信濃の奥の奥、柏原の宿に一茶は生まれ、亡くなりました。
今回、初めて一茶の里に行ってきました。
写真は、一茶終焉の土蔵です。
大火によって家が焼かれ、残った土蔵のなかで
最晩年を過ごし亡くなりました。
65歳だったそうです。
思い描いていた風景とは違って明るい山村。
新しい一茶記念館も出来ていました。
一茶は晩年は結婚しても、奥さんも子供も亡くなって
寂しい生活だったと聞いていました。
しかし、俳句の宗匠としては大活躍していたそうです。
記念館近くにある俳諧寺の天井には
有名な俳人の句が寄せられていました。
笑わぬ一茶の句のおかしさよ紅葉どき 金子兜太
私は、俳句は全然、出来ませんでした。
一晩、寝ての一句です。
降り立ちて一茶の里の吾亦紅 遅足
今回、初めて一茶の里に行ってきました。
写真は、一茶終焉の土蔵です。
大火によって家が焼かれ、残った土蔵のなかで
最晩年を過ごし亡くなりました。
65歳だったそうです。
思い描いていた風景とは違って明るい山村。
新しい一茶記念館も出来ていました。
一茶は晩年は結婚しても、奥さんも子供も亡くなって
寂しい生活だったと聞いていました。
しかし、俳句の宗匠としては大活躍していたそうです。
記念館近くにある俳諧寺の天井には
有名な俳人の句が寄せられていました。
笑わぬ一茶の句のおかしさよ紅葉どき 金子兜太
私は、俳句は全然、出来ませんでした。
一晩、寝ての一句です。
降り立ちて一茶の里の吾亦紅 遅足