src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/df/ea804410adfdfeafaee3e8b02b7f46be.jpg" border="0"> 内藤好之氏によると宮沢賢治の俳句は晩年の三十句程が残されているだけだという。
盛岡中学時代、啄木の一握の砂に影響されて十年ほどは短歌に夢中になり、その後
詩と童話にに創作の舞台を移していった。
残っている俳句は、農学校の先輩であるため農学校の菊か大会の審査を勤めた折、入選作
の菊に俳句の短冊をつけるよう依頼されて「とても無理」と固辞した挙句に作らされた下記の
句などが今に残っているという。
狼星をうかがふ菊の夜更けかな
魚燈して霜夜の菊をめぐりけり
たそがれてなまめく菊の気配かな
盛岡中学時代、啄木の一握の砂に影響されて十年ほどは短歌に夢中になり、その後
詩と童話にに創作の舞台を移していった。
残っている俳句は、農学校の先輩であるため農学校の菊か大会の審査を勤めた折、入選作
の菊に俳句の短冊をつけるよう依頼されて「とても無理」と固辞した挙句に作らされた下記の
句などが今に残っているという。
狼星をうかがふ菊の夜更けかな
魚燈して霜夜の菊をめぐりけり
たそがれてなまめく菊の気配かな