後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「冬のフローラル・ガーデンで花の写真を撮って来ました」

2017年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム
碧い空が輝いている日でした。午後から隣町の調布市にある京王フローラル・ガーデンを散歩して来ました。2、3人しか、お客さんがいない静かな花園でした。早春に咲くモクレンの蕾が大きく膨らんでいます。
足元には根気よく植えこんだ冬の花々が咲いていました。
家内も静かな花園に満足していました。
先程、撮ってきた花々の写真をお送りいたします。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。









「パリの寸描、その哀歓(10)ボーイスカウトの微笑ましい小話」

2017年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム
まえがき、
この欄ではいろいろな方々に原稿をお願いして記事を書いて頂いています。
今回はフランスやドイツに長く住んで子育てを経験したEsu Keiさんに寄稿を頼みました。ご主人の仕事のため1974年から1984年の間滞在しました。日常の生活で感じたことを飾らず素直な、そして読みやすい文章で綴ったものです。

連載の第10回目は、「フランスのボーイスカウトの微笑ましい小話」です。
気楽な話です。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。

===「パリの寸描、その哀歓(10)フランスのボーイスカウトの微笑ましい小話」Esu Kei著======
 長男が8歳半を越した頃、私は住んでいたアパルトマンの裏手の教会の庭で、時々ボーイスカウトの集まりがあるのを知って、息子が参加できるものかどうかを尋ねに行った。フランスではスカウト活動はカトリック、プロテスタント、無宗教の3つのグループに分かれていることを知った。カトリックの教会を活動の拠点にしているのだから、当然それはカトリック系のグループだ。「私達は、カトリックの洗礼を受けてはいませんが、このグループに参加できますか?」と聞くと、帰ってきた答えは、「スカウト活動は、土日を挟むことが多いので、教会に行き、ミサにあずかることも多いのですが、息子さんをそういう場に連れて行くことが許されるなら構いません。」答えてくれた20歳を少し過ぎたくらいの若者が子どもをまとめるリーダーだそうだ。20歳を過ぎればヨーロッパの社会では責任ある立派な大人だ。息子の気に入るかどうかは、入ってみなければ分からない。息子の友達の二コラ君が入っているし、二コラ君のお母さんが紹介してくれて、早速入れてもらった。服装は白い襟付きのシャツに濃紺の無地のセーター、濃紺のズボン(冬は長ズボン)、濃紺のベレー帽(てっぺんのチョンチョリンは鋏で切っておく)。寒い時期のコートは自由だ。それぞれ手持ちのものなので、ネックの形や、ズボンのポケットの位置が微妙に違うが、わざわざ制服と言うものを作ったりはしない。その辺はフランス流だ。月に一回の日帰りの活動と、年に一回の泊りがけの自然の中でのキャンプがある。
入って3カ月がたち、12月の下旬が活動日にあたると、当然クリスマスの催しになり、待降節のミサに参加する。家に帰ってきた息子はいつもと違う教会の様子をさぞかし興味津々で眺めてきたことだろう。普段は学校や、小学生向けの余暇活動に出かけても、あまり話してくれない息子が、ちょっとおしゃべりになって話してくれた。「あのね、ジェジュ(イエス様)が生まれた厩が飾ってあったよ。僕達もその場面の寸劇をやったよ。僕は3人の博士の一人だったんだ。二コラはヨゼフの役だったよ。」ということだった。「まあ、素敵」。男の子のグループでマリア様になった子はどんな気分だったのだろうと、ちょっと笑える。
クリスマスのお話は絵本で何回か読み聞かせていたが、息子はどうとらえていたのだろう。
私は小さい頃、叔母の読むイエスの生涯の物語を初めて聞いた時に、イエス様が可哀想で可哀想で泣いてしまったことを思い出していた。
 この日仰天するほど私を驚かせたことは、「今日はぼくもみんなと一緒にパン(ご聖体)をいただいたよ。」という言葉だった。息子は洗礼も受けていないし、カテシスム(公教要理)の教えも受けていない。秘蹟にあずかるということは、それなりの教育を受け、儀式を経て許されることと聞いていた。何かの間違いではないかと、恐る恐る二コラのお母さんに聞いてみると、「特別なお祝いの時なのだから神父様もお許しになったんじゃない?」「なるほど、きっと息子は特別なお恵みをいただいたのだ。私の中で、神様は厳しいより寛大な存在になった。(続く)

