中高年の友人へ、「ブログを書いています、SNSへも参加しています」と言う。すると、途端に顔を曇らせて、「危なくないですか? 犯罪に巻き込まれませんか?」と、心配してくれる。確かにインターネットには、すぐに倒産するベンチャー的なネット事業も多いし、出会い系ネットや、不健全な商品の宣伝をしているブログもある。
インターネットを利用したことの無い中高年の人々には、「危険、不健全、不道徳」という言葉を連想するらしい。親しい友人は真顔で忠告してくれる。「そんな空虚な遊びは止めて、もっとボランティア活動をしたほうが楽しいですよ」、とも言ってくれる。彼はインターネットを使わないので、その良さが理解出来ない。「それに老人のくせに若者に迎合して、新しい流行に乗ろうとするのが軽薄だ」とも言う。
経験の無い友人へ少し説明しようとする。「全てが不健全という訳ではない。心の深い交流が出来、実際に会った人も数人いますよ。自分の視野も広がるし、色々な人の気持ちも理解できるようになります」、すると友人が言う。「その誰とでも心の交流が出来るというのが幻想なのです。そんなお手軽な考え方が文化を軽薄にするのです。君がそんな人々の一員とは嘆かわしい」と、いう具合に絶対に納得してくれない。
私は、「インターネットこそ、自由で平等な社会を創る」と信じている。しかしこれも偏見かも知れない。インターネットをしている人を軽蔑する人も偏見の持ち主かも知れない。偏見と偏見がぶつかれば差別感が生まれる。その後は建設的な結果にならない。
その上、家族の間の会話の時間も少なくなる。インターネットの普及は孤立した個人の増大へつながる可能性がある。実体験的な人間関係が希薄になりがちだ。
従って、ブログやSNSを書いている人へ偏見を持つ人が中高年に多いのも自然なこととも思う。若者はどのように考えているのだろうか?
皆様は、如何なお考えでしょうか? (終わり)
今日も皆様のご健康と心の平安をお祈り致します。 藤山杜人