575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

かたくなな十一月の空がある  櫂未知子

2010年10月31日 | Weblog
櫂さんは短歌から俳句に替わった人。
歌は具象性をほとんど持たなくても一首がなりたつ。
いわば「こと」だけでもOK。
しかし俳句は「もの」を重視すると教えられた。

当初、これに反発し、季語に抽象的な言葉を配していたが、
やがて恐ろしいことに気付いたという。

茫洋とした季語に抽象的な言葉を組み合わせても
類型的な句しか生まれない。

「時」は具体的な「腕時計」で表現するのが俳句と・・・

         

俳句をはじめ日本の文学の主流は、明治以降、マジメであった。
それが1980年代ころから、フマジメ派が主流となる。

マジメ、フマジメの境界は難しいが、
ドリフターズの全員集合は「マジメ」
ひょうきん族を「フマジメ」と考えている。

俳句の世界は、なかなかフマジメな人が出てこなかったが
櫂さんは、まさに正当な意味で、フマジメな俳人である。

そこに句の面白さが感じられるし、魅力でもある。
(もっとも川柳との境界がアイマイになるけれど)

 連翹のどこかなげやりなる黄色

 落ちたがらぬ椿に落ちてもらひけり

このフマジメさの魅力に負けそう・・・   遅足


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露の句を楽しむ⑩    遅足

2010年10月31日 | Weblog


  ひびきあいうちふるえるや露の鈴   郁子

上五中七とひらがな表記。
露のやわらかな感じが表現されているようです。
きっと鈴の音もやわらかいのでしょうね。

露の鈴、のように、視覚が聴覚を修飾する比喩はありますが、
その逆の鈴の露というものはあまりないそうです。
そういえば、そうですね。
感覚にもフシギな序列があるのかな?

        

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新聞碁石強く打つ冬座敷     朱露

2010年10月31日 | Weblog

      結城依田九段の天元戦を並べている。
      私に分かる碁ではないがそれは当然。
      結城さんと依田さんを気どればいい。
      三百手一時間打てば前より強くなる。


                  

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クマさんがいなくなるよー  鳥野

2010年10月31日 | Weblog
「こんな所へ来とうはなかった!」大河ドラマの名子役の台詞で、ひととき話題になりました。
最近のツキノワグマの出没の情報を聞く度に、クマの言い分とも思えてなりません。

クマは本来、臆病で用心深く、人間を避けて生きてきた動物。人里へおびき寄せたのは人間なのです。

見かけたと通報があれば、猟友会へ連絡して即刻射殺。先日は母子連れを親子もろともに、撃ち殺しました。

それより他に手はないのでしょうか。

仕置き放獣というのも、猟犬を使うのも一案。

麻酔銃で眠らせ、ヘリで山へ戻して放せば、怖い記憶が残って、再びは里へ出ないといいます。訓練した犬は山へ追い返す手助けが出来るそうです。

換金植林や里山の開発で餌場を奪い、挙句に人里にはゴミや食べ物の残りを散らかし、ペットフードは置き放し。商品にならない収穫物や部分を畑に捨てたままということも。

嗅覚の優れたクマには魅力いっぱいでしょう。

このままでは、クマは人の敵。寂しいことになりそうです。

 ・ 冬眠の身支度いそぐ熊のいて鰯の群れる雲を見ている

                     鳥野

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