今日の挿し絵代わりの写真は印象派の先駆者のヨハン・ヨンキント(1819~1891)の油彩画です。今日の記事の内容とは関係ございません。何故か懐かしいヨーロッパの風景が描かています。
mnnoblog さんのブログ;http://mnnoblog.exblog.jp/15483482/ より転載させて頂きました。
ヨハン・バルトルト・ヨンキント(Johan Barthold Jongkind, 1819年 - 1891年)は、オランダの画家、版画家です。
クロード・モネに影響を及ぼした印象主義の先駆者とみなされています。1862年にはクロード・モネを助け、モネは後にヨンキントを「師匠」と呼んでいたそうです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

1番目の写真は「オンフルールの港を出航する帆船」です。19世紀のヨーロッパはまだ帆船が実用されていたのです。出港する帆船を2艘の手漕ぎのボートが引っ張っています。しかし19世紀後半になると内部に蒸気機関やジーゼルエンジンがついて、港の出入りは簡単になりました。

2番目の写真は「パリのセーヌ川とノートルダム寺院」です。この風景は現在でもあまり変わっていないと思います。

3番目は「パリ、ノートルダム通り」です。古いヨーロッパの懐かしい街の風景ですね。

4番目の写真は「水辺の風車」です。オランダの風景のようです。

5番目の写真は「ポーランドのスケーター」です。昔は道路を凍らせてスケートを楽しんだのですね。

真冬の東京でも熱帯植物の繁茂している風景の写真

2017年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
日本列島は寒気に覆われて寒い日々が続いています。
そこで今日は熱帯性の植物が繁茂し花々が咲いている東京都の八丈島の風景写真をお送りします。
何年か以前、287Kmの波頭を越えて行ったのですが、帰りの船が荒天の為に欠航しました。島に数日、閉じ込められました。
その数日の間、レンタカーで島の隅々までまわって撮った写真です。

1番目の写真は東の三原山と西の八丈富士に挟まるようになっている八丈町の風景です。
後ろの山が八丈富士ですが、その左後ろに小さく八丈小富士が写っています。
八丈島で感動したことは大きな島全体が熱帯性の植物で覆われていて、さながら天然の植物園のように見えることでした。

2番目の写真は島の南東部にある漁港と背後の熱帯性樹木の繁茂した山の写真です。
漁船は3トンから20トン位で、島全体の漁船の総数は180隻位あり、皆個人所有だそうです。取れる魚は売上金の多い順に、カツオ、トビウオ、キンメダイ、ムロアジ、マグロ類(カジキ)、メダイ までが主なもので、他にシイラ、アオダイ、ハマダイ、カマス、サワラなどだそうです。
また少しだけ採れる地魚としてオナガダイ、バイショーイカ、アオゼ、キツネ、エースなどがあり、刺身にしたり、島寿司や夕食のおかずにして食べているそうです。島の人々は地魚を東京へ出荷しないで地元で消費しています。

3番目の写真は大賀卿町の中心にある都立公園の風景です。
この公園は、真中にドライブウエイがあって車で楽しみながら通り抜けられるようになっています。ところどころの林の中に駐車場があり、散歩することも出来ます。素晴らしい所ですが、近所の人が2、3人だけ散歩している、淋しいくらい静かな公園です。

4番目の写真は道端に咲いていたアロエの花の写真です。島の重要な産業は熱帯性の観葉植物の栽培なので島のあちこちが観葉植物とその花で埋め尽くされているのです。

5番目の写真は観葉植物を収穫してしまった畑の隅にあった熱帯性の林の風景です。島の森や林はこのような光景でした。
八丈島は東京都の島ですが黒潮の暖流の中心にあるので南の植物が自生しているのです。
東京の西の端は秘境の桧原村で南の端は海上、遥か1000Kmも南にある小笠原諸島の硫黄島なのです。東京は随分と広い範囲に広がっているのです。

