私の父、竹中皆二は名古屋の第八高等学校 (旧制)時代、理科を専攻していましたが、
在学中、短歌に興味をひかれ、歌人、若山牧水が創設した短歌結社「創作社」に入会。
たまたま、三河の鳳来山で牧水と出会ったことが父の運命を変えました。
父は八高を中退し、浪々の末、郷里の若狭で今でいうコンビニを営みながら、
歌の道に進みました。店は母まかせでした。
私は母にいつも苦労をかけている父の姿を見て育ったせいか、父への反発もあって、
最近になるまで、短歌にはあまり関心がありませんでした。
父は平成6年、92歳で亡くなりましたが、生涯に第七歌集まで、世に出しています。
まだ、すべての歌集に目を通していませんが、第三歌集「 しらぎの鐘 」の中で
数十首は気に入って、歌集を見なくとも、朗詠できます。
牧水直伝の朗詠を父がよく口にしていましたので、私もまがりなりにも、うたえます。
秋めきし しほ風絶えず 吹き居れば しらぎの鐘は なりひびくなり
父の云う新羅の鐘とは、敦賀半島(福井県敦賀市) の常宮神社に伝わる古代朝鮮の国、
新羅の時代の鐘のことです。
平井良平著「梵鐘」によれば、常宮神社の鐘には太和7年 (833) 慶尚南道普州、
蓮池寺の銘があり、「本邦渡来の在銘鐘中 最古もの」で、すでに明治37年には
国宝に指定されています。
しらぎの鐘 しずまりかへりて 居るゆゑに その沈黙の ひびきをきけや
しらぎの鐘 虚空に清く ひびくゆゑ まなこをつむり きき入らんとす
敦賀の海 やや秋めきて 波だてり しらぎのかねを 三たび撞きて去る
神社の話では、父が訪れた昭和30年頃までは、誰でも お堂に入って鐘を撞くことが
できたそうです。しかし、昭和40年の豪雪でお堂の屋根が壊れ、その後、新しく
建て替えられてからは一般の人は入れなくなりました。
平成10年、私は初めてこの常宮神社を訪れました。
鐘撞堂の扉は閉まっていましたが、拝観料を払って柵越しに見せてもらいました。
今でも神社側に予約しておけば拝観できるそうです。
新羅の鐘は長い歳月を経て全体に緑青を帯びていました。
しかし、遠くからでも鐘に彫られた美しい蓮華文やあどけない笑みをたたえた
飛天を見ることができました。
写真は、竹中皆二の歌碑(福井県小浜市阿納尻)。
昭和59年、久須夜岳を望む村有地に歌友によって建てられました。
この10年前、我が家の前にあった樹齢五百年の老松が伐られ、その根っ子の一部が
歌碑の下に葬られています。
歌碑には父の字をもとに、牧水と接した頃の初期の代表作が刻まれています。
老松に渡らふ風のひびきあり うば玉の夜に われはきくかも 皆二
在学中、短歌に興味をひかれ、歌人、若山牧水が創設した短歌結社「創作社」に入会。
たまたま、三河の鳳来山で牧水と出会ったことが父の運命を変えました。
父は八高を中退し、浪々の末、郷里の若狭で今でいうコンビニを営みながら、
歌の道に進みました。店は母まかせでした。
私は母にいつも苦労をかけている父の姿を見て育ったせいか、父への反発もあって、
最近になるまで、短歌にはあまり関心がありませんでした。
父は平成6年、92歳で亡くなりましたが、生涯に第七歌集まで、世に出しています。
まだ、すべての歌集に目を通していませんが、第三歌集「 しらぎの鐘 」の中で
数十首は気に入って、歌集を見なくとも、朗詠できます。
牧水直伝の朗詠を父がよく口にしていましたので、私もまがりなりにも、うたえます。
秋めきし しほ風絶えず 吹き居れば しらぎの鐘は なりひびくなり
父の云う新羅の鐘とは、敦賀半島(福井県敦賀市) の常宮神社に伝わる古代朝鮮の国、
新羅の時代の鐘のことです。
平井良平著「梵鐘」によれば、常宮神社の鐘には太和7年 (833) 慶尚南道普州、
蓮池寺の銘があり、「本邦渡来の在銘鐘中 最古もの」で、すでに明治37年には
国宝に指定されています。
しらぎの鐘 しずまりかへりて 居るゆゑに その沈黙の ひびきをきけや
しらぎの鐘 虚空に清く ひびくゆゑ まなこをつむり きき入らんとす
敦賀の海 やや秋めきて 波だてり しらぎのかねを 三たび撞きて去る
神社の話では、父が訪れた昭和30年頃までは、誰でも お堂に入って鐘を撞くことが
できたそうです。しかし、昭和40年の豪雪でお堂の屋根が壊れ、その後、新しく
建て替えられてからは一般の人は入れなくなりました。
平成10年、私は初めてこの常宮神社を訪れました。
鐘撞堂の扉は閉まっていましたが、拝観料を払って柵越しに見せてもらいました。
今でも神社側に予約しておけば拝観できるそうです。
新羅の鐘は長い歳月を経て全体に緑青を帯びていました。
しかし、遠くからでも鐘に彫られた美しい蓮華文やあどけない笑みをたたえた
飛天を見ることができました。
写真は、竹中皆二の歌碑(福井県小浜市阿納尻)。
昭和59年、久須夜岳を望む村有地に歌友によって建てられました。
この10年前、我が家の前にあった樹齢五百年の老松が伐られ、その根っ子の一部が
歌碑の下に葬られています。
歌碑には父の字をもとに、牧水と接した頃の初期の代表作が刻まれています。
老松に渡らふ風のひびきあり うば玉の夜に われはきくかも 皆二