東京弁と地方語、標準語と方言、いつの間にか日本の言葉にも格差が生まれました。
東京弁と言ってもさまざま。山の手と下町では趣きが違うし、土着の江戸っ子と流入の人とは大違い。で、標準語とは、NHKのアナウンサーがニュースを読む言葉だそうです。
堅苦しいばかりのこれに比べて、方言の限りないおもしろさ。
忘れられないのは、佐賀地方で使われている「トゼンナー」。つまり徒然、やることもなくて、退屈だなーと、無聊を訴える時に言っています。
古文で出会った表現が日常会話に生きているとは。
いま一つ。明治末年生まれの母が口にしていたのは「ダイツーサン」。名古屋弁ではディヤーツーさん。正しくは大通さん。
小粋で、物分りのよい美人。既婚でも決して奥様ではない婦人です。
「アノお人はディヤーツーサンだで・・」と羨まし気でした。
間もなく死語になる、あるいはすでに死んでしまった言葉たち。残念。
短歌には方言を巧みに生かした作品を見受けますが、俳句ではいかがでしょうか。
東京弁と言ってもさまざま。山の手と下町では趣きが違うし、土着の江戸っ子と流入の人とは大違い。で、標準語とは、NHKのアナウンサーがニュースを読む言葉だそうです。
堅苦しいばかりのこれに比べて、方言の限りないおもしろさ。
忘れられないのは、佐賀地方で使われている「トゼンナー」。つまり徒然、やることもなくて、退屈だなーと、無聊を訴える時に言っています。
古文で出会った表現が日常会話に生きているとは。
いま一つ。明治末年生まれの母が口にしていたのは「ダイツーサン」。名古屋弁ではディヤーツーさん。正しくは大通さん。
小粋で、物分りのよい美人。既婚でも決して奥様ではない婦人です。
「アノお人はディヤーツーサンだで・・」と羨まし気でした。
間もなく死語になる、あるいはすでに死んでしまった言葉たち。残念。
短歌には方言を巧みに生かした作品を見受けますが、俳句ではいかがでしょうか。