575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

山形一泊の旅 ~ 立石寺 ( りっしゃくじ ) ~ 竹中敬一

2019年02月09日 | Weblog

山形県鶴岡市の湯田川温泉で一泊した翌朝、高速バスでJR山形駅へ。

さらに仙山線で山寺駅へ 。

帰りの飛行機のことを考えると、せいぜい2時間位しかないので、

駅からタクシーをチャーター。

若い運転手さんでしたが、私と一緒に歩いてガイドもして頂きました。

この運転手さん毎日のようにお客さんを案内しているようで、山寺の

ことには詳しい。

まず、根本中堂では法灯が千百余年間、今も燃え続いていること。

慈覚大師が開いた天台宗のお寺であることを教えてもらいました。

まもなく行くと、" これが芭蕉さん あれが曽良さんの銅像です "と

言われるので、一休みしながら写真を撮る。

何しろ、奥の院まで行くには、1000段余りの石段を登らなくては

いけません。

最初から途中までと決めていたのですが、それにしても厳しい。

だいたい、私のような80代の老人はこの日に限ってか、一人も見かけ

ませんでした。

手すりにつかまり、休み休み参道を登る。

道すがら運転手さんが言うには

" 芭蕉さんがここを訪れた今の7月13日頃、私もお客さんのガイドで毎年、

来ていますが、この時期にセミが鳴いているのを聞いたことがありません。

こちらでは、セミは鳴いていなかったという説がありまして……"

そこで、私 " あゝそうですか。ここへ来る途中、インターネットで

調べてみたら、歌人の斎藤茂吉は鳴いていたのはアブラゼミとしたのに対して、

夏目漱石門下の評論家 小宮豊隆はニイニイゼミだと言って結局、

小宮の説に落ち着いたと書いてありましたが、そもそも、セミは鳴いて

いなかったという説は初めて聞きました。"

などと言っているうちに、石段を600段位のところにある 「 せみ塚 」まで

登ることができました。

運転手さんと一緒でなかったら到底、無理だったでしょう。

改めて芭蕉の名句 " 閑かさや岩にしみ入る蝉の声" について後で私なりに

考えてたのですが、…… 。

まず、セミが鳴いていたか、鳴いていないか、それは、どちらでもかまわないと思います。

芭蕉はこの後、訪れた酒田で「 暑き日を海に入れたり最上川 」と詠んでいるように、

この時期はとても暑かったのでしょう。

ひょっとして、セミは鳴いていたかもしれません。

それはともかく、立石寺は当時 、伽藍も沢山あり 、寺僧で賑わっていたようですが、

「 おくのほそ道 」を読むと 芭蕉が訪れた時間帯などについて

「 日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。( 中略 )

岩上の院々 扉を閉て、物の音きこえず。」とあります。

今の7月13日 、立石寺の麓の宿を出て山上へ向かったが、どの小寺院も

すでに扉を閉めて森閑としている。

この静けさを際立たせるために、それとは正反対のあの喧しいセミの声を

思いついた。

ここが、絵画でいえば前衛的で素晴らしいと私は思うのですが …… 。

ところが、曽良の「 俳諧書留 」によると、最初の句は

「 山寺や 石にしみつく蝉の声 」。

その後、推敲に推敲を重ねて「 閑かさや… 」が生まれたという。

だとすると、初めから、静けさを際立たせるために、わざと、

うるさいセミの声をもって来たという考えは当たっていないような気がしてきます。

いずれにしても、門外漢の者の推測はここまでとします。

これで、やっと 「 山形一泊の旅 」は終わりとします。

ありがとうございました。


写真は山形市山寺の立石寺 、 1000段余の半分近く「 せみ塚 」の辺りから撮る 。
もう少しで仁王門でしたが、私はここまでが限界でした 。

             

あの石段はキツイですね。ご苦労様でした。
蝉は鳴いていなかったという説もあるんですね。
とても興味深く読みました。遅足




コメント
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