6番目の写真は東京都立八丈島植物公園の温室内のブーゲンビリアやの花の写真です。
東京都の財政が豊かなので八丈島には都立の高校や公園や病院なのがあり、その上、羽田と定期航空便があります。海上280Km以上も離れた島ですが大きなスーパーもあり生活には困りません。

7番目の写真は毎年3月下旬から4月の第1週にかけ開催されているフリージア祭りの写真です。写真の出典は「八丈島フリ-ジア祭り」の画像集です。

以上の写真はフリージア祭りの写真以外は2009年の1月に自分で撮影したものです。
八丈島の植物の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料==================
八丈島とは:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%B8%88%E5%B3%B6
東京の南方海上287キロメートル、御蔵島の南南東方約75キロメートルにあり、東山(別名:三原山・標高701メートル)と西山(別名:八丈富士・標高854メートル)のふたつの火山が接合した北西-南東14キロメートル、北東-南西7.5キロメートルのひょうたん型をした島。面積は山手線の内側とほぼ同じ。

富士火山帯に属する火山島で、東山は約10万年前から約3700年前まで活動し、カルデラを形成したと考えられている。最終噴火は有史以前であり歴史記録上の噴火はない。西山は数千年前から活動を始めた新しい火山で、山頂に直径約500メートルの火口がある。1487年12月、1518年2月、1522年 - 1523年、1605年10月、1606年1月に噴火が記録されており、特に1606年の記録には、海底噴火によって火山島ができたとされる。

八丈小島:
八丈小島は、八丈島の北西7.5キロメートルの海上にあり、島のほぼ中央にあたる太平山(616.8メートル)から成る面積3.1平方キロメートルの火山島ですが、昭和44年6 月に全員離島し、現在は無人島です。

そして、八丈町とは、
人口は平成22年に8,231人住んでいました。詳しくは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%B8%88%E5%B3%B6 に出ています。
5つの集落
集落は、島の南東部に位置する三原山を中心とする樫立・中之郷・末吉で形成される坂上地域と、島の経済活動の中心地である大賀郷・三根で形成される坂下地域があります。

あなたは誰を尊敬していますか?、その驚くべき答!

2017年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
あなたは誰を尊敬していますか?
このような問には答えにくいものです。私は返事に困ります。ところが大真面目にこの問いに対する世論調査をした会社があるのです。
アメリカのギャラップ社が昨年の12月上旬にアメリカ国内で「最も尊敬する人」の名前を自由に記入する世論調査をしたのです。
その男性の答の1位はオバマ大統領でした。男性の回答者の22%がオバマ大統領の名前を書いたのです。そして過去9年間の同様の世論調査でもオバマさんが9回連続して1位だったそうです。
2位は驚いたことにトランプ氏で、15%の回答者がトランプ氏の名前を書きました。
3位は意外にもローマ法王のフランシスコ教皇だったのです。
一方、女性の回答結果は、1位が前国務長官のクリントン氏で12%の回答者がそう答えました。彼女は過去15年間1位だったそうです。
女性の回答者の8%はミシェル大統領夫人を書いて、ミシェルさんは2位でした。
さらにギャラップ社によると、1946に調査を開始して以後、男性の1位は、70回中58回の調査で現職大統領でした。
オバマ氏は就任直前の2008年の調査でも1位で通算9回、1位でした。この結果は12月30日の読売新聞の14版にあります。

以上の事実に私は非常に驚きました。
もし仮に日本でギャラップ社が同様の世論調査を実施したらどのような結果になったでしょうか?
1位は安倍総理大臣になったでしょうか?そして歴代の総理大臣は1位になったでしょうか?
どうも無理なような気がします。日本では政治家を尊敬している人が少ないと思います。
政治家は嘘を言います。不明朗なお金集めをします。常に大会社の味方をします。一般庶民は権力者に踏みつけられています。
こんな印象が日本にはあるのではないでしょうか?

