奄美空港のすぐ近くにある奄美パーク。
そのなかに田中一村・美術館がありました。
一村は、自らの絵に行き詰ったのでしょうか。
スケッチ旅行で訪れた奄美大島が気に入って、50歳の時、移住します。
大島紬の染色工として働き、60万円の郵便貯金を蓄えたあと、画業三昧の生活に。
1977年、69歳で亡くなっています。
一生、結婚もせず一人暮らしでした。
無名に近い存在でしたが、没後、日本のゴーギャンなどと呼ばれ、脚光をあびます。
私もNHKの『日曜美術館』で一村を知りました。
アダンの実を描いた絵が印象に残っていました。
冒頭の一句(?)は一村がスケッチ・ブックに残した575です。
他には、こんな575も。
奄美流寓 二階に娼婦 下に吾
恋文の代筆果たす 吾五十二
一村は、余白を大切にする伝統的な花鳥画に秀でていました。
それが亜熱帯という奄美の森や海との出会いによって、
余白を感じさせない濃密な絵画空間を生みだしました。
亜熱帯の森の植物や鳥、蝶は一村の創造力を刺激してやまなかったようです。
十二月の温き雨降る空港を飛び立てば奄美の島は眼下に
写真は美術館に展示されていたアダンの絵です。どうも複製のようでした。
今日はあたたかくなりそうです。キッチンの掃除をしないと・・・
そのなかに田中一村・美術館がありました。
一村は、自らの絵に行き詰ったのでしょうか。
スケッチ旅行で訪れた奄美大島が気に入って、50歳の時、移住します。
大島紬の染色工として働き、60万円の郵便貯金を蓄えたあと、画業三昧の生活に。
1977年、69歳で亡くなっています。
一生、結婚もせず一人暮らしでした。
無名に近い存在でしたが、没後、日本のゴーギャンなどと呼ばれ、脚光をあびます。
私もNHKの『日曜美術館』で一村を知りました。
アダンの実を描いた絵が印象に残っていました。
冒頭の一句(?)は一村がスケッチ・ブックに残した575です。
他には、こんな575も。
奄美流寓 二階に娼婦 下に吾
恋文の代筆果たす 吾五十二
一村は、余白を大切にする伝統的な花鳥画に秀でていました。
それが亜熱帯という奄美の森や海との出会いによって、
余白を感じさせない濃密な絵画空間を生みだしました。
亜熱帯の森の植物や鳥、蝶は一村の創造力を刺激してやまなかったようです。
十二月の温き雨降る空港を飛び立てば奄美の島は眼下に
写真は美術館に展示されていたアダンの絵です。どうも複製のようでした。
今日はあたたかくなりそうです。キッチンの掃除をしないと・・・