575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

鳥兜           草女

2008年09月05日 | Weblog
 去年の今頃伊吹山に植物観察に出かけた。土砂降りの雨も上がって三合目から登り始め数多くの植物に出会うことが出来た。
 興味深かったのはトリカブト。四合目辺りでは褐色がかった緑色の蕾。登るにつれて青紫に変化し、山頂では私たちに向かって開いているではないか。
 トリブトという名は良く知られているが、ほとんどの植物図鑑で「トリカブト」を引いてもまず見つからない。と言うのはトリカブトというのは、キンポウゲ科トリカブト属の総称なのだ。
 つまり個々のトリカブトの種を固定することは、大変難しく専門家に任せる他に手は無いのである。ここ伊吹山にあるのはイブキトリカブトだそうだ。
 愛知県の面の木峠にもトリカブトは数多く生えているが愛知県のトリカブトはヤマトトリカブトとカワチナシの二種のみ。しかも、咲いているのがどちらかと言うのを判定するのは専門家で無い限り非常に難しい。
 さてトリカブトは猛毒で有名だ。山頂で我々を迎えてくれたトリカブトの花を見て仲間の一人が「カーチャンの土産にしたいなあ」と一声、彼は愛妻家で有名なので人々から笑い声がもれ、疲れが癒された。
 トリカブトの毒についてであるが、世界一毒性が強いとされるのがエゾトリカブトで北海道の低地から山地に生えるもの、二番はオクトリカブトで本州中部から北海道にかけて生える。
 トリカブトは草全体が有毒であるが、特に毒性の強いのは根の部分。この根は一年ごとに母根から子根に成長し増えていく。
 普通母根のことを烏頭(うず)と呼び子根ことを附子(ぶす)と呼んでいる。
 有名な狂言に「附子」というのが有り、主人が大切な砂糖を舐められたくなくて『「ぶす」と言う猛毒だから舐めないように』と家来に言い残して留守にする。そのすきに家来は全部舐めてしまい、見つかって問いたださる。そこで、死のうと思って舐め続けたが死に切れなかったと言い訳するのがある。
 トリカブトは花の色といい形といい大変に魅力である。
 しかし、くれぐれもカアチャンの土産にしないように。

  霧の掌に粘華微笑(ねんげみしょう)のとりかぶと    加藤楸邨

★今週まで「草女」が投稿できませんので、去年書いてあって投稿しなかったものを投稿します。    (草女の連れ合い)
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新涼に僕もあの子も澄んでいる   朝倉晴美

2008年09月05日 | Weblog
坪内稔典さんのe船団のホームページで紹介してあった句。

作者は1969年生まれ。
最近の若い女性はわざと「僕」という自称を使う。
一種の変身願望か。

と、ありました。

女性が自分のことを「オレ」というとも。
どういう心理なんでしょうね?
変身願望なんでしょうが・・・
                  遅足

                


コメント (2)
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会いたい、見たい、覗きたい     草女

2008年09月05日 | Weblog
草女さんはしばらくお休みとなりました。
そこで再放送ならぬ、再投稿でお送りします。  遅足

  


 八月下旬、面の木峠の植物観察会に参加。
湿地に蓮華升麻(レンゲショウマ)が見られるかも知れない
という情報があつて、わくわくしながら行った。
 レンゲショウマはキンポウゲ科レンゲショウマ属の日本固有の植物。
花が蓮華(ハス)に似ていて、葉がサラシナショウマに似ているので
この名がついたと言い、今まで見たことが無く、長く憧れていた。
 図鑑では弱弱しく、優雅で今にも消え入りそうな風情である。
その上この草も個体数を減らし続けている。
 やはり残念ながら面の木峠の湿地にはその姿は無かった。
所がである、なんとそこのビジターセンターの鉢の中にあったのである。
 職員が湿地から姿を消したので家にあったものを持ってきたと言う。
「エッそれって?」仲間は同じ事を思い顔を見合わせた。
しかし、職員の人は熱心に「写真を撮るなら外へ持っていって写したら。」
と助言をしてくれる。
 
 レンゲショウマは下向きに咲く。膝を折り下からカメラを向けていたら
「スカートの中覗かないでよ!」の声。
 外側のスカートに見える部分はがく片。
中の丸く見えるのが花弁。
覗かないでは花弁もしべも見えない。
 花は子孫を残すための生殖器。
かつてイチヤクソウという植物を下から写して瞠目したことがある。
上から見た可憐さとはかけ離れた姿がそこにあった。
覗いても美しい訳ではない。
 採集して調べることが憚れる今日、植物調べは専ら写真に頼っている。
ところが写真を撮るとそれで満足して観察したような気分になる。
せめて上下左右にレンズを向けたい。
 本来は植物を観察するときは、ルーペで覗いたり、触れてみたり、
香りを確かめたりする事が必要であるが、ともすれば御座なりになってしまう。
 そこが反省点である。


 

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