寺の大仏は盧舎那仏だそうです。4世紀頃に生まれた華厳経にある宇宙の真理を象徴した仏像の一つです。東大寺境内にある桜の木々はあくまでもこの仏像へお供えするという精神で植えてあるようです。豪華絢爛な桜花では有りません。瓦屋根の軒を飾るように、ひかえめに植えてあります。遠方の山肌に一本だけ供えるように植えてあります。大仏殿や二月堂、三月堂、そして若草山に静かに咲いています。そんな櫻の風情をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。撮影日時は4月5日午後4時前後でした。(終わり)

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教養としてのキリスト教(9)復活祭。そして共産主義のことを思う

2009年04月09日 | うんちく・小ネタ

今週の日曜日は復活祭です。カトリックの筆者にとっては一年で一番重要な祭日です。約2000年前に、ローマ帝国の領土であった現在のイスラエルでキリストが十字架にかけられ処刑されました。しかし3日後に生き返り、弟子たちの前に現れました。弟子の一人のトマスは疑っていましたが、キリストの脇腹の傷跡に指を入れてみて、本当にキリストが生き返った、と確信します。その後、キリストは天に上がり、全知全能の神の右の座につきます。この世の終わりに、キリストはもう一度地上に降りてきて最後の審判をします。その時には全ての死者も生き返ります。キリスト教信者は皆この様に信じています。ただし宗派によって、「キリストの復活」の重要視の程度が異なります。十字架での処刑後3日目に、キリストが生き返ったこと、すなはち復活したことを祝う祭日が今週の日曜日の復活祭です。

復活祭が近づくと筆者は共産主義のことをいろいろ考えます。共産主義はキリスト教文化圏のヨーロッパで20世紀初頭に生まれた思想です。ドイツのモーゼル河上流のトリアーという町で生まれたカール・マルクスが作った思想です。1970年の復活祭の後に訪れ、マルクスの生家を見ました。町の回りには芽を出し始めた一面のブドウ畑でした。モーゼルワインの産地です。

共産主義はキリスト教の生んだ子と言われます。近代科学技術で世界を制したヨーロッパ人の間には合理主義が浸透します。科学的に考えると「イエス・キリストの復活」などは信じられません。あまりにも荒唐無稽すぎます。その上、産業革命のお陰で多数の工場労働者が生まれました。工場労働者の生活は悲惨で奴隷のような生活です。それにロシアでは農奴という農民階層が苦しい生活を続けています。カール・マルクスはこの様な階級の存続する原因を考えました。そうです、キリスト教が原因であるという仮説を立て、宗教を否定しました。万国の労働者よ銃をとって立ち上がれ!と、いう「共産党宣言」をロンドンで出版されたのは自然な成り行きでした。ロシア革命が成功し、ソ連が出来ます。しかし1989年にソ連は行き詰まり、崩壊します。

ヨーロッパで発達したキリスト教は貧困階級を組織的には救おうとはしません。「隣人を愛せよ」と教えたキリストの教えに背いてきたのです。その矛盾をついて貧困階級を助けようとしたのが共産主義でした。共産主義は机上の理論としては良く出来ています。しかしそれを実社会へ用いることには疑問があります。新しい権力階級が生まれ、独裁体制が出来ます。人間を合理的な視点のみで考えたのが間違いでした。神への恐れ、キリストの愛、隣人への愛、寛容の精神などが重要なのです。

20世紀のヨーロッパは共産主義に悩みました。戦争の世紀でした。キリスト教の愛の教え、寛容の精神を忘却した時代でした。そのような失敗を思い出し、共産主義のことをいろいろ考える季節です。復活祭の頃になると仏教の教えについても考えます。   筆者はイエスの復活を信じています。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人


遂に巨大なシイタケが出て来ました!

2009年04月08日 | うんちく・小ネタ

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昨年の5月22日掲載記事のように、鬼家雅雄さんからシイタケ菌を植えつけた雑木丸太5本とナメコ菌植え付けの丸太1本を貰って来ました。太く重い丸太6本です。鬼家さんが数ケ月にわたり、伐採、丸太作り、キノコ菌植え付けをしたシイタケの原木です。左の写真がその様子です。それ以来、庭の柿の木の下に置き、黒い日除けのシートを掛け、水をやり続けて来ました。

4月7日、吉野の旅から帰ってきましたら、右のような巨大なシイタケが2個出来ていました。実に11ケ月の後のことです。2個出てきたことは、その後も次々とシイタケが出てくることを意味しています。

早速、夕食に油で炒め、塩、コショーで食べました。シイタケ独特の風味がして美味でした。

鬼家さんのブログのURLは左外欄の一番上にあります。

なおシイタケ菌は秋山種菌研究所から鬼家さんが買ってきたものです。そのURLは、http://www.mushroom.co.jp/index.htm です。

早速、鬼家さんへ報告して感謝しました。皆様もシイタケ栽培は簡単に出来ます。一度お試しになると面白いです。(終わり)


大和、宇陀の里の又兵衛櫻の写真

2009年04月08日 | 写真

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豊臣側の豪傑、後藤又兵衛は大阪冬の陣、夏の陣で敗れ、大和の宇陀の里へ逃れ、余生を過ごしました。その子孫の屋敷後に枝垂れ桜があり、又兵衛櫻として有名です。弧立した桜の大木です。4月6日の午後に撮影しました。(終わり)

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大和、郡山城の夕方の桜

2009年04月08日 | 写真

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大和の群山城は筒井順慶が戦国時代に築城しました。その後、豊臣秀吉の異父弟、秀長が大改修、強化した戦国時代の城です。

こんなに堀を深くしなくても良いのに。こんなに荒々しい石垣を威圧的に高く積み上げなくても良いのに。城の美しさを微塵も感じさせない、殺伐とした大型の城です。しかし満開の桜が石垣を柔らかに包み、夕闇の中、風に揺れる提灯に灯がはいります。人々が楽しそうに歩いています。訪れた日は夜桜祭りで、出店が連らなり、子供達の楽しそうな声が響いています。金魚で有名な郡山にふさわしく金魚掬いがあちこちにあります。神社には美事な金魚を多くの水槽に入れ、展示、即売もしています。

夕闇せまりつつある戦国の城跡の桜の風情をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

4月5日の夕方、撮った写真です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人

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吉野山ー櫻の美しさの極致

2009年04月07日 | 写真

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吉野山は櫻のいろいろな美しさが楽しめます。参道の側や、遠くの山々の斜面に植えてあります。近くで見る豪華な美しさ、遠景の霞んだような夢幻の美。古寺の軒にかかった桜花の宗教的な美しさ。蔵王権現堂から後醍醐天皇の玉座があった吉水神社へとゆっくり歩きます。櫻の色々な美しさが色鮮やかな絵巻物のように流れて行きます。櫻花に酔って夢心地です。足がフワフワと独りで動いてゆきます。ハッと気が付くと2時間がアッと言う間に過ぎていました。撮影は4月6日午前中で家内が撮りました。下千本と中千本は満開でした。上千本や奥千本はまだ満開では有りません。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。   藤山杜人

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