今 放送されているNHKの朝ドラ 「 まんぷく 」を観ていて、ヒロインの
夫がインスタントラーメンを開発した日清食品の創業者 、安藤百福
( ももふく )氏であることを知り、私の記憶が蘇ってきました。
昭和 52 年 ( 1977 ) のことです。
名古屋のCBCテレビに在職中でした。標高4000メートル級のチベット高原に取材に
行った時、百福氏から現地の人の試食用にインスタントラーメンを持っていくよう
依頼されたのでした。
私たちが行っのは、「 西チベット 」と呼ばれる辺境の地です。
正しくは、インド領カシミール州ラダックといいます。
この地域は中国、パキスタンと国境を接しており、帰属問題をめぐって、
紛争の絶えないところで、長い間、外国人は入れませんでした。
派遣されたのは私とカメラマンの二人。
現在の藤田医科大学の医療チームに同行したもので、西チベットが外国の
報道関係者に公開されたのは、これが初めてでした。
この海外取材を聞きつけたCBCテレビ大阪支社の営業マンがスポンサー筋
でもある安藤百福氏にチベット行きの話を雑談の中で伝えたのだと思います。
私は現地に向かう少し前、その営業マンに呼び出されて、一緒に大阪の日清食品を訪れ 、
安藤百福氏に初めてお会いしました。
百福氏からは インスタントラーメン30袋ほどを持って行って、現地の人
たちに試食してもらい、食べた感想を後で聞かせてほしいというものでした。
百福氏にお会いしての印象は今、どうしても思い出せません。
ウイキペディア調べの履歴から、私がお会いした昭和52年 、百福氏は66歳 。
日清食品 の社長でした 。
私が依頼を受けたのはチキンラーメンでした。 ( チキンラーメンは昭和33年 、
カップヌードルもすでに昭和46年に開発されていますが … )
私たちが拠点としたレーという小さな町には、当時、清涼飲料水などは
なく、インダス川の源流から引いた簡易水道の施設が一ヶ所あるだけでした。
この生水を飲もうものなら、現地の人は別として 、下痢は間違いなし。
現地の人たちの一日の仕事はまず 、この簡易水道の水を大きな容器に
入れて 、我が家へ持ち帰ることから始まります。
しかし 、この水を沸騰させるとなると、面倒です。
乾燥した家畜の糞を材料に火を起こすわけですが、酸素が薄いため、
絶えず羊の皮で作ったフイゴで風を送ってやらなくてはいけないのです。
この地方では沸騰させた湯のことを「 ガラン・パニ 」と言って貴重品扱いです。
レーの町中だけ 、夕方六時から二時間だけ、自家発電による電気がきていました。
この間に私たちは撮影機材の充電や持参した携帯用電気湯沸かし器で湯を
つくっておくのですが、高所のため沸点が低い上、電圧が一定しておらず、
せいぜい70度位の ぬるま湯 状態 。
こんなわけで、 チキンラーメンに湯を注いでも、麺はやわらかくならず、
それに、特殊な水質のせいか、ラーメンの味からは程遠く、現地では誰も
食する人はいませんでした 。
私たちも、いざという時はこのチキンラーメンを当てにしていたのですが、
結局 、一週間程の滞在期間中、ミルクティーと蒸したジャガイモで過ごしました。
そのジャガイモもよく茹であがっておらず、妙な味がしました。
私たちも用心していたのですが、鼻血や下痢に見舞われました。
西チベットから帰国後すぐ、私は大阪支社の営業マンに電話で以上のような
現地の状況を細かく報告 。
このまま、包み隠さず安藤百福氏に伝えるよう頼んでおきました。
後日、営業マンの話では、百福氏はこの報告を " やっぱり、そうだったか "
とうなずきながら、静かに聞いていたといいます。
ここで諦めないのが安藤百福氏。
ウイキペディアによると、2002年頃から宇宙食ラーメン 「 スペース ・ラム 」を開発。
スペースシャトル内で給湯可能な70度で調理できるようにするなどの工夫が施されたという。
そして、2005年、「 スペース ・ラム 」は、アメリカが打ち上げた 「 デスカバリー 」
に搭載され、宇宙飛行士 野口総一氏によって食されたそうです。
( もっとも、私が西チベットで体験した報告が直接、宇宙食ラーメンにつながったかどうかは、
確証はありませんが…… )
写真は標高4000m 級のチベット高原 。昭和52年 ( 1977 ) 筆者 撮影 。
即席ラーメンなど受け付けない厳しい環境 。
禿山に所々、うす紫や黄色の山肌が見え、この世とも思えぬ世界 。
私のメモ書きに" チベットの手にとるような流れ星 " 。高所で、空気が
澄み切っているため、星や月が手にとるよう見えました。