575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

秋の昼回転寿司の皿の上   遅足

2009年10月10日 | Weblog
どこで句として完成したか?
この見極めは、とても難しいものです。
推敲の段階では、コトバをいろいろに入れ替えてみます。
これは、俳句教室に提出した句。兼題は「秋の昼」

  秋の昼回転寿司の皿に足 

下五をどうしようか?と決まらぬままに提出。

先生はよくコトバを入れ替えて、違った句になってしまう場合は、
句として完成していると判断しても良いのでは、と。
どうしたら、この句は完成するのでしょう?
先生から、皿を空にしたら、と助言。

 秋の昼回転寿司の空の皿
 
どうも、今ひとつ・・・
そしてこうしました。

 秋の昼回転寿司の皿の上

なにがのっているの?読者にゆだねてしまおう。

そして、次に、上五の、秋の昼、を。
春の昼、にかえてみます。

春の昼回転寿司の皿の上

この場合は、秋の昼、としたシュールな感じがガラリと変わってしまい、
ほんわりとした句になります。
七五が決まりならば、上五は、秋の昼、で良いことになります。
現段階ではこれでヨシに。

  秋の昼回転寿司の皿の上

なぜ、こんな句をつくったのか?

「違和感の正体をつきとめたい」
高村薫さんがテレビで話していました。

日常生活のなかで違和感を持つことがある。
なぜ?違和感を持ってしまうのか?
オウム真理教の事件を殺人を起こすような教団だから悪。
宗教ではない、と断定して納得。
しかし、ホントウにそうだろうか?という違和感が残ります。

これが創作の出発点だと高村さん。

たしかに番組を自由に発想する場合、この違和感はとても大切。
私は「ひっかってくるもの」という言い方をしていますが、
多分、同じことでしょう。
この句は、秋の昼、という宿題でつくったものですが、
発想の原点は静岡県で入った回転寿司の店。
秋の好天に恵まれた昼に、お店に入りました。
なにかシュールな不思議な感じが一瞬。
これは何だろう?
食事という日常の出来事がオートマチックに展開されている。
このアタリマエの風景に違和感があったのでしょう。

もう忘れかけていた風景が「秋の昼」というコトバによって
記憶の海の底から引き出されてきた・・・

皿の上には、さまざまな寿司が。
でも、それは切り刻まれた死体の数々。
なかには、食べられて皿だけが回っている。
このアタリマエで、奇妙な風景が、どこまで伝えられるのか?

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列島を狙い定めた嵐去る    朱露

2009年10月10日 | Weblog

     列島は日本で嵐は「台風18号」。
     昔グラマンは俺を狙ったと思った。
     以後六十年被害妄想のまま生きる。
     「嵐」が季語じゃないなど知るか。

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