日本人へ「最も尊敬している人の名前を書いて下さい」とお願いしたら、答えはどうなるでしょうか?
多くの人は母親や父と答えると思います。あるいは文筆家や芸術家、あるいは社会運動家の名前を書く人も多いのではないでしょうか。
アメリカ人は政治家が重要だと信じているのでしょうか?その結果、現職大統領が最も尊敬する人の1位になるのでしょうか?
もしそうのような背景があるとしたらアメリカの民主政治は健全だと言えると思います。何か日本の民主政治は道遠しという感じがします。

しかしそのように考えるのは短絡的です。このような世論調査を中国で実施したらどうなるでしょう?
国家主席の習近平氏が断トツの1位になるはずです。多くの中国人は本気で国家主席を尊敬しているようです。ですから中国の民主化は百年河清を待つようなものになっているのです。
韓国でこの世論調査をしたらどうでしょう?日本と似た結果になるのではないでしょうか。

アメリカでの世論調査の結果で驚くべきことがもう一つあります。なんとフランシスコ教皇はオバマさん、トランプさんに続いて3位になったことです。フランシスコさんは気さくで優しいカトリックの法王として有名です。それなのにプロテスタントが大多数のアメリカで3位に尊敬されているのです。それこそフランシスコさんの傑出した人徳のせいです。嬉しいことです。
私は以前の法王のヨハネ・パウロ2世を尊敬しています。
最も尊敬している人と問われればヨハネ・パウロ2世と書くでしょう。
しかし最も尊敬している人という問いは意味が曖昧な問ではありませんか?
私は玄奘三蔵法師も弘法大師もヨハネ・パウロ2世も尊敬していますが、優劣はつけられません。

あなたが最も尊敬している人の名前を1人だけ書けますか。アメリカ人は書けるのですから驚きです。
それにしてもアメリカと日本の文化の違いの大きさを深く考えさせる新聞記事です。

今日の挿し絵代わりの写真は暮れに花屋さんで撮ったシクラメンとパンジーの写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)







元日の教会、神社、お寺の風景写真

2017年01月01日 | 写真
新しい一年の始めの元旦には、多くの人が新年も幸多い年になるように祈ります。
祈る場所はいろいろです。教会や神社やお寺などへ家族連れで行って、それぞれ幸多い年になるように祈っています。その光景は和気藹々とした雰囲気を感じさせます。実に楽しい光景なのです。

私共は例年、午前中はカトリック教会の新年のミサに行きます。
午後は神社やお寺に行って元日のお参りをしている人々の写真を撮ります。
人々が家族連れで祈っている光景が好きなのです。楽しいい雰囲気です。そして私は全ての宗教に興味があるので、いろいろと考え事をして楽しみます。
家内も楽しそうについて来ます。
そんな風景の今日の写真をお送り致します。

1番目の写真はカトリック小金井教会の新年のミサの風景です。

2番目の写真は近所の小金井稲穂神社で参拝客が行列を作っている光景です。

3番目の写真は小金井市の南西にある貫井弁天神社の参拝客の行列の写真です。

4番目の写真は天台宗の真蔵院の風景です。参拝客が途切れ途切れに来ていました。
このお寺は蓮の花が綺麗に咲くので夏には何度も写真を撮りに来る所です。

5番目の写真は臨済宗の海岸禅寺の庭の風景です。参拝客がいないので森閑としています。
このお寺は何時行っても掃除の行き届いた庭に見事な松が亭々としています。庭を散歩するためによく寄る禅寺です。檀家のいない修行のための寺のようです。江戸時代の中ごろに腕の良い渡り大工の作った山門が松の木の右下に写っています。

今日、数多くの参拝客の行列を見て宗教は絶対に衰退しないと思いました。
晴天の今日は風も無く穏やかな日でした。
この一年も幸せで平和な一年になるようにと祈っています。

新年のご挨拶です

2017年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム
   謹賀新年
       2017年   元旦


        
   新年にあたり皆様のご健康と
   平和をお祈りいたします。

   昨年中はこの欄のつたないい記事をお読み頂きまし              
   て誠に有難う御座いました。
   どうぞ本年もよろしくお願い申しあげます。後藤和弘
       
   今日の写真は埼玉県の戸田市の彩湖の風景写真です。
   荒川から水を引いた人造湖です。暮れに新年のご挨拶に
   使用しようと撮っておいた写真です。