575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

露の句を楽しむ①   遅足

2010年10月21日 | Weblog
句会の題詠だった露。いろいろな露が詠まれました。
一句づつ楽しみたいと思います。

       

最初は朱露さんの句

  白露の滑り落ちたる跡はなし

露の玉が落ちた跡を詠んだ句は初めてです。
とても面白い発想。
そう言われると、一体、どんな跡が残るんだろうか?
と考えてしまう。
白露、と言われると女性のイメージも重なって・・・

跡はなし、跡もなし、どちらかな?

  白露や滑り落ちたる跡もなし

こうすると露も消えて・・・と、露に重点が置かれる。
作者の意図とは違うけれど、これも捨てがたい気も。

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10月句会の最終結果です。    遅足

2010年10月21日 | Weblog
10月句会。立雄さんの選句が届きました。

題詠「露」

①白露の滑り落ちたる跡はなし(朱露)童子・能登・遅足
②年回の生家の庭に玉の露(値遇)
③露の玉木曽三川に絶滅種(静荷)朱露・値遇・鳥野・遅足・晴代・郁子・亜子・麗子
④馬つなぐ石のひびわれ露けしや(亜子)狗子・結宇・静荷
⑤露の玉濡らして朝がやってくる(遅足)立雄
⑥物干しに消えては宿る玉の露(立雄)
⑦朝露を含む高原野菜かな(麗子)値遇・愚足・亜子・静荷・立雄
⑧抜きおきし草にも光る露の玉(晴代)愚足・能登・鳥野・郁子・狗子・亜子・麗子
⑨露降(オ)りて子方の獅子の稽古舞(結宇)朱露・愚足・童子・遅足・静荷
⑩痩せ猫の露の茂みを抜けにけり(愚足)童子・童子・鳥野・狗子・結宇・麗子・立雄
⑪ひびきあいうちふるえるや露の鈴(郁子)朱露
⑫夢の恋結ばれぬ朝露と消え(能登)値遇・晴代・郁子
⑬露の径帰りを急ぐ下駄の音(狗子)晴代・結宇


自由題
 
①脚欠けし鈴虫二匹放しけり(愚足)朱露・郁子・亜子
②満ち足りて栗むく窓に入日さす(郁子)愚足・童子・晴代・狗子・麗子
③破蓮はニルスのアポロ宇宙船(能登)
④彼岸花野辺荘厳(ショウゴン)と道祖神(結宇)値遇・静荷
⑤朝寒や「パーマ屋ゆんた」口ずさむ(朱露)能登・立雄
⑥草紅葉詫びのメールを送りけり(値遇)鳥野・遅足・結宇・郁子・静荷・立雄
⑦挨拶はキンモクセイの曲がり角(麗子)能登・遅足・狗子・郁子・亜子
⑧鶏頭や心音乱れある見立て(晴代)朱露・遅足・亜子・麗子
⑨慎ましくポツリと言って木の実落つ(狗子)値遇・能登
⑩つかのまの満月みせて雲早し(亜子)童子・狗子・立雄
⑪門古りて金木犀の盛りなる(遅足)朱露・愚足・童子・鳥野・晴代・結宇・静荷
⑫コスモスの戦ぎて恃むところなし(静荷)値遇・鳥野・晴代・結宇
⑬爪切りを妻に委ねり花木槿(立雄)愚足・麗子

       

次回は、11月17日(水)午後6時・安田屋です。
題詠は「神無月」です。

     
                        

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倍以上生きて駄句詠む子規忌かな    朱露

2010年10月21日 | Weblog

      明治三十五年九月十九日没三十六才。
      当方はどういう行き掛りか七十六才。
      グラマンの機銃掃射で数回死んだ筈。
      その前に五才の疫痢で死んでいい筈。

                



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露句会  麗

2010年10月21日 | Weblog
十三夜の夜。
欠席の方が多くちょっぴり淋しい句会となりました
病気の話・怪我の話どうしても健康の話題が多くなる今日この頃ですが
今月のお題は「露」。
はかなくも消えゆく露。いろんな露が披露されました。

折りしも名古屋ではCOP10が開かれており、木曽三川の「絶滅危惧種」を
詠み込んだ静荷さんの

「露の玉木曽三川に絶滅種」がトップ賞になりました。
この絶滅危惧種は「イタセンパラ」と魚だそうです。
いろいろと勉強になる575の会です。


どうしても欠席者が多いとあれこれ詮索の対象になります。

自由題の

★破蓮はニルスのアポロ宇宙船

この「ニルス」は科学者か、あるいは冒険少年か?

★草紅葉詫びのメールを送りけり

誰へのどんな内容のメールなのか?
お姑さんへのご無沙汰メールという勝手な理解が主流でした(笑)

★鶏頭や心音乱れある見立て
この鶏頭は植物か、動物か?おそらくケイトウの花でしょうが、もしかしたら鶏かも??


ところで「眼聴耳視」という言葉をご存じですか?
目で聞き、耳で見て、初めて真実がわかるという意味で使われているそうです。
詩はそういう感覚から生まれるそうです。
この言葉を私は先日の毎日新聞夕刊(10月15日分)の「しあわせのトンボ」という近藤勝重編集長のコラムで知りました。(これまでのコラムをまとめた本も出ているようです)

花を見て花の笑い声を聴く。ラジオの野球中継を聞いて頭の中で球場の様子を見る。
「視」や「聴」が「嗅」や「触」と深くつながっている感覚を大切にすると
ますます俳句の世界が広がりそうです。
私の「挨拶はキンモクセイの曲がり角」という俳句は近藤編集長のコラムを575にしてみたものです。

情報過多の時代。五感を駆使してまた来月に挑みましょう。いつもいる人がいないと淋しい。
やっぱりみんな元気に会えるといいな